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カヌーの日記 鸛(こうのとり) 壱

カヌーの日記 鸛(こうのとり) 壱

飯盛山・室池

2007-05-10 13:41:42 | エッこんなとこでカヌー?
 本日快晴、久々に何も予定のない休日。そりあえず起きてご飯を食べて・・ちょっと気晴らしに行こうと家にあったサルト(クリークボート)を積んでドライブ。ここんとこ気合に入ったカヌーが多かったのでちょっと心の洗濯を。
 家からすぐの国道170号線を南下、163号線で曲がって山頂から阪奈道路のほうへ。ここまで池から約15分ぐらい。(7-8時ごろならこうはいかないが9時過ぎるとすいていた)
http://www3.kcn.ne.jp/~jinlime/kawatiiimoriyama.htm
この辺は飯盛山といって私にはとっても馴染みが深い。小中高と校歌にもにも出てくるし、高校の時生物部で野鳥観察してるときによく来たところ。
 またバイクの免許をとったばかりの頃、今のような舗装路もなくよく走りに来ていた。懐かしさを覚えながらあたりをウロウロする。実はこの山頂に室池というちょっとした池がある。どこかカヌー乗れそうなところはないかなあと思ってみていたけどなかなかおろせそうにない。しかも水辺にはおなじみの危険の看板。まあ1時間ほど散策して帰路についた。

山を降りてJR忍ヶ丘駅でふと思い出してご近所 大東市のTさんに電話。よく平日も休みがあるのでどうかと思ったらうまいこと家にいた。昼から出勤で午前中は暇とのこと。そこで待ち合わせて再び山頂へ。
 しかし小中高の頃よくきていた所は本当に懐かしいですね。この辺はまだまだ大阪も自然がいっぱいで歩いていても気持ちがいい。私たちがよくいったのはこの室池と交野からあがっていくくろんど池(黒添池)、でもくろんど池は奈良県生駒市なんですね。
 さてこのあとTさんと合流。果たして無事漕げたかはみなさんのご想像におまかせします!


H16/11/14 浜寺公園~伝法大橋 後編

2007-03-30 18:38:16 | エッこんなとこでカヌー?

 大和川の河口についてコースをどうとるか検討。左側(海側)から一文字をうまく遮蔽に使って越えていくか、かもめ大橋から南港に入るかの2つコースがある。結局かもめ大橋を越えていくことにした。ここから入るとすぐかもめ埠頭、阪神高速からも見える南港のフェリーターミナルだ。見慣れたサンフラワーが見える中ダッシュで咲洲にわたる。小さい一文字を越えて外側に出て野鳥園のほうへ向かう。すぐ横にATCが見える。まさかこんなところを漕ぐ日が来るとは思わなかった。ここまではかなり船舶も多くかなり神経を使う。割と小型船が多かった。

(舞洲の塔はかなり遠くから見える)

 野鳥園を端までいって次は夢洲に渡ろうというところになっった。ここが怖い。沖に多数の大型船舶が停泊しており、動いてるのかわからない。全部動いているようにも見えるし、とまっているようにもみえる。ここで20分ぐらい観察してた。特にへさきの波に注意して意を決してわたる。やはりカヌーでいくところではない。もしこっちにきたら逃げるところはない。なんとか無事夢洲に渡り、一旦上陸。その時、高速艇がやってきた。ちょっと洒落にならない波。どうしても岸沿いを通ってるので返し波がきつい。上陸するので夢洲にあげたカヌーが波でさらわれそうになる。もし乗っていたらと思うとゾッとする。多分、沈してたろうなあ。単にラッキーなだけだが助かった。
 ここから夢洲、舞洲の外側を通って淀川に行くか、天保山水路を通って此花大橋に行くか相談。相棒のKさんに天保山水路を行こうという意見に押し切られ?此花大橋の方へ。

(そして淀川へ、ここに淀川と大阪湾が繋がった)

 先ほどの高速艇が頭にあるのでビビりながらもう戻れないとこまできている。夢洲から舞洲へと進むとモーターボートの音。あたりを注意してると夢洲を舞洲の間の水路を通る船。とりあえず距離があるので一安心。そのまま舞洲の埠頭を越え、北港マリーナに進入。何十隻というヨットが浮いてるのをみてホッとする。向こうの迷惑にならないように岸壁の50cmほどのところを通過。そして阪神高速の湾岸線をくぐる。ここにようやく淀川と大阪湾が繋がった。実はこの日前に乗っていたKさんも大山崎から淀川、大阪湾を経由して泉州、友が島経由で和歌山まで繋がる。ヨカッタヨカッタ。

H16/11/14 浜寺公園~伝法大橋 前編

2007-03-29 18:33:56 | エッこんなとこでカヌー?

