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Remains of The Accidents

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ファンダンゴ

2024年12月27日 | つれづれ

結局、今回は退職を見送ってもう1年働くことにした。

上席との面談でもずいぶん慰留されてしまい行き場を失ってしまった。

ただ、2026年春には必ず退職すると上席にも家族にも宣言してしぶしぶ了承を得た。
(なぜ「しぶしぶ」なのかはわからない・・・)

 

 

しかし、今年は大きなイベントもなく「仕事時々ツーリング」で終わってしまった。

昨日が年内最終出勤で今日から10連休にしている。

前半は家族旅行+家内の実家に帰省ということで、中央道方面から三河に向かう。

長男が運転免許をとったので、張り切っている。初めてのロングドライブだ。

 

また昔話となってしまうが、自分が運転免許を取得したのは19歳の春くらいだった。

前年、大学に入った夏休み、お中元配送のアルバイトを終えて出た四国への一人旅で
出会った人たちが単車で自由に旅するのを見て、まっ先に原付の免許を取得した。

その後、やはり普通自動車の免許も必要かと思いたち、冬の間に時間貸しの教習所で
ノウハウを教えてもらって、直接運転免許センターで試験を受けて苦労しながらも
なんとか取得した普通自動車運転免許。

免許取ってもまないころは、隣に乗ってくれた友人から「怖い怖い」「危ない!」と連呼
されながら運転を覚えたものだ。結果、特に事故をおこすこともなく今に至っており
ありがたいことだと思っている。

最初のロングドライブでどこに向かったのかなどは忘れてしまったが、恐らくバイト
仲間と出かけた岡山県の鷲羽山だったと思う。

バイト先は木曜が定休日だったので、1台の自動車に4人乗り込んで、平日の早朝から
「あーでもない、こーでもない」と賑やかに出かけた。

当時は瀬戸大橋がまだ工事中で、鷲羽山からその工事風景が展望できるというので
鷲羽山が目的地になったと覚えている。

 

 

ケビン・コスナーの初期のころの出演作に「Fandango」という映画がある。

大学卒業を前に徴兵の通知を受けて、最後のバカ騒ぎをしにテキサスからメキシコ国境に
向かうロードムービーで、今でも大好きな映画の一つだ。

 

大学4年の夏、就職活動の合間にやはり友人の車でそんなドライブに出たことがある。

映画に比べれば、ちっぽけな1泊2日の小旅行だったけれど、自分たちにとっては
「遊んでいられる時期」の終焉を意識しだしたころであり、不毛な採用面接が終って
就職先がほぼ決まり「ネクタイを締めてスーツを着る」生活に怖れを感じはじめた時期だった。

 

その後、皆それぞれに人生を進んでこんな歳になってしまった。

次回、契約を更新せずに「毎日スーツを着る」生活が終焉を迎えることになる。

あの頃は「見えない未来」への夢と不安を語っていて、今は「通り過ぎた過去」への
後悔と怨恨を口にしがちなことが少し残念だ。

 

 

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生きてりゃいいさ

2024年11月30日 | つれづれ

ブログの更新もしないまま、10月が過ぎて11月も終わりになった。

今週は長女とともにコロナに感染して独居房で暮らしている。

先週末に感染していたらしく、潜伏期間を過ぎた火曜日に発症した。

ちょうど前日に来年のことについて奥さんの話を聞いていた。

なぜか泣きながら状況証拠を並べていたが、自分としてはなにか違和感があって
仕方なかった。なぜ、自分が仕事にケリをつける時期を来年にするか再来年にするか
意見を聞いているだけなのに、泣きながら訴えてくるのかわからない。

きちんと話合いたかったが、残念だった。

これに対して「なぜ泣くのか、泣くような話ではないじゃないか」とでも言おう
ものなら、後にほぼ必ず「人の気持ちがわからない」と非難されるので今回もただ
ただ聞いていることにした。するとすぐに発言は途絶えて沈黙となってしまう。

