香竹日記

書道の奥深さを楽しんでいます

冨士山と五重塔

2024-06-06 20:58:02 | 漢詩
季節は今より少し前の写真が出てきますが・・・

やっぱり、我が街は冨士山でしょう


ふ~ん トミーさんは五重塔を左に置きましたね~
見て見て!





それから、富士北麓のお花さん達は遅れて開きます


トミーさんの性格通りトミーさん家のお庭は整然としていてセンスよく、
入り口には小さな白い清楚な花がつづき、
よく見ると菫も目立たないようにひっそりと咲いていて・・・



オダマキは家の北側に並んでいます






やがて、奥まっていよいよ牡丹が紅白で登場します



葉の上には露がコロコロして光り輝いていますね、


日本では桜の花が代表格ですが
中国では牡丹の花を言います。


それでは、ここで久しぶりに、牡丹の代表的な漢詩を一首
ご紹介いたします

「 牡丹 」 皮日休(唐の時代の役人)

落盡残紅始吐芳
佳名喚作百花王
競誇天下無双艶
独占人間第一香



「 牡丹 」 
残紅を落し盡して 始めて芳を吐く
佳名を喚びて 百花の王と作す
競い誇る 天下無双の艶
独り占む 人間 第一の香



牡丹は春の花が全て散ったあとの初夏に咲き始め、
その素晴らしい名は「 百花の王 」と称される。
牡丹は天下に並ぶものの無い艶やかさを誇り、
この世で最も芳しい花という地位を独占しています。

 
※ ここ冨士北麓では春の訪れが遅いので、
春の花も初夏の花も一斉に咲き始めます。

こここのところが、この漢詩と季節感がややずれてしまいます。
でも、詩ですからそんなことは気にしません。


又、他にも牡丹の有名な漢詩には、李白、白楽天などが浮かんできますが、機会が有ったらいつか是非紹介したいです✧♡

では又👋



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パール冨士

2023-08-28 21:47:53 | 漢詩
パール冨士の写真をしみじみ眺めていると

なんとなく、冨士山峰上の月の詩、
荻生徂徠先生(おぎゅうそらい先生)が浮かんできましたので
ここで日本人の漢詩を一首ご紹介したいと思います。



 還館作
甲陽美酒緑葡萄
霜露三更満客袍
須識良宵天下少
芙蓉峯上一輪高

※ 甲陽:甲斐の国、山梨県をいう
※ 三更:真夜中の12時前後
※ 客袍:旅の衣、袍は綿入れ
※ 須識:きっと分かる
※ 良宵:月の良い夜
※ 芙蓉峰:冨士山
※ 一輪:満月



 館に還っての作
甲陽の美酒 緑葡萄
霜露 三更 客袍に満つ
須らく識るべし 良宵 天下に少なるを
芙蓉峰上 一輪高し


甲斐の美酒、緑色の葡萄酒。
口にふくみつつ真夜中に坐せば、霜露が降りて旅の衣をうるおす。
今夜の様な良い夜は天下に稀と知るべきだ。
おりしも冨士の峰の上に、一輪の満月が高々と輝いている。



こちらの詩では季節が寒い感じですが、
暑さ寒さを超えて感じれば・・・
月の綺麗な風景が浮かんでくる 良い詩ですね、


この詩と共に
<冨士山峰上の一輪の月><パール冨士>

この写真の左上の黒い点の様な物は拡大すると 鳥 でした
凄い瞬間に入り込んできたこの鳥はきっと縁起の良い印かな
と、思いたい💛


既に赤冨士だけでも縁起がいいのにプラス峰上の満月までとは
しかも快晴じゃないとね







河口湖で見るパール冨士




因みにダイヤモンド冨士は冨士山と太陽

パール冨士は冨士山と満月
月は満月で気象は霽れ、
よほど恵まれませんと巡り会えません (・∀・)イイネ!!


