羽迫博己の、森のようちえん・・・その考え方と目的(その4)
高知市神田のアジロ山で遊ぶ子どもたち
高知市神田のアジロ山で遊ぶ子どもたち
羽迫博己の、森のようちえん・・・その考え方と目的(その4)
高知市神田のアジロ山で遊ぶ子どもたち
高知市神田のアジロ山で遊ぶ子どもたち
羽迫博己の、森のようちえん・・・その考え方と目的(その2)
アメリカの海洋生物学者である
レイチェル・カーソンは自著「センス・
オブ・ワンダー(神秘さや不思議さに
目を見張る感性)」の中で、
子どもたちが出会う事実のひとつ
ひとつが、やがて知識や知恵を生み
出す種子だとしたら、
さまざまな情緒やゆたかな感受性は、
この種子を育む肥沃な土壌です。
幼い子ども時代は、
この土壌を耕すときです。
高知市神田のアジロ山で遊ぶ子どもたち
少々の雨でも週に一度は行くすくすくの森。三歳の時、バスを降りて森に差し掛かるだけで圧倒されて泣いていた子どもや、坂道が恐い、大きな木が恐いといって泣いていた子どもも、回を重ねる毎に幼稚園のどの場所よりもすくすくの森が大好きになっていきます。
この森で、子どもたちは何を育んでいくのでしょうか。
2 とぎすまされる感性と
美しいものを美しいと感じる心
若草幼稚園 岡林道生
森は私たちに様々な感動を与えてくれます。目に触れるもの、耳に届いてくるもの、どこからか漂ってくる匂いや香り、肌に触れるもの、子どもたちは全身で自然の息吹を感じながら感性を磨いていきます。
(3)森の香り、森の匂い
森には香りや匂いもいっぱいあります。子どもたちは、その香りや匂いを敏感に感じ取り、「梅の花の匂いがする。」と言ったり、センダンの木の下で「いい香りが上から下りてきた。」と言って紫の花を頭上に見つけて教えてくれます。
草や葉っぱの匂い、すっぱい梅の匂い、柚木の実の匂い、びわや桃、蜂の群がる花の甘い匂いにも色々ある、と言い出します。キンモクセイの花もヒイラギの花も、その花の放つ芳香で見つけます。また匂いでカメムシの仲間はすぐわかるようになります。
森は臭覚を鍛えてくれます。いい匂い、嫌な匂い、美味しそうな匂い、腐った匂い、さまざまな匂いをかぎ分けることは、命を守る力になっていくでしょう。
(4)触れて感じること
森での遊びは、自らが働きかけないと楽しい所ではありません。足を使い手を使って、そこにあるものに働きかけてこそ楽しい所になるのです。
だから子どもたちはよく動き、色々なものを手に取ります。固い強い、柔らかい、ふんわり気持ちがいい、ぐにゃりとして、ぬるぬるとして気持ちが悪い、トゲがあって触ると痛い、摘んで引っ張ると血が出て痛い、木の幹だけとってみてもゴツゴツ、ザラザラ、ツルツル、スベスベ、色々です。
興味や関心を持って、ちょっと触ってみようと思えば、森には何でもあって、どんな感覚でも味わえます。先生や友だちの刺激を受けて、子どもたちは色々なものに触れて遊びます。
季節によって、感触の違うものもたくさんあります。夏の水は気持ちよく冬は冷たい、太陽は夏暑く、冬は暖かく気持ちいい、風も夏は涼しいけれど冬の木枯らしは冷たくて寒い、と様々です。
夏は、木陰を探して遊び、水遊びをし、冬は陽だまりの中で身体を良く動かして遊びます。自分たちで、季節に応じて心地よい場所を見つけ、遊びます。
子どもたちは、森の中であらゆる感覚器官を駆使して遊びながら感性を磨いていくように思われます。
磨かれていく感性とは、子どもたちの全身にアンテナが張り巡らされていくことを言うのでしょう。
あるものに着目し、そこで展開されている出来事を敏感にキャッチして、そこで感じたことを表情に出し、身振りに出し、言葉にするようになるのです。
そしてそれを先生や友だちに伝え合い、喜びを共有していきます。その経験は、生命あるものを慈しみ大切にする心を育んでいきます。
また森は、季節の変化が生む様々な出来事を通して、子どもたちに美しいものを美しいと感じる心を育みます。森は子どもたちの感性を豊かにする宝庫なのです。
次回は引き続き、森が育むものとして、子どもの知的好奇心から述べていきたいと思います。
