私は歴史小説が好きでよく読むのだが、その時によく考えるのが国境を越えるという事。今と違って道路も整備されておらずトンネルなどもない時代、国境は川や山そして海などの自然の境界線が多い。北大阪を流れる淀川などは川幅も広く、川の手前と向こうはやはり別の国というイメージだ。ちょっと走ると橋がある現代と違いさぞかし大変だったろう。

(橋がない時代、川は簡単に越えられない難関だ)
また熊取町から犬鳴山を越えて紀ノ川へ行くとき、国道309号線で奈良吉野川へ行こうと金剛山を越えるときなど<国境>という言葉を実感する。
そして最もそれを感じるのは海を渡るとき、まさに国から国へ渡るというのにピッタリだ。面白いもので例え距離が長くても島ではそんあイメージが湧いてこない。たとえば赤穂や姫路から家島に渡った時など25kmほどあったが今一国に渡るという感じがしない。

(島々が重なって見える。そしてその奥に本州が・・・)
初めてこの海を越えて別の国に渡ったのはH16の紀伊~淡路(和歌山市~洲本市)この淡路島は昔は淡路というひとつの国だけあって島という感じはしない。やはりそれだけの雰囲気はあります。その時にしみじみ思ったのは海は護岸されたりはあるが基本的に1000年、2000年と大きく変わってはいない。実際自分が見てる景色は同じ景色を昔の人もみてたんだなあと思ってしまう。時代を越えそれを感じれるなんという楽しさよ。

(島影から四国本土、何千年変わらぬ景色だろうか)
その後H18に再び紀伊~淡路、そして播磨~淡路(明石市~淡路市)、紀伊~阿波(日高町~阿南市)、H19に淡路~阿波(南あわじ市~鳴門市)、H20に伊勢~三河(伊勢市~田原市)、そして今年H21に備前~讃岐(玉野市~高松市)となる。
実はこのルート、一番初めの紀伊~淡路と紀伊~阿波以外すべてファルト(ノア500EX)で行ってる。初めてはリジットのタンデムで往復、紀伊水道は距離もあるしシーカヤックで行ったのだがあとは戻ってくるのも面倒だし、回送を考えるとファルトのほうが楽だ。
次に国渡りするのは安芸~伊予だろうか?あるいは備中~讃岐?

(無風時の沖合いの様子、深いので波もほとんどない)
今日も今後のコースを考えていた。今後は宇野から塩飽の本島、本島から北木島、鞆の浦から北木島往復、尾道から福山、そしてしまなみで大三島へという感じかな。ほんと、こうやって考えてるだけで楽しい。でも川も行かなくては!