いつもながら ちーちゃん一家と
お孫さんのHI君の才能と努力の詰まった写真提供を有り難うございますm(__)m

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あるストーリーの牽牛花(アサガオ)開く

2021-10-22 19:55:37 | 漢詩
安藤豐邨先生から素敵な漢詩作品が届きました



 日中友好花  安藤豐邨作
紅紫瓊葩縁白姿  
牽牛花美至今遺 
日中友好廣施種  
将刻相依為命辭     


紅紫瓊葩 縁白の姿
牽牛花の美しさ 今に至りて遺こす
日中友好 広く 種を施く
将に刻まん 相依るは命を為すの辞


牽牛花 :アサガオ
※相依為命:相手を思いやる気持ちがあれば生きていけるという意味
      清朝最後の皇帝 愛新覚羅溥儀の弟 溥傑が大切にしていた言葉。









あらっ 使われている用紙にもアサガオが、、、じっくり目を凝らして探してみました、ちょっとニクイデスww


ある時『毎日新聞』紙上にアサガオの記事が載っていまして
偶々、私はその記事を目にし非常に関心を持ちました。

清朝最後の皇帝 愛新覚羅溥儀の弟 溥傑(溥傑は書家でもありました)と
その妻 浩(日本の旧侯爵・嵯峨家から嫁ぎました)の思い出の一コマで、、、



激動の時代が過ぎ、溥傑が特赦を受けた後の1961年、
妻の 浩が再会を果たすとき「日本の思い出に」とアサガオの種を買ってそれを携えて中国に渡ったそうですが、
そのときのアサガオが繰り返し可愛がられてご夫妻の子供へと受け継がれ、現在も美しい花を咲かせている・・・。

ざっくりとほんの一部を紹介すると、こんな感じの記事でした。。



それで、毎日書道会のSさんに「この記事にあるアサガオの種を欲しいです」 と我儘なお願いをしましたら


2020年1月の日本刻字協会展の東京都美術館会場に
安藤先生に3粒、私に3粒大事そうに持って来てくださいました。



2020年夏 安藤先生は知り合いの植木屋さんにお願いして1本発芽〇
2020年夏  私は3粒全滅で芽が出ませんでした✖


2021年夏 私ついに、安藤先生から6粒頂いた中で2本発芽成功〇






ではその結果を見てください
 

  



    




大輪の見事な花が次々と咲いて、、、
    
あまりの美しさにご近所さんも早起きして見に来るほどになり

夏の間中、皆が愛おしい気持ちで眺めておりました。


 
Sさんどうもありがとうございます 感謝m(__)m



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芳野三絶(日本人による吉野桜の漢詩)

2021-06-13 20:51:44 | 漢詩
ちょっと季節外れになってしまいましたが今頃、
桜の花のまとめとして、かねてより気になっていた「芳野三絶」について記しておきたいと思います。

「芳野三絶」というのは、
梁川星巌(1789~1858)・
藤井竹外(1807~1866)・
河野鉄兜(1825~1867)の三名が
吉野山をうたった優れた漢詩のことです。
吉野が桜の名所ということで、わざわざ芳という字にしている。



① では梁川星巌の詩から
 芳野懐古
今来古往事茫茫  
石馬無声抔土荒  
春入桜花満山白  
南朝天子御魂香  

今来古往 事茫茫
石馬声無く 抔土(ほうど)荒る
春は桜花に入って 満山白し
南朝の天子 御魂香し

※ 南朝天子:後醍醐天皇(1288~1339)



