特注品の網ネット遊具だろう。特注品などの遊具が公園に必要なのかどうかと言った議論はされることがあるのだろうか。だいたい議論だなんて、みなさんは信用しているのだろうか。国会でのヤジの多さと大臣どもの無能な答弁・・・どちらも質問しっぱなしと答えっぱなし。この国に民主主義など微塵も根付いていないのだ。ケンカも弱いし、腕力もない。知能だって実は大したことがないし、家族愛だって毛虫にもかなわない。
だったら議論ぐらいちゃんとしろ!!
だったら議論ぐらいちゃんとしろ!!
カバ2頭を公園の隅に置く手法はあんがい気持ち悪い。しかしこの気持ち悪い手法はカバに限らずよく見られる。スプリング遊具だったり、シーソーだったりと数えたらきりがなくなるが、砂場や鉄棒、そしてジャングルジムや複合遊具まで二つ並べて設置してある公園は少なからずある。なぜそうなるのかはよく分からないが、要はバカでトンマでノータリンなのだ。
遊具ハウスもめっきり減った。大方のものはコンクリートづくりだから、そう簡単には撤去にならないはずだから、着実も減少しているのは間違いない。木製のものも少なくなった。みんなコンクリートマンションがいいのと同じで、やっぱり公園でも木製の戸建は流行らないのか。足立区かどこかの公園でわりと新しいタイプの遊具ハウスを見たが、それは木製だったような気もするが定かではない。
もうそれほど希少価値があるのだ・・・。
もうそれほど希少価値があるのだ・・・。
こんな鉄棒が公園に必要なのだろうか。幼稚園や保育園の園庭なら、客寄せパンダとしての有効性はあるのかもしれないが、公園はそんな場所ではない。
この鉄棒で逆上がりをやってみると、どんなに運動神経が鈍い子どもでも3分で出来るようになるなら、必要かもしれないが、なかなかそんな魔法のような鉄棒には見えない。大人のヨコシマナな考えがびんびん伝わってくる鉄棒だ、これは。
この鉄棒で逆上がりをやってみると、どんなに運動神経が鈍い子どもでも3分で出来るようになるなら、必要かもしれないが、なかなかそんな魔法のような鉄棒には見えない。大人のヨコシマナな考えがびんびん伝わってくる鉄棒だ、これは。
マンボウかどうかは分からない。フグかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
我はマンボウの肉を食べたことがある。東北三陸地方を旅したとき、漁港近くの小さな食堂で食べた。「東京では食えねぇーだろう」とヨボヨボのヨッパライ爺さんが教えてくれた。不味くはないが、たいして旨いとも思わなかったのでアーとか、ソーとかいい加減な返事でごまかし、やることも、したいこともなかったので、そのときポケットにあった銭でしこたまビールを飲んでしまった。あれから何十年たったろうか。今はもうほとんどビールも飲まない。あのとき、我のビールを勝手についで飲んでいたヨッパライジジイーも、そして曇りガラスの向こうで白っぽく揺れているように見えていた労働者諸君も、東日本大震災のずっと前にあの世に行ってしまっていたに違いない。
このマンボウかどうかわからない遊具?を見て、そんな遠い昔のことをちょっとだけ思い出した。この遊具?もずいぶんと年をとっている。
我はマンボウの肉を食べたことがある。東北三陸地方を旅したとき、漁港近くの小さな食堂で食べた。「東京では食えねぇーだろう」とヨボヨボのヨッパライ爺さんが教えてくれた。不味くはないが、たいして旨いとも思わなかったのでアーとか、ソーとかいい加減な返事でごまかし、やることも、したいこともなかったので、そのときポケットにあった銭でしこたまビールを飲んでしまった。あれから何十年たったろうか。今はもうほとんどビールも飲まない。あのとき、我のビールを勝手についで飲んでいたヨッパライジジイーも、そして曇りガラスの向こうで白っぽく揺れているように見えていた労働者諸君も、東日本大震災のずっと前にあの世に行ってしまっていたに違いない。
このマンボウかどうかわからない遊具?を見て、そんな遠い昔のことをちょっとだけ思い出した。この遊具?もずいぶんと年をとっている。
寝転んでいる姿を模したパンダ型遊具。このパンダ、何故か人民帽をかぶっている。中国から来たパンダだから中国共産党を象徴させるような人民帽をかぶせたのだろうか。こんなものをよく自治体が許可したものだ。人民帽は中国共産党の第一世代あたりを象徴する帽子だ。毛沢東を先頭にそんな輩はみなこの帽子をかぶって偉そうににしている。だいたい、「人民」などと言う言葉がとてもイカガワシイ。今でも「人民よ立ち上がれ」とか何とか言われて犬死する人々は世界中にごまんといる。「○○に寄り添って」などと言って無知無能で何もしない詐欺師ペテン師まがいのロクデナシがソーリになっている国民も、キョウサン主義が大好きなソーリにとっては糞みたいな人民に過ぎないのだろう。
我には我自身でもよく分からないことがいくつかある。その一つが回転遊具に対する思いいれがすこぶる強いことだ。理由はまったく分からない。もう子ども時代の友達とも連絡がつかないし、親も死んだりした。
回転コーヒーカップやメリーゴーランドを見るだけで勝手に涙が出、止まらなくなる。
公園に設置されているいろいろなタイプの回転遊具もちょっと見るだけで、もうそこから動けなくなる。写真のこれも回転遊具の一つ。
何があったんだろうなぁー、何かがあったのだろう・・・しかしその訳が分からない。もう100パーセント分かることはないのだろうが・・・ちょっと残念でもあるし、安心がないわけでもない。長く生きていれば黙って墓場に持っていかざるをえない事柄が一つや二つは誰にでもある。
回転コーヒーカップやメリーゴーランドを見るだけで勝手に涙が出、止まらなくなる。
公園に設置されているいろいろなタイプの回転遊具もちょっと見るだけで、もうそこから動けなくなる。写真のこれも回転遊具の一つ。
何があったんだろうなぁー、何かがあったのだろう・・・しかしその訳が分からない。もう100パーセント分かることはないのだろうが・・・ちょっと残念でもあるし、安心がないわけでもない。長く生きていれば黙って墓場に持っていかざるをえない事柄が一つや二つは誰にでもある。
こんな形に棒を並べた遊具渡り棒はあんがい珍しい。はじめて見たかもしれない。これだったら、ボンクラな我にでも出来そうだ。まぁー「出来そうだ」と「出来る」では大きな開きもあるが、我にないのは資金と資本と人間関係と家族と友人と海パンとサングラスなどなど・・・数え上げたらきりがない。だから、あるものを数えてみようと思ったら・・・何もない。蚊取り線香もない。
遊動円木は危険な遊具の代表格の一つ。
本来の遊動円木は丸太や電柱を使っていたが、この変形は角材を使っているが、基本構造は遊動円木と変わらない。この変形遊動円木が今でも公園にある。撤去!!撤去!!と言っても、あるところにはあるし、使用禁止にもなっていないのが現状。
本来の遊動円木は丸太や電柱を使っていたが、この変形は角材を使っているが、基本構造は遊動円木と変わらない。この変形遊動円木が今でも公園にある。撤去!!撤去!!と言っても、あるところにはあるし、使用禁止にもなっていないのが現状。
あんがい珍しいのが木製の遊具汽車ポッポ。無地のものは都内では数えるほどしかない。。それもどれもが古い。もう引退間近のものばかり。カイオウも頑張ったが、この木製遊具汽車ポッポも耐えた。写真では分からないが、ボロボロだった。