goo blog サービス終了のお知らせ 

田舎くらし

趣味、あそび、旅行

中国地方100名城の旅(1)

2023年11月15日 | お城巡り


羽田空港~岡山空港へ 観光バスツアーの始まり
1日目

津山城 美作に信州川中島から18万石で拝領した信長の小姓
森蘭丸の弟(盛忠政)が1603年大名として赴任小高い山
(鶴山)を城地と決め13年かけて築城
4代藩主で終わりを迎え その後は、松平宣富が藩主になる








入口から入り冠木門左に曲がり三の丸跡 二の丸跡をを抜け本丸跡へ










石垣は立派なつくり






一部公園になっているのです






本丸御殿の再現
















本丸跡地




白い服の人が 歴史ガイドの人
お城のことや、藩主のことなど説明を聞きながら巡るので為になる




天守跡


隅櫓




現存の時の写真 明治8年に取り壊しになりました


天守から見えたであろう景色 なかなか高低差もあり、
まあまあのお城でした

この後は、移動 鳥取城へ向かいます






鳥取城に入る手前右に見えるのが仁風画国指定重要文化財
1907年旧藩主、鳥取池田家14代目【池田仲博)が建たものです フランス風ルネサンス様式洋館
庭園は江戸末期、12代藩主(徳川慶喜の兄)池田慶徳が作りました






西坂下御門からの入城

続から

1573年、因幡の国(鳥取城)を収めるために来る  戦闘の時は、上で戦い
普段の暮らしは麓で 山はつちからなる 土塁、切岸 竪堀の城づくり 山名豊国氏
羽柴秀吉、総大将の基 中国地方攻め毛利方の最前線鳥取城を2度に渡り攻める
歴史に残る兵糧攻め 吉川経家は部下と民衆を守るため自害した
鳥取の(渇え殺し)と言われいる 秀吉の三大攻略の一つである
この後は、秀吉の配下 宮部継潤氏石垣や天守を築き 近世の城の形にした
息子の長房は、関ヶ原で朝来の武田城の城主 赤松氏などに攻められ
鳥取城は開城 その後は姫路城を築いた池田輝政の弟 池田長吉が入ります
鳥取池田家は江戸幕府以来徳川一門として厚遇されました






お城の階段は2種類ありまして 一つは膝くらい高い石段 これは、攻め込む相手が
登るのが大変一度の上がれない 二つ目は時代が変わり、殿様が馬に乗ったまま
登城出来るように馬の歩幅で登れるように低く長い間尺で出来ている


登り石垣階段で 本来の目的は竪堀の役目をしている、階段跡






古くはないですね






上へ上へと上ってきましたが 今回は、二の丸までなのです これが、ツアーの弱み








この円い石垣は何ですか?  これは、石垣が崩れるところを抑えるための
修復工事の跡 これがあるということは、石垣が上手に作られていないということを表している
ということになります ここは、NHKのお城番組で 千田先生が説明されたところです
時間が経つにつれ水抜きが上手くできていないと 石垣が外圧に押され 石が外に飛び出してくる
城造りが下手だったということになります この後に廻るお城の石垣に膨らんだ石垣が出てきます
のちの報告で、


この上が本丸跡地  さらにその先が太閤ヶ平、片道1時間半のコースになっています
私たちは時間の都合、三階隅櫓跡から円い天球丸まででした 33万石鳥取池田家城
見学終わりです 

次の日は、月山富田城~松江城~岡山城へ行きます


最新の画像もっと見る