連島境界刻石二種の拓本を縁あって購得
第72回毎日展もお休み、令和3年1月開催予定の第40回日本刻字展も翌年の令和4年に順延、我が書縁會も第八回展は令和3年5月(東京都美術館開催)に延期、、、、、、
そんなこんなですが、書の道はそれなりに楽しく進めていたある日
お電話にて安藤先生と漢代の摩崖碑についての話題になり、
私・・・「前漢の羊窩頭刻石とか蘇馬湾刻石は素朴で自由、文字が大きくて伸び伸び自然体で書かれているところがいいですね、後漢の石門頌、開通褒斜道刻石は、大小の文字が互いに響き合っているかの如くに並んでいますが、
こちらはそんなことも意識されていない感じですね、、、」
私・・「それで連島境界刻石二種の資料を探していましたら、毎日新聞社で本を出版されているんですね、さっそくヤフーオークションで購入しました」
そうしましたら翌日
安藤先生・・・「私にその2種の拓本が有るけど、もし良かったら分けてあげるよ、ちょうど2枚ずつ持っているからね、私は3回もここの現地に行きましたよ、荒い岩場で、もし足を踏み外したら大変で命がけでした。
現に毎日書道会のTさん(私も存じ上げている偉い人)が大怪我をして、中国の軍用機で病院に運ばれ、九死に一生を得た話は知る人ぞ知るらしいね、、、その一件以来暫くは見学禁止になったらしいぞ、、、」
う~ん 一日考えてみた結果!!
私・・・「先生その拓本を、是非私にお願いします」🙇
という訳で2000年も前に刻された碑の拓本が我家に届きました 🚚
其の1:蘇馬湾刻石(縦137.3㎝×横234㎝)
一部拡大
其の1:蘇馬湾刻石(そばわんこくせき)
1998年末に、中国連雲港市連島鎮東連島村蘇馬湾の海辺で、蘇馬湾刻石を発見。
研究を重ねた結果、この刻石は「始建国四年四月朔乙卯」の紀年が明記されているので、西暦12年夏(陰)3月1日のことであるとし、
王莽の時代の東海郡と琅邪郡の境界刻石と結論を下した。
この辺りは、今はリゾート地として開発され、美しいビーチが続くきれいな場所となって夏場は観光客で賑わっているとのことです。
其の2 :羊窩頭刻石 右石(96.5×77.0㎝)
左石(86.0×75.0㎝)
其の2 :羊窩頭刻石(ようかとうこくせき)
1987年連雲港市の考古学者は羊窩頭(ようかとう)北側の海辺で、隷書体の刻石(以下、羊窩頭刻石と略称)を一基発見し、これを前漢時代の東海郡と琅邪(ろうや)郡の境界刻石と推定した。
こちらの刻石は物凄い岩場の切り立った断崖にあり、眼下には荒波の押し寄せる危ない場所にあるそうです。
其の1の刻石のある場所とは2キロメートルほど離れた所にあるので、殆どの研究者は一緒に見学されるとのことです。
前漢(205BC~AD25)と後漢(25~220)の間にわずか15年間の新という王朝があり、建国王は王莽(おうもう)という、
この短い新の時代のものということにも何故か心惹かれるものがありました。。
東海郡と琅邪郡の境界を示した中央政府の永久的な公示らしいですが、前漢末 後漢初の行政地理や、中国古代史を研究する上で貴重な実物資料であり、この2刻石は現在までに発見された世界で最古の領海刻石かもしれないとのことです。
さてさて歴史的価値などは本を読んで学ぶこととして。
拓本を広げると予想していた通り、朴として雄大、2000年の悠久なる時間が何かを喋りだすのではないか・・・と期待してしまうほど凄い存在感であります。。
2018年1月にセントラルミュージアム銀座で開催された 謙慎書道会特別企画『新出土の書ー拓本の魅力ー展』に安藤先生所有の拓本が何点か展示(出品図緑有り)されておりましたが、その中の蘇馬湾刻石につきましてはその時の拓本と、今回の私の拓本とでは採拓した時期が違う様で、私のは先生の拓より後のもののようでした。
その後ネット上で調べていましたら同じ拓本を発見!
中国の人が発表されておりまして、よくよく見たらそれは私のと同じでちょっと嬉しく思いました。。
という訳で私ひとりで看ていても勿体無い、時々は教室の皆で看ながら時空を旅しようと思っています♡
また一つ臨書する楽しみが増えましたね 🖌
ありがとうございます m(__)m
※ 毎日新聞社から出版された本にこれらの拓本や摩崖の写真が載っていて、ここを訪れた際のこの辺りの様子が、何枚かの写真と共に詳しく記されています。参考にさせて頂きました。
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