女性脳というものは「論理」や「客観性」よりも感情をもとに動くものだという
ひとがいたが、まさにそんな感じだ。そしていつも病は膏肓に入ってしまう。

その場で、時間決めて会話の続きを待ったが、動きは止まったまま時計だけ進む
わけで、ほかの話に流して結論には至らずに終えた。

ただ、そういうことかと。

来週初めに上席者と面談するのだが、状況次第で4月に辞めることも考えて臨むことになる。

コロナに感染しても代わりに仕事をしてくれる人もなく、発熱した翌日も携帯電話で取引先
とやりとりを続けるようなきつめの仕事はもう要らない。

無論、上席者はフォローするように言っておいたから、誰かに引き継げというが
そう簡単に引き継げるのであればそうしているだけの話だ。

仕事を続けるのはしんどいことだと思い知らされた印象だ。

結局「つべこべ言わずに「辞めろ」と言われるまで働いていりゃいい」が答なのだろう。

 

結局、誰かと一緒にいるだけでこうやって気を遣って生きていかなければならない。

それは最も疲れることだけど、悲しい性だ。これは生まれ持ったもののようだ。

さて、そうはいうものの残された時間は家族の誰よりも短いのは事実であって、仕事に
左右されていては楽しむことはできない。

今回、夏には久々のメンバーでのツーリングに出かけたが、大雨の中でもインカムを
通して話しているだけで結構楽しいものだった。

また、その後出張にかこつけて同じメンバーで周山街道から鯖街道を回ってきたのだが
これも結構楽しく走れた。

冬にはスキーに行こうということになり、忘年会も企画する。

皆、「「辞めろ」と言われるまで働く」という。

来年の話は来週の面談しだい。いろんな話がどう伏線を回収して、どんなエピローグに
なっていくか・・・。

 

 

旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る

願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ

おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ルーティン

2024年08月31日 | つれづれ


なにやらノロノロと動きの遅い台風のおかげで週末も予定がたたない。

今週はなにをしてみようか。週末を迎えるたびに考えている。

 

それほど平日がつまらない。

ここのところ、平日のルーティンは起床して洗濯で始まる。

玄関と手洗い、洗面所の掃除を簡単に。

そのあとは、パソコンを起動して所有資産の時価と損益状況をチェックする。

朝から「カネ勘定」かとは思うが、投資信託の時価というのは早朝に反映される
ので、仕方のないところだ。

最近はできるだけETFの購入を進めているのだけれど、分配金目当てとなると
種類が豊富な投信も購入対象にせざるを得ない。

今は、株式は購入しない。これは仕事も関係しているのだが、個別の会社の
株式の選定はギャンブルに近いと考えている。
自分は昔からギャンブルに極端に弱いので、よほど真剣にうまくやらない限りは
利益にはつながらないと考えて手は出していない。

さて、奥さんが起きてくるタイミングで洗濯機が軽快なメロディを鳴らして
儀式の終了を教えてくれる。

洗濯ものを干したのちに、奥さんが朝食を整えてくれる。

仕事が積まれている場合は、ここいらで朝食もとらずに出勤してしまうが
普段は朝食をとりながら、少し世間話をして服薬、洗顔、手洗いと
ルーティンを進める。

自宅から最寄りの駅までは3分ほど坂を下るだけだ。

各駅停車に乗って、運がよければ次のターミナルで着席できるが、大抵は
そのまま「つり革」をもって窓の外を眺めることになる。

2つ3つ駅を過ぎると多摩川を渡る橋にさしかかる。

毎日、長時間にわたって液晶画面を眺めていることが多い仕事なので
通勤の僅かな間でも少し遠くを見て眼に楽をさせたいので、多摩川を
渡るまでは、スマホやタブレット、本は出さない。