② 二番目に藤井竹外の詩
 芳野懐古
古陵松柏吼天飆  
山寺尋春春寂寥  
眉雪老僧時輟帚   
落花深処説南朝  

古陵の松柏 天飆(てんぴょう)に吼ゆ
山寺の春を尋ぬれば 春は寂寥
眉雪の老僧 時に帚(ほうき)を輟(とど)めて
落花深処 南朝を説く

※ 古陵:後醍醐天皇の御陵。延元陵
天飆:つむじ風
※ 山寺:如意輪寺を指す
※ 南朝:1336年~1392年の72年間



③ 最後に河野鉄兜の詩
 芳野
山禽叫断夜寥寥  
無限春風恨未消  
露臥延元陵下月  
満身花影夢南朝 

山禽叫ぶを断ち 夜寥寥
無限の春風 恨み未だ消えず
露臥す 延元陵下の月
満身の花影 南朝を夢む

※ 延元陵:後醍醐天皇の御陵



三首どちらの詩にも風景が映画の一場面の様に描き出されてきます

春、桜花の季節、こころ躍るような美しい風景の時期に
悲劇性を帯びた南朝の後醍醐天皇を偲ぶ・・・

どちらも深い詩情が沸き上がり、感動の詩が生まれていますね。

🌕 🌸🌸🌸

露臥延元陵下月 
満身花影夢南朝  


後醍醐天皇の陵のところにごろんとそのまま寝転んでいると露が降りています
するとそこに月が差し、桜の花影が満身を包み込んでくれている・・・
そんな中で南朝の夢を見るんです。。


ここの部分がたまらなく好きです 💛


吉野山について気持ちが向いていると、「桜本坊」天武天皇夢見の桜とか、、、この地にゆかりのある、大海人皇子と讃良皇女のことが浮かんで来て又機会があったら思い出し整理してみようと考えてしまいました。。。



尚、「芳野三絶」につきましては石川忠久講話集他、参考にさせて頂きました
感謝です。

    ― 桜シりーズ一旦終わり ー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文人画に寒山詩

2021-03-20 23:28:48 | 漢詩
 




これは珍しい! 貴重な作品です あるお寺さんで見せて頂き、紹介する許可を得ました。

M画伯は長い間パリにお住まいの高名な方ですが、パリの酒場でワイン片手にして生活感溢れる油彩画などはお馴染みでいらっしゃいます。


かなり前になりますが、M画伯が晩年 富士吉田に逗留されて墨彩画を描かれていたお話は伺った覚えがありました おそらくその時の一枚なのでしょう。


牛の背に乗っている二人は寒山 拾得なのかな・・・?
唐代の多くの方々に親しまれていたとされる
「風狂の寒山」「顛狂の捨得」
(よく経典の巻物を抱えているのが寒山 箒をもっているのが捨得でお馴染み)



M画伯の絵に寒鷗先生が筆を執り、下記の 寒山五言律詩の讃 を自然に組しています。

画伯と書家 お互いを尊敬して静かに響き合っている・・・
今となっては 数少ない一枚の尊い作品です。




 寒山詩   

自楽平生道  
烟蘿石洞間  
野情多放曠 
長伴白雲閑  
有路不通世  
無心孰可攀  
石牀孤夜坐  
圓月上寒山  


自ら平生の道を 楽しみ
烟蘿 と 石洞の間にあり
野情には 放曠多く
長(つね)に 白雲を伴いて閑なり
路有れども 世に通ぜず
心無ければ だれか攀ずるべけんや
石牀に 孤り夜坐すれば
圓月 寒山に上りぬ
 

烟蘿石洞:もやや蘿(つた)のからまる岩窟のところ
放曠:物事にこだわらず、心の赴くままにふるまうこと

〇 三百ほどの寒山の詩には、一つも題がつけられていない



この寒山詩の讃が入っているので牛に乗って楽しそうに笛を吹いている少年が寒山捨得なのか、決めてしまいそうですが

 十牛図の中の 第六図 騎牛帰家(きぎゅうきか)のことも気になっていました。

安らかな境地の中、牛の背中に乗って、ゆらりゆらりとゆられ、笛を吹いたり、歌いながら家に帰る様子。

心の平安が得られれば、
鞭も縄も不要で、もはや一念の邪心も無く
牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない

こちらの 十牛図のつもりで笛を吹く少年を書いたのでしょうか?

今となってはおふたりの先生にお尋ねする術が・・・ございません♪




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする