香竹日記

書道の奥深さを楽しんでいます

「万巻の書を読み、万里の道を行く」

2024-10-06 21:51:21 | 国内旅行
最近はめっきり涼しくなってきて、
私のアホな頭でも何か考えを整理したくなったりする。
秋ですねぇ~🎻🌰🍇🎵


さてさて、新潟から帰って来て又、読み進めていくとワクワクしてきて
内容の全てが大変理解しやすく、自分の人生にも取り入れたく座右に置いておきたい気分になってしまう一冊になりました。





というわけですので、以下にほんの一部だけを紹介させて頂きます。



董其昌の「万巻の書を読み、万里の道を行く」の語を信条とする鉄斎は、
その語の通り24歳の越前の旅を皮切りに72歳の紀州の旅まで全国各地を巡遊していました。
鉄斎の旅は、画家によくあるスケッチ旅行とは異なり、古事記・日本書紀・万葉集をはじめ我が国の古典の旧跡を訪ね、真形を描き、歴史・地理・偉人・賢人・孝子の自績探索を目的とするものでありました。


鉄斎は生涯「ワシの画を見るなら、先ず賛を読んでくれ」「いわれのないものは描かぬ」と言い続け、画題や画賛に意を注いでいました。


彼の「画賛」は、山水・神仙蓬莱・人物・鳥獣・花卉等、多岐に亘り、しかも自詠の漢詩・和歌はもとより、文学・哲学・宗教・芸術・地理・天文・風俗に至るまで、
和漢・古今を問わず広く典籍に根拠を求め、広汎な内容を有しておるのです。




次に、會津八一は書作品の制作に際して、構想に時間を費し、熟慮を重ねた結果として漸く筆を執る推敲主義に徹した制作者でありました。

會津八一は何を書くかという書の題材について、

芸術として書くからには、字さえ上手に書けば文句は何でもいい言うというわけには行かない。
その中に盛ってある思想も感情も、まず自分のものでなければいけない、
自分のものではないにしても、自分でほんとうに感動したものでなければならない。(中央公論)
とのべています。



ー内容はぜひ手に取ってご覧くださいー



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新潟に着いて夜の居酒屋まで、感動の嵐!

2024-10-04 21:25:37 | 国内旅行
さて、会津八一記念館は新潟日報メディアショップ5階にあります。

ここのビルの展望階ではガラス越しですが 海が、はい日本海が見えました。
 



新潟市は栄えておりますね、なかなかどうして大きな街でした。


早速、11時から野中吟雪先生の「鉄斎・八一の作品解説会」を聞いて、ここのところ守りに入っていた細胞群が目を覚ました?

息を吹き返したらしく、静かに自分を見守りながら、、、
野中先生の作品解説に集中していきました。


先生は先ずは、鉄斎・八一に深い愛情をお持ちでいらして、
その作品一点一点に対して丁寧に熱っぽく説明してくださり、
時のたつのが惜しい感じがいたしました。


それから丹羽先生がホテルでの昼食を案内してくださり🍽


午後は、横田恭三先生による文芸講演会「八一がみた中国古代金石」を聞いて、こちらも資料がありまして、定員120名の受講生とともに熱心に学ばせて頂きました。

流石でしたのは、講義の最後に受講生が質問をする場がありましたがこの時の皆さんの質問が高度で細部にわたっていて、
私としては久しぶりに勉強になった感じがいたしました。。。



※ ここで超感動!
今年第9回光晨書展で出品する拓本『 三老諱字忌日記 』
今回の横田先生の講演の参考資料「 會津八一中国へのまなざし」に堂々と載っていました。
この『 三老諱字忌日記 』という拓本はあまり一般的ではないのかな、と思っていたのは私だけでした。
改めまして、この拓本資料を展示できることに自信がつきました。
良かったです。。。



その後、再度 鉄斎・八一の作品 をゆっくり見て、、、


※ やっぱりありました 「與奥田勝書」 文面は奥田さんの芸術講義や骨董趣味を厳しく戒め、自身の制作に専念せよ という主旨の叱咤激励で、奥田さんを想う愛情に溢れたものです。
こちらは単なる書簡ではなく作品としての体を成しているものでして、いつ見ても正に琴線に触れる素晴らしい作品でありました。。。



後は上越新幹線で宿泊先の長岡市に移動🚅(車窓からは夕焼けが)




