見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

苦い失敗の後始末(その2)

2007-01-16 22:03:56 | ネパール
7年前にネパール教育支援活動でつまずいた原因は、一言でまとめられるものではない。が、3年間築いてきたと思っていたカウンターパートとの信頼関係が、簡単に崩れてしまったことは確かだった。
人との信頼関係が、ほんの些細な出来事で崩れていく事例は、今も日常の諸事に見ることができる。私に欠けていたのは、信頼関係を維持することの努力と忍耐力だったように思う。パートナー関係を解消すると決断するに至るまでの、寛容力と追求力も足りなかった。

当時、相手方から背筋の凍るような脅迫文が送られてきたことも、裏返してみれば、それを書くほどの心情に自分が追い込んだということだ。そう、冷静に考えらるようになったのは、関係を解消して3年以上経てからだった。

今回、7年ぶりにカウンターパートの女性とネパール人の男性の二人に会った。女性は、協力関係を解消してから自力で教育支援活動をネパールでやりとげ、50人程度からスタートした学校を250人になるまでに発展させていた。支援開始から10年たったので、学校経営を他の人に任せて、半年前に日本に帰国したのだ。
7年前、最後に会ったときの険しい表情は彼女から消え、20年ぶりの日本の生活に馴染んだ穏やかさを感じた。

カウンターパートや資金提供者が去っても、彼女は支援活動を諦めなかった。私と彼女との空白の7年間について、言葉を選びながら語る彼女は、10年前に出会ったときの意思の強い彼女のままだった。「大変でした」と遠くを見る目でゆっくりと語る彼女の忍耐力もまた、私に欠けているものだった。
「ネパール人のためにやっていると考えれば、『こんなにやっているのに、何故?』と、応えてくれない彼らに腹がたちます。だから、全て自分のためにやっているんだと言い聞かせてきました」と、率直に語る彼女に、7年前の自分の無責任さを悔やんだ。

私のネパール支援活動は、協力し支えてくれる仲間と共に細々だが続いている。7年前の自分の失敗をどんな形で償うことができるのか、これからネパールに入りながらゆっくり考えてみたい。


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