(文中の画像は、若草幼稚園より提供していただいたものを中心に、編集者が選んで挿入したものです)
〔『保育の実践と研究』(第15巻第2号)より転載〕
第1回の連載ほか、
「かしこくて、たくましい子どもに育てる」コーナーを作成しました。
HN:ちるどれん
◎かしこくて、たくましい子どもに育てる(高知市・若草幼稚園の実践)
若草幼稚園 「すくすくの森」と子どもたち に関する記事
少々の雨でも週に一度は行くすくすくの森。三歳の時、バスを降りて森に差し掛かるだけで圧倒されて泣いていた子どもや、坂道が恐い、大きな木が恐いといって泣いていた子どもも、回を重ねる毎に幼稚園のどの場所よりもすくすくの森が大好きになっていきます。
この森で、子どもたちは何を育んでいくのでしょうか。
2 とぎすまされる感性と
美しいものを美しいと感じる心
若草幼稚園 岡林道生
森は私たちに様々な感動を与えてくれます。目に触れるもの、耳に届いてくるもの、どこからか漂ってくる匂いや香り、肌に触れるもの、子どもたちは全身で自然の息吹を感じながら感性を磨いていきます。
(2)音探し
私たちは、気づかせたいことに対して、意図的に子どもたちに働きかけることがあります。森の音探しがその一つです。わんぱくの森は深い森の中にあるので、とても静かでしんとしています。
森に着くと思いのままに遊び始める前に、みんなでできるだけ小さく集まり、静かに耳を澄まして森の音に気づく時間をとります。先生が囁くように言います。「お話しないでね、静かにしていたら、森の声が聞こえてきます。
目をつぶって、先生がいいよというまでよ、いい、」口に指を持っていって「シー、・・・。」緊張の糸が張られたような時間が10秒、20秒と過ぎて、少しザワザワし始めると先生が「聞こえましたか。」と問いかけます。「鳥の声が聞こえた。」「ほんとうね、先生も聞こえました。
でもね、先生は他の音も聞こえましたよ、みんなも見つけてね。」「私ね、水の流れる音が聞こえた。」「そう、よく聞けたね。他の音も見つかると思いますよ。耳をすましてね、もう一度よ。」また、30秒、40秒と音を探します。
「風が葉っぱをゆする音が聞こえた。」「何かが動きよった。」2回、3回繰り返すうちに「先生、木の実の落ちる音もした。」「鳥の声、色々ある。」と言い始めます。「ほんとう、たくさんあるね。じゃ最後、今度はどっちの方からどんな音や声が聞こえてくるかな。」子どもたちは、瞼をひくひくさせたり、顔を声のするほうに向けたりして、一生懸命に音を探しています。
先生の合図があると、聞こえた方向を指さして口々に先生に教えてくれ、友だちとも教え合います。「先生、森は秘密ごっこしゆうがやない?」「エッ、なんで?」「だってよ、静かにせんと聞こえんやん。秘密ごっこでね。」と4歳のレオ君が耳もとで言いました。「ほんとねー。」と答えながら、子どもの感じ方ってすばらしいと思いました。
この音探しは、季節によって場所を変えたり、虫の声、鳥の声、などと探す音を限定したりする時があります。そうすることで、子どもたちの感覚が研ぎ澄まされていくからです。
子どもたちは、だんだん森の音や森に住む動物の声を聞き分けるようになります。また、季節の移ろいを感じたり、その感じた心の模様を話すようになります。
梅の花が咲く頃、タイチ君が、「先生、ホケ、キョ、キョキョ、ケキョケキョ、って聞こえるけど、あれ何?何の鳥が鳴きゆうが?」と聞いてきました。「あれね、鶯が鳴く練習しゆうがね。」「エッ、ホーホケキョって鳴く練習しゆうが?」「そうよ、よく聞きよってよ、段々上手になるき。」二回三回、鶯は少しずつ上手になって、五回六回と鳴いているうちに「ホーホケキョ」と上手に鳴きました。するとタイチ君は、ホッとした声で「上手になってよかったね。」と言って離れていきました。
それからタイチ君は、鶯の声を聞いた所に来るたびに、鶯の声を探し、「ケキョケキョ」と鳴く鶯がいたら友だちに「鶯が鳴く練習しゆうがよ、聞きよってよ上手になるき、頑張っちゅうでね。」と必ず声をかけていました。