長岡では新潟の書縁會仲間と居酒屋で、それはそれは日本海の美味しい肴に地酒 🍶

でもね、一番のお気に入りは『栃尾の油揚げ』
新潟県長岡市の名産品、各お店によって揚げ方とか特徴があるのだそうで何回も「あぶらげ」 と言って注文しちゃいました。

では二番めのお気に入りは?
海のお刺身系は言うまでもなく、締めに戴いた牡蠣がいっぱい入った炊き込みご飯も美味しかった~♡


楽しい会話に時間がたつのも忘れたい夜が更けていきました。。。


※ おまけ・・・二日後に寺泊から大好物のイカと甘えびがぎっしり入ったお土産が冷凍便で我が家に届きました🚚
わぁーい!! 〇〇先生からの贈り物ですWW🎀

丹羽先生・横山さん・和田さん皆さん大変お世話になりました 感謝です_(._.)_


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『鐵齋・八一の文人世界』 新潟に行って来ました🚅

2024-09-13 21:13:36 | 国内旅行
2024年9月8日(日)~9日(月) 新潟市に行って来ました🚅

富岡鐵齋(1837~1924)と
會津八一(1881~1956)  のお二人ともに学芸に身を投じ、それぞれが
独自の世界を切り開き、凄まじ いまでの人生を送っております。



大正13年の大晦日、近代日本画の巨匠富岡鐵齋がその生涯を閉じて今年は丁度百年になる。


會津八一記念館でもこれを記念し
「富岡鐵齋没後百年記念 鐵齋・八一の文人記念展」が開催されました。



ここの館長さんが野中吟雪先生でしたので、安藤先生の個展にもお出で下さった関係で、勝手に親しさも感じて思い切って
館長の野中吟雪先生の 「鐵齋・八一の作品解説会」 を聞くためと

跡見学園女子大学文学部教授 横田恭三先生の文芸講演会
「八一がみた中国古代金石」を聞くために


急遽新潟市に出かけることにしたのです。



早速、書縁會の新潟県にお住いの仲間に連絡していろいろ助けてもらうことにし、バタバタと準備にとりかかりました。
何でもない日常だけでも相当多忙な私、さてどうなりますかね。




9月8日(日)朝6時01分富士急行線月江寺駅発
(自宅からゆっくり歩いて15分で駅に到着)
勿論、無人でした → 乗車券は電車に乗ってから車掌さんが巡回して来てくれますのでそこで購入します。






なんとまぁ 日本晴れです!
駅のホームから富士山をみてー🗻




途中、大月駅~高尾駅~乗り換え無しで~東京駅に8時32分到着
東京駅にてちょこっとブラブラと気分転換して



朝ご飯買ってみました→ 古市庵のお寿司はこちらです







9時12分発 JR上越新幹線 とき311号
 




東京駅始発なので自由席でも充分ゆとりがあり、
快適なうちに10時41分新潟駅到着🚅 
※東京🚅新潟間は1時間29分でした。案外近いんですね。



新潟駅ホームで丹羽先生が手を振ってくれていました。
あぁ~ひと安心です。。


さて、ここ新潟で触れた文人たちとは、、、

記念に発行された
「富岡鉄斎没後100年記念
鉄斎・八一の文人世界」

という本に丁寧に隅から隅まで全て心を込めて記されております。
會津八一記念館に問い合わせて是非お手元で読まれることをお勧めいたします。



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古都奈良三人旅ー6(飛鳥寺、酒船石遺跡 等 巨石文化の跡)

2020-04-20 15:31:19 | 国内旅行
☆奈良の旅3日目ー2
2019年11月11日(月)

〇 飛鳥寺
用明天皇2年(578年)仏教の受容を強く推進していた蘇我馬子は飛鳥寺の建立を発願。
その翌年、朝鮮半島の百済からは、崇峻天皇に仏舎利が奉献され、同時に僧6人を始め、寺工2人、鑪盤博士1人、瓦博士4人、画工1人が派遣されてきました。

仏教伝来の大きな意味は、単に仏教が伝わったというだけではなく、それを取り囲む仏教文化全体と当時の最先端技術が伝来したことにあります。

🚖 樫原神宮前駅からタクシーで飛鳥寺に向かう間、田園風景でのどか、、、
季節も秋、柿の実が日に映えて、今こうして目にするものがいにしえの時代にも同じようであったろうか、、、などと思いをめぐらせているうちに飛鳥寺に着きました。