(スタート前の浜寺大橋、まだあたりは薄暗い)
 まず始めにカヌーに乗って海まで行こうと思った。そして次に淀川から大阪湾を和歌山まで漕いでみたいと思った。(とにかく大阪府をこの手で漕ぎ抜いてみたかった) このとき平成16年の11月に八幡の三川合流から大阪港北港ヨットハーバー、そして浜寺公園から泉州、友が島、淡路島を経由して紀ノ川までたどりついていた。後残すは堺の築港横から大和川を経由して南港、北港だ。実はこのBLOGでももう一つのルート、毛馬の閘門から大川(旧淀川)、木津川を経由して南港から大和川の行程を書いたことがある。あのコースはこの翌年の平成17年。どちらのコースもちょっと気軽にいくコースではない。そして遂にここに決行!

(堺の臨海コンビナート築港新町の外側、タンカーなどが止まっている)

 家を始発の京阪電車でスタート。南海電車の諏訪ノ森で降りて浜寺大橋まで歩く。AM6:10に浜寺大橋着。真っ暗ななか艇を組み立てていざ出発。
 スタートの石津漁港はほとんど船も動いていない。周りにタンクや巨大な煙突がみえるなか泉北北港に進んでいく。泉北北港をぬけるとき前方からタンカーが入港してきた。幸い離れていたので余裕があったもののやはり怖い。ここはかなり港が深く、港を出るまでに2.5kmほどある。そして曲がったら築港の外側は4kmの岸壁。これが辛い。
 いよいよ港の外に出て4kmの岸壁を進む。すると曲がってすぐに巨大なはしけ(?)。恐る恐る中を抜けていく。(上の写真参照)それをこすと延々まっすぐな直線。曇っているので尼崎や神戸も見えずただみわたすかぎりテトラポット。かなりめげました。ところどころになんか化学的な臭い。正直、大丈夫かなと不安になりながらも進んでいく。たまに通る船舶の引き波みあったりして左手に一文字が見えてくる。

(前にはテトラポットしか見えない。漕いでてかなりめげる)

 一文字の横が岸壁の終わり。そこから堺港の出口(入り口)と大和川の河口だ。このあたりは釣り船などがかなり多い。1kmほど向こうにブイが見えるのでまずそこまでダッシュ。一息いれて再び南港の岸壁までダッシュ。今、船がいないからといっていつ出てくるかわからない。ようやく南港の南の端にたどりつく。ここでまだ半分、しかし船が多いのはここから。ここで確か9時前だったと思う。さあ大阪港だ!<後半に続く>

H19/1/24 西淀川探検隊!

2007-01-25 10:41:24 | エッこんなとこでカヌー?

 それはいつものように突然決まった。
1/24は私は公休日。しかし昼間高階救命器具(WAVESPORTやウィダネルシステムのインポーター/浪速区の芦原橋)に艇を取りに行く事となった。といってももちろん一日かかるわけではない。
 そこでできれば前回残した舞洲~尼崎をいってしまいたい。とはいうものの家にあるのは先日鳴門にいったノア500。ちょっと担ぐのは一人では辛い。店においてあるアルピナ1を電車で持って変えるのはしんどい。何人か電話したけど急には都合があわないのが現実。ほぼあきらめたらKさんから電話。昼間の着信履歴見て電話してくれた。また都合がいいことに次の日は休み。でも私と一緒で一日開いてるわけではなく、昼から職場(大阪市内)に行かなくてはいけない。こんなことってあるんですね。そうして前日の17:30にいくことが決定。集合は中島公園9:30。ううっ楽しみだ。

(阪神高速中島IC、実はシーバスの穴場らしい)
(淀川、神崎川、中島川の河口が合わさって実に幅2km近くになる)

 当日9時頃伝法大橋についた私は西淀川区をうろうろ。正直言って43号線越えるといったことがない。しかしまあ駐車場がない!カヌーおろせそうなところはあるものの車が止めれないのはお手上げ。一応、折りたたみの26インチの自転車積んで移動はできるように準備はしてるが全然見当たらない。しかももう朝から駐禁の取り締まりやってるし・・
 Kさんと合流して変にウロウロ探すより此花区の常吉の北港ヨットハーバーにいこうということになった。あそこは平成9年に淀川を河口まできた時に上げたことがある。
 さて43号線まで戻ってぐるっとまわり常吉へ。10:00到着で急いで組み立ての出艇は10:31。ここはテトラの上からだすのでちょっと大変!

(阪神高速中島IC、実はシーバスの穴場らしい)

 まずは前回いけなかった尼崎港までのルート。この日はベタなぎで30分ほどで到着。ああ、これだけの為に苦労した。これで家から須磨までが繋がった。嬉しい!
 Kさんはこの辺よく釣りにくるそうで北港からこんなに近いのにビックリ。ホント尼崎は海からいくと渋滞もないしすぐなんです。
 さてここから河口部で淀川と合流してる中島川、神崎川に行こうということになる。この中島川はほんの数キロの神崎川と合流するまでの川で大阪と兵庫の境界線。そして神崎川はここから庄内、吹田を回って江口橋から鳥飼で淀川と再び合流するところ。いにしえの昔、紀貫之(土佐日記)があがっていったところ・・・らしい。この2川は河口部では中島川の方が広い。私もずっと神埼川が大阪と兵庫の県境と思っていた。同じ大阪でも意外としらないもんだ。
 中島川は船舶が停泊して作業中。写真をとりながらゆっくり漕いでいたら後から貨物船が入港。狭いのでよけるところがなく、神崎川の方へ移動。

