千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

爆弾

広島、長崎の原爆記念日も過ぎましたが、我が博多の町も6月19日に大空襲ば受けております。小学校の頃、学校の砂場ば堀りよったら防空壕の階段が出てきよりました。掘っても掘ってもとどかん。いつも昼休み内に掘りつくせんでその先は見ることはできんやったですが・・・
ある日兄貴が不発弾ばどこからか掘り出しました。
警察へ届けて調書ば取られたりしたとですが新聞記者が取材に来ました。
あくる日新聞に載るていうてうきうきしてみたら自転車の荷台に不発弾ば載せて遊びまわりよった子供が捕まったという内容やったけんお袋がはらかいた。
新聞社に抗議の電話ばして・・・その後どうなったか覚えとりません。
それだけまだ30年代は戦争の痕が身近にあったということです。
小学校の柱やらもこげ痕が残っとりました。
高校の友達が母ちゃんしかおらんやっがおって結構年の母ちゃんやったです。親父は戦争で死んだといつも聞い取りましたが俺たちが生まれたとは31年。終戦からだいぶ経っとります。計算の合わんやね?

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