〇 釈迦如来坐像(重文) 飛鳥時代・銅造
この仏像は、我が国の現存する最古の釈迦如来像とされていて、その開眼供養は609年です。
作者は法隆寺釈迦三尊像の作者でもある鞍作止利(くらつくりのとり)という人物であります。


       

嘗て聖徳太子の師といわれる高句麗の高僧恵慈や寺の完成時に来朝した百済の高僧恵聡などがこの寺に住んで本格的な教学研究の場となっていました。

そして、その後推古天皇33年(625年)高句麗僧恵灌が入り我が国に初めて体系的な仏教教学を伝え、さらに斉明天皇7年(661年)当時の僧道昭が唐留学を終え帰朝して玄奘三蔵より学んだ唯識説(法相宗)を初めて伝えています。

さらに天平期には当時の僧智光が三輪宗の「空」の概念から、後の浄土思想の源流となる思想を独自に展開したという。

これらの史実が示す通り、日本仏教はこの寺から全て出発し発展していて、まさに日本仏教のルーツはこの寺にある。と言えます。。


靴を脱いで本堂に入らせて頂くと、釈迦如来坐像が手の届くところにあり、ここでゆっくり三人で座して、1400年前の聖徳太子に思いを馳せたりして、、、旅のひとときを楽しみました。


やっぱり 釈迦如来坐像の横にはこの人 聖徳太子16歳の時、
父用明天皇の病気平癒のご祈祷をされているお姿の像
       


飛鳥寺近くにある「蘇我入鹿首塚」も見てきましたが、

曽我と小綱生まれの者は多武峰(談山神社)には決して参拝せず、縁組もしないとされた、筋金入りの鎌足嫌いな蘇我一族とゆかりの深い人たちの話とか

入鹿の首は切られてもなお飛び跳ねたという日本史上一大事件の「乙巳の変」の話とか、 ここでは割愛する。
  
   ↓

秋深い晴天の午後、嘗て蘇我蝦夷や中大兄皇子たちも歩いただろう野の道を三人で、テクテク歩いて・・・
  
   

〇 酒船石遺跡(さかふねいしいせき)

今は、きれいに整備されていて歩きやすい
ここを登って行く
        


すると小高い丘の上の少々鬱蒼としたジメジメ感のある場所にあった

 

ほぼ東西で長さ 5.5m  幅(南北)約 2.3  厚さ 1

酒船石のある丘陵全体は自然のままではなく、人工的な丘である。

巨石を自在に移動させた形跡、非常に鋭利な石の切り口
飛鳥時代には謎の巨石文化が発達したのでしようか・・・

  ↓ 🚖 タクシー

石舞台古墳 蘇我馬子の墓と伝えられている
        

飛鳥時代592年~710年の118年間にかけて奈良の飛鳥に宮・都が置かれていた時代、この短い期間にこのような巨石文化が発達したことは謎多きことです。
因みに、聖徳太子は574年2月7日~622年4月8日 政治の中枢で活躍されていました。

   ↓ 🚖 タクシー
タクシーの運転手さんは観光地の説明が慣れていて、お陰様で楽しくこの辺りの巨石の跡を回ることができました。
  
   ↓
   
15:07 樫原神宮前駅
     ↓ 🚊
 京都駅 ※ここではいろいろお買い物
    ↓ 🚅 新幹線
 三島駅
    ↓ 🚙 Cさん運転で帰路に

20:30ごろ自宅 いい旅をありがとう♡


<旅行感想>
奈良という土地と,そこで1400年も重ねてきた歴史、言葉で言えないもどかしい感想・・・

バタバタとすぎる日常からほんの3日間、悠久の歴史を垣間見させて頂いたわけですが、心の奥になんとも温かい、豊かな感情が目覚めてくれてたら嬉しいのです。

帰ってから にわか奈良好きとなり、光明皇后と三体の観音像の話、楽毅論の臨書作品は勿論。 
持統天皇の一生と藤原不比等の台頭、 
それになんといっても聖徳太子につきましては出生の秘密から謎めいて、その一生と未来記、法隆寺全体が太子の供養塔といわれる以所、、、等々。

ただ日本の歴史を読むと、天皇のお名前、その同じ人の子供時代のお名前とか、誰が誰と結婚してそのまた両親は???これが慣れてくるまでがなんとも・・・

ちょちょっとほんの一部回っただけでしたので、此処も行きたい、あそこも行きたい、もっと時間をほしい、、、とか思ってしまいます。
それと、仏像に関してろくな知識もありませんが、日本の美術として相当高い価値を感じました。
日本人として世界に誇っていいなと、こころから感じています。