(幅10m程の西島川、2つの水門で区切られた独特に雰囲気)

 神崎川の入り口に阪神高速の中島IC。海からみるとまた格別。神崎川はお世辞にもきれいとはいえない。でもかなりワクワクしてるのはやはりドブ川マニアの血のなせる業か?
 一気に国道43号線の中島川の合流地点まで上がる。川の横には阪神電車の出来島駅、なんとか上がって上がれないことはないみたいなので、次はここまでいこうかなと考えながらここでUターン。この途中にあった神崎川と淀川と繋ぐ短い西島川という川がある。ここを通って帰ろうということになる。 

(西島川から淀川にでる所、ここをくぐると一気に幅1kmの淀川)

 西島川の水門は幅5mぐらいの小さいもの。そしてこの中はまさにドブ川。やはり流れがないのでかなり水がよどんでいる。
 でもなんか秘密の通路みたいで嬉しい。実はここから最後淀川への水門は開いてることを朝確認済み。でなければちょっと入るのはためらわれる。門には閉鎖する日がかいてあるのでずっと開いてるというわけではないようだ。 
 僅か2km弱の短い川も次の水門で終わり。水門の向こうには此花のマンションや天保山の観覧車がみえる。
 ここから淀川にでる気分はちょっとしたもの。凄い開放感と秘密の通路いったという満足感。もう淀川に水がどれだけきれいか。
 しかし西淀川区はあんなに水路が入り組んでるとは思わなかった。川には普通に船舶が停泊してるし、まさに河口の街、国境の街といった感じ。
 さあここから北港のヨットハーバーはもうすぐだ。

(カヌー以外はあげれないテトラの上、風が強いとかなり怖い)

 最後の撤収はスタートと同じテトラ越え。少し潮がひいてあげにくかった。
 午前中サラッと漕ぐつもりがゴールは13:30。総行程16.8km 移動平均速度5.8km/h、最高速度12.4km/h。う~ん、軽く漕ぐなあ。けっこう漕いでるような気もするなあ。 このあと自動販売機でコーヒー買ったら間違えてCOLD買ってしまった。仕方がないのでホット買いなおした。ちょっと悲しい。ちなみにここから高階さんまで30分、やっぱりすぐでした。

H18/10/28 高槻市番田水路

2006-10-30 13:02:20 | エッこんなとこでカヌー?
 さて今回は大阪府北部農と緑の総合事務所さんに誘われて高槻市番田水路でのクリーンアップイベントに参加した。これは水路堤防のクリーンアップや緑化活動といったもので毎年大阪府の各市でやってるらしい。(知らなかったです。不勉強ですいません)今回の我々は街中の水路でカヌーのデモンストレーションといった感じ。
 この大阪という土地は水の都といった感じで実に水路が多い。確かにあまり水がきれいとは言い難いが、こういう所を漕いでみるのは本当にいい経験だ。
 番田水路は高槻~茨木、摂津にかけて安威川の近くを通っている。なんでも江戸時代に農業用水や治水の為に切り開いたそうです。
 実は私は平成3年から8年まで南茨木のダイエーで働いていて、その時毎日この番田水路の横を通って通った思いでのところ。まあ今回クリーンアップで漕いだのは西面大橋から玉川団地(唐崎から入ったユニクロさんのとこ)までで私が通っていた所ではないんだけど、この辺も良く来ていたし懐かしいのにはかわりない。まさに10年たってカヌーで漕ぐことになるとは思いもしなかった。

 さて当日土地勘のある私は迷わず到着。他のメンバーはみんなかなり迷ってきたみたい。
まだ開会式をやってるのでとりあえず一漕ぎ。この初めてのところにカヌーを浮かべる瞬間はどんなところにいってもワクワクする。写真でみてもわかるように幅5mほどの水路が、実は平行に2本、更に1mぐらいの水路が1本流れている。底は浅く50cmぐらい。とてもエスキモーロールなどできない・・って流石にする気もないけど。
 漕いでるととにかくフナの群生か、どんどん跳びはねながら逃げていく。そらカヌーみるのははじめてやろうなあ。
 試し漕ぎも終わり、みんなが清掃をはじめる中、西面大橋から玉川団地にむけて漕ぎすすむ。浅くて流れがあるのでかなり疲れる。でも町中の目線というのも面白い。やっぱりたまにはいいなあ。ある程度漕いで昼食。さすがに手はしっかり洗う。

 お昼ご飯にきのうごはんを用意していただいたのでいただきました。その上やきそばももらって恐縮です。昼食後川沿いの展示やクイズもやって楽しんでさあもう一漕ぎ。
 このままずっとくだると神崎川から大阪湾にでれるかなあとつい思いがはせる。いつか機会があればいってみようか!たとえ10年先でも・・
 とかなんとかやってるうちに終了。みなさんお疲れさまでした。
 
※神崎川から大阪湾はこの4ヶ月後に成し遂げました。やはり機会は待つのではなくつくるものです。