子どもたちは、虫の声で季節も感じています。春、セミが鳴き始めると「夏が来るぜ。」と言い、アブラゼミやクマゼミがかまびすしく鳴くと「セミの声でよけい暑い」と言いながらセミを追いかけ、ヒグラシが鳴き始めると「秋やね。」と言うようになります。
そして虫の声に耳を澄まし、「きれいな声やね。」とか「なんか淋しいね。」などと言います。子どもたちの洩らす言葉の数々は、私たちをしんみりと「ほんとうね。」と思わせ、感慨深くさせることがしばしばです。
また、子どもたちは風や沢の音、雨の音の強さで、森の状況を判断するようになってきます。そして、ここからはよそう、もう帰ろうと言い出します。音から育まれる感性は生きる力も育んでいるようです。
子どもたちは見たものへの気づきはよくしますが、聞こえるものへの関心は余り高くありません。私たちは感覚の働き如何が、感性を豊かにする基盤の一つではないかと考えています。だから、音探しの体験が多くできるように働きかけているのです。
(文中の画像は、若草幼稚園より提供していただいたものを中心に、編集者が選んで挿入したものです)
〔『保育の実践と研究』(第15巻第2号)より転載〕
第1回の連載ほか、
「かしこくて、たくましい子どもに育てる」コーナーを作成しました。
HN:ちるどれん
◎かしこくて、たくましい子どもに育てる(高知市・若草幼稚園の実践)
若草幼稚園 「すくすくの森」と子どもたち に関する記事
少々の雨でも週に一度は行くすくすくの森。三歳の時、バスを降りて森に差し掛かるだけで圧倒されて泣いていた子どもや、坂道が恐い、大きな木が恐いといって泣いていた子どもも、回を重ねる毎に幼稚園のどの場所よりもすくすくの森が大好きになっていきます。
この森で、子どもたちは何を育んでいくのでしょうか。
2 とぎすまされる感性と
美しいものを美しいと感じる心
若草幼稚園 岡林道生
森は私たちに様々な感動を与えてくれます。目に触れるもの、耳に届いてくるもの、どこからか漂ってくる匂いや香り、肌に触れるもの、子どもたちは全身で自然の息吹を感じながら感性を磨いていきます。
(1)目に触れるもの
春、三つ葉ツツジが山の斜面を真っ赤に染める頃、桜の花も満開を迎えます。ハルちゃんはお花が大好きです。満開の桜を見上げて「ウワー、きれい!」と両手を広げました。丁度風が吹いてきて、散る花びらを全身に受けて、「雪が降ってきた!!」と叫び、踊るかのように回り始めました。ハルちゃんに触発されて、先生と子どもたちがはしゃぐ姿はまるで絵を見ているようです。
横でアユちゃんが離れていく花びらを「蝶々よ、蝶々よ!」と追いかけていきました。花びらが、池に落ちて浮かびました。アユちゃんは残念そうに池を見ていましたが、そのうち、池の中をジーっと見始め、ついには池を囲っている岩に腹ばいになって、とても真剣に池の右側から左側へと首を動かしながら池を眺め始めました。
池のそばには誰もおらず、アユちゃんは一人ですっかりその世界に浸りこんでいる様子です。私は何を見つけたのだろうと思い、そーっと近づいていくと、アユちゃんは池に写った雲の流れを追っているのでした。一緒にしばらく二人とも何も言わずに池の雲を追い、何も言わずにふと空を見上げました。不思議と同じタイミングで、私たちは顔を見合わせて笑いました。池に写る空をただ一緒に見つめ続け、言葉にならないけれど二人だけの秘密のような時間は、とても満ち足りていて、幸福な気持ちになります。
桜が散ったあとに、次々と咲いてく花の美しさに目を奪われる子どももいれば、雨上がりの緑の美しさに気づく子どももいます。透きとおった空気の中で、雨のしずくを残す緑を見て、「先生、あの緑きれいやねー。」と、ハジメ君が言いました。「ほんとうねハジメ君、先生は季節の中で五月の雨上がりが一番好き。」と言うと、「僕もね、好きになった、一番かどうかわからんけんど。」と答えてくれました。
初夏、子どもたちはアジサイの花の間を歩き、きれいだと言いながら花の色を数えて進みます。そうしながら、ひとつの花の中に色々な色があることを発見します。みんながアジサイを見ている中で、トシちゃんが、「お花もきれいやね、けんど見て、葉っぱにある水がお日様に光ってすごくきれいで。」と言いました。「ほんとう、宝石みたいに光っちゅう」とカノちゃんが答えます。