そして同行のお二人さん、笑える場面ばかりが浮かんできますが、お疲れ様でした いつもいつも ありがとう♡


※旅に際して以下の著書を携えて大変参考にさせて頂きました。お礼を申し上げます。
入江泰吉と歩く『大和路仏像巡礼』 入江泰吉・田中昭三
『土門拳の古寺巡礼』他写真集各種
其の他、ネット上の多くの情報





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古都奈良三人旅―5(長谷寺~)

2020-04-17 21:55:56 | 国内旅行
☆奈良の旅3日目ー1
2019年11月11日(月)

 8:48 近鉄奈良駅
 ↓  🚊
 9:58 長谷寺駅
 ↓  🚖 タクシー
10:20 長谷寺


〇 長谷寺
真言宗豊山派総本山

長谷寺に残されている『銅板法華説相図』(国宝)という貴重な資料によれば、朱鳥元年(686年)道明という僧がその銅板を天武天皇の為に今の五重塔近くの西の岡に安置したという、それが「本長谷寺」の成立とされている。

その後神亀4年(727年)聖武天皇の発願により僧徳道が今の本堂のある東の岡に伽藍を造営し十一面観音像を祀った。こうして「後長谷寺」が誕生し現在の隆盛につながっていく。


399段の登廊(重文)を登りきると
       



本堂があり
        
この本堂の左側の奥に十一面観音立像はおわします


   
祟りがある、不吉な事があるといい、長い間人々から恐れられていた大きな古木がありまして、、、この古木の話を聞いた徳道上人は、そのような霊験あらたかな木こそ御衣木(仏像彫刻の用材)に最もふさわしい、とその楠の大木を譲り受けました。

そして徳道上人は15年間修行に励み、祟りのあるその古木を神仏の力で霊木となし、その後それを彫って十一面観音立像を造ったそうです。


十一面観音立像(重文) 室町時代 木造・漆箔
   
提供 長谷寺

不思議なことに、私達三人がこの十一面観音立像の御足に触れてお参りさせて頂いていますと、とたんに、本当にちょうどその時、外では雷鳴が轟き、大粒の雹が一瞬にしてどしゃぶりとなってしまいました。

登ってくるときは晴れていて暑く、あせを拭きながら来たのに、、、

       

さて、どうしましょう帰れなくなってしまいました

でも、なんとなく直ぐに止むと思って、本堂にいらした僧侶の方々のご厚意に甘え、暫くここで休ませて頂く事にしました。

本堂の中
           
暫くするとすると、やっぱり、、、
さぁっと雲が去り山々が姿を現し青空がもどって来ました。

そこで、懸崖造になっているところに出てみましたら
                          
                     縦1.3m × 横3.8m

ええええー 金箔仕上げの巨大な刻字の扁額ではありませんか
先ほどの突然の雹といい 驚きの連続です、
よくよく見ましたら 大久保翠洞先生の作。
現・刻字協会副会長中川先生(長谷寺の関係)のご縁でこちらにあったのでしょうか。

※大久保翠洞先生は日光輪王寺、ニューヨーク国連本部・・・等々にも作品がおさめられていまして、現在の毎日書道展刻字部門の創設者であり、日本刻字協会会長も歴任されております。


長谷寺で戴きました記念品 『美しい五色線』
       

やれやれ、
山にかかっていた靄が晴れ、辺りの山々は燃えるような紅葉の真っ盛りで、まるで仙境にいるかの様な風景の中の山道をくだり、ようやく寺の門前で昼食にありつけました。
三輪そうめんの温かいのと、柿の葉寿司🍚🍣・・・なんと美味しかったことでしょうか。

13:00 長谷寺門前
 ↓ 🚖 タクシー
13:15 長谷寺駅
 ↓ 🚊
13:40樫原神宮前駅
 ↓ 🚖 タクシー
13:55 飛鳥寺着


🚖 タクシーの運転手さんに突然大粒の雹に降られた、、、話をしましたら、「あなた方の中に凄い霊力の強い方がいらっしゃいます」と話されました・・・
ですが私達三人はまったくの霊感ゼロ、能天気な田舎人間でございます。。
                  

※入江泰吉と歩く『大和路仏像巡礼』の入江泰吉・田中昭三 を参照

                 
       ―飛鳥寺へつづく―



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