そして夏、もみじの緑濃い葉の中に、ピンクの小さい花を見つけたのも子どもたちでした。子どもは、自然の織りなす一瞬のできごとにふと目を留めて、その美しさや可愛さを素直に保育者に伝えてくれます。一緒に森の中を歩き、遊んでいると、一瞬一瞬が子どもにとってかけがえのない、満ち足りた時間になっているのを感じます。
そして、夏休みを終えた9月、さまざまな虫が子どもたちを迎えてくれます。秋が深まったある日、木漏れ日の美しさに気づいたのはリョウ君でした。森の小道を歩いて帰路をたどっている時のことです。前を行くリョウ君が振り向いたまま動かなくなりました。「どうしたの?」と聞くと、指をさすのでその方を向くと、常緑樹の中で、真っ赤なハゼの木が木漏れ日を受けて輝いていました。「先生、もみじもきれいやけど、お日様も他の緑もきれいでね。」とリョウ君が言いました。リョウ君は、真っ赤なもみじの美しさに気づくと共に、それを際立たせているのがお日様と周りの緑であることに気づいたのでしょう。子どもは、自然の中ではっとするような美しさに気づき、心を動かしています。
霜が降り始めると、子どもたちは「春を探そう。」と言い出します。「春?」「そうよ、春。」「春があるの?」「あるき先生も探してみいや。」「あるかなー。」「あるき。」口々に子どもたちが言います。ホノカさんが梅の枝の先を指さして、「ほら、蕾が膨らんで来ゆうよ。」というと、「そうでね。」とケイ君が相槌を打ち「僕はね、池の中に見つけちゅう。」と言ってみんなを池の方に連れて行きました。「ほら覗いて見いや。」とケイ君。カエルの卵がゼリーのようなものに包まれて、水の中で漂うように揺れていました。「カエルの卵が何で春なが。」とホノカさん。ケイ君は口を尖らせて「春になったらカエルになるで。春の準備でね。」と言いました。みんな納得です。
子どもたちは、踏むとざくざく音のする霜柱の下に春の兆しの緑が見えるといい、落葉樹の枝の先に木の芽が膨らんでいるのを見て、春はそこに来ているといいます。みんなで春探しは、最初は教師の投げかけから始まりましたが、いつの間にか子どもたちが気づくようになっていて、寒くて吐く息が白く見えるようになると、必ず誰かが言い出します。「先生、今日は春を探しに行こう。」「そうしよう。」春を探して歩いていくと、冬の景色の中に春はそこらじゅうにあって、みんなをわくわくさせてくれます。
一緒にいく教師の感性が子どもたちに影響するのはもちろんですが、子どもたちは回を重ね、年を経るごとに様々な発見をし、色々なものを美しいと感じ、愛しいと感じるようになります。風に吹かれて散っていく桜の花びら、アジサイの葉の上で輝く水滴、5月の雨上がりの緑の美しさ、振り返ったら木漏れ日を受けて真っ赤に映えるもみじの紅と緑の美しさに気づき、それらを友だちや先生に伝えて感動を共有する喜びは、子どもと子ども、先生と子どもを繋いでいきます。
感性は自分の中で生まれた気持ちを素直に、そして自分らしく表現することで磨かれていきます。自分らしく表現できて、その気持ちを先生や友だちと共有することができると益々豊かな気持ちになります。それがまた、新しい発見や心の動きを膨らませ広げていくのだと思います。
(文中の画像は、若草幼稚園より提供していただいたものを中心に、編集者が選んで挿入したものです)
〔『保育の実践と研究』(第15巻第2号)より転載〕
第1回の連載ほか、
「かしこくて、たくましい子どもに育てる」コーナーを作成しました。
HN:ちるどれん
◎かしこくて、たくましい子どもに育てる(高知市・若草幼稚園の実践)
若草幼稚園 「すくすくの森」と子どもたち に関する記事
少々の雨でも週に一度は行くすくすくの森。三歳の時、バスを降りて森に差し掛かるだけで圧倒されて泣いていた子どもや、坂道が恐い、大きな木が恐いといって泣いていた子どもも、回を重ねる毎に幼稚園のどの場所よりもすくすくの森が大好きになっていきます。
この森で、子どもたちは何を育んでいくのでしょうか。
1 心身を鍛え、育む
若草幼稚園 岡林道生
(5)遊びの中で
森は楽しいところです。けれども、森で楽しく遊ぶのはそう容易なことではありません。
森には、平坦な場所が無く、むしろ油断すると大ケガに繋がりかねない所ばかりです。もちろん、座ってボタンを操作するだけで長時間遊べるような場所でもありません。
しかし、子どもたちは遊びの天才です。かくれんぼやヒーローごっこをして遊びます。走ったり、立ち止まったり、飛んだり、跳ねたり、屈んだり伸びたりして遊びます。
森での遊びは、多様な動きが要求されると共に、しっかり掴む力、踏ん張る力が要求され、身体のバランス力もバネも必要です。また見通しも必要です。周囲の状況を見てどうするかを決めなければならないからです。
また森の中では、子どもたちのニーズに合わせた材料や道具が揃っているわけではありません。その分、想像力や創造力を駆使して遊びます。
落ち葉を集めて雪に見立てたり紙吹雪に見立てて遊びます。赤や黄、茶色の木の葉を小枝に突き刺してバーベキューや焼き鳥を作ります。どんぐりに木の葉をまぜてお寿司もできます。できた物を岩のテーブルに並べてお店やさんごっこも始まります。大きな葉っぱに穴を開けてお面も作ります。桑の茎でゲームをしたり、コケの葉を耳元で二つに折ってパチンという音を楽しんだりします。
基地作りは大変ですが、意気投合した子どもたちは、役割分担して木を集めたり、家を組み立てたりしてせっせっと働きます。困った時には、どこからともなく誰かが現れて、括るには藤の桂がよいとか、桂を切るにはこの石を使えなどといいます。
子どもたちは知恵を出し合い、工夫しながら遊びます。森で楽しく遊ぶためには、頭のてっぺんから手足の先までを使わなければなりません。使ってこそ楽しい森の中の遊びは、心身を鍛え、育んでいきます。
(文中の画像は、若草幼稚園より提供していただいたものを中心に、編集者が選んで挿入したものです)
〔『保育の実践と研究』(第15巻第2号)より転載〕
第1回の連載ほか、
「かしこくて、たくましい子どもに育てる」コーナーを作成しました。
HN:ちるどれん
◎かしこくて、たくましい子どもに育てる(高知市・若草幼稚園の実践)
若草幼稚園 「すくすくの森」と子どもたち に関する記事
少々の雨でも週に一度は行くすくすくの森。三歳の時、バスを降りて森に差し掛かるだけで圧倒されて泣いていた子どもや、坂道が恐い、大きな木が恐いといって泣いていた子どもも、回を重ねる毎に幼稚園のどの場所よりもすくすくの森が大好きになっていきます。 この森で、子どもたちは何を育んでいくのでしょうか。
1 心身を鍛え、育む
若草幼稚園 岡林道生
(4)山の頂上への道
山の頂上への道は、幾通りもできています。初めあった道は、階段のある比較的なだらかで曲がりくねった道でした。
ところがいつの間にか、けもの道ならず子ども道がいくつもできていました。急な坂道が所々にある道、急な坂道と岩山を通る道、一番険しい道は、頂上の大岩近くまでずーっと片方は切り立った崖で45度の傾斜が続く道でしょうか。
ヤッホーと叫ぶ岩山の頂上をめざすために、子どもたちが段々険しい所を選んで進むようになって出来た道が幾通りもあるのです。
頂上を目指すのは年中さんからですが、子どもたちは、自分の力に合った道を進んで頂上へと登って行きます。
年長児になると「先生、冒険の道に行こう」「難度ウルトラCにしよう」と私たちを険しい道へと誘いに来ます。目的地に行くまでの道だけをとってみても森はハラハラドキドキすることがいっぱい、子どもたちの冒険心をくすぐってやみません。
(文中の画像は、若草幼稚園より提供していただいたものを中心に、編集者が選んで挿入したものです)
〔『保育の実践と研究』(第15巻第2号)より転載〕
第1回の連載ほか、
「かしこくて、たくましい子どもに育てる」コーナーを作成しました。
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