すでに、右眼は眼精疲労を通り越して人生過労といった感じで経年劣化が進んでいる。
極端な「効き目」らしく、ほとんどのものを右眼で見て疲弊させているらしい。

以前は、早朝にウォーキングを行ってから出勤していたが、今期になってほとんど
止めてしまった。仕事のストレスがこちらで制御できなくなった。

傍からみれば、そう疲れもストレスもあるようには見えないらしい。

成人病検診に出掛けても予定通りに老化している部分が増えつつあるだけで、変調をきたして
いるなどと言われたこともない。例外的に心電図の結果はよくなくて専門医に回されたことが
あるが、結局診察の際には正常とのことで一過性のものと診断されてそのままにしている。

もともと二重人格と言ってもよいほど、タフで鈍感な自分とナーバスで気の小さい自分がいる
ことに気付いていて、最近はそれ゛それの出番が微妙に変わってきている。

一方の自分は調子よく生きていて、友人と一緒に楽しく過ごすことを好んでいる。

そいつが眠りにつくと、もう一方の自分が起きだしてなにやらネガティヴなことばかり思い
浮かべては自分の心をつつき始める。

さて、通勤電車の中。

着席できるとタブレットを取り出して今日のニュースを閲覧したり、ネット
ニュースを眺めては、少し世間のことを知るようにしている。

もう長い間新聞は購入していない。
契約している証券会社のアプリにログインすると日経新聞が読めるし、ネットニュ
ースも充実している。
新聞の購入をやめて10年以上経つが、どういう形でも情報はとれるので必要性はない。

そういえば、以前ある新聞社と取引がありそこの社員とも交流があったが、あの業界は
なかなかレガシーな感覚から抜け出せない人たちを大勢抱えているようで大変そうだった。

新聞やテレビというメディアこそが、インターネットという基盤の上で取り残されている
のをよく感じるが、残念ながら仕方ないほどのレガシー社員が残っている。
それはメディア以外でもそうなのだが、この業界は特に症状が重いようだ。

 

電車を降りて長い階段を上がると、そろそろ仕事が始まる。

職場は明るく、雰囲気も悪くはない。
老齢の嘱託社員ながらある、ある程度の「裁量」も持たせてもらっている。

ただ、終わりのない旅に少し疲れている。
理想郷を求めて歩いてきたわけではないし、愉しいこともたくさんあった。
されど、旅はいつしか仕事となり、踏み出そうとする足に枷をくくりつける。

いつのまにか、枷を外して向かう場所さえ忘れてしまった。

 

そして、そんな場所など最初からなかったと思い出してしまうのかもしれない。

 

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今年の夏休み

2024年08月07日 | つれづれ

今年は夏休みと云っても、旅行はせずに奥さんの実家にいくこととなった。

特にどこかに行こうというモチベーションもない中で、奥さんの実家から岐阜県にある
亡くなった義父の生家に行くこととなり、実家のワンコを連れて一族総出ででかけた。

岐阜県の家、現在は奥さんの従弟(義父の甥)が独り暮らしているのだが、まさに
日本の原風景といったところで、子供たちもワンコも愉しんでいた。

自分はここのところずっと、ただボーっとしていることはできないかと考えていたので
この休暇はよい休暇になった。みどりの田んぼをわたる風が稲穂をなでて、そよいで
いく風景は懐かしく、また田んぼで熱気を和らげた風がここちよかった。

日常が、非常に窮屈なのだ。

会社に行っても、自宅にいても、なんだか全く休まらない。

基本的に重篤な早朝覚醒が続いていて、寝つきはすごくよいのだが、明け方早くに
目覚めてしまう。休日ながら今朝も4時前には目が覚めてしまった。

これは疾病なので、一度心療内科の戸をたたいたことがある。

医師は「少し薬の力を借りてみましょうかね」と軽度の睡眠薬を処方してくれたのだが
初回寝る前に服用すると、確かによく眠れる。

眠れるのだが、まず寝起きの気分がすこぶる悪い。また、よく効いてしまうと目覚める
時刻がコントロールできない。

結果的に平日は怖くて使えなかった。

医師は「まだ薬効の薄い「初心者版」ですが」といいながら「確かに目覚め方が悪いの
では平日の服薬は難しいですね」とやさしくさじを投げていた。

さじを投げられたので通院をやめて、睡眠改善薬という市販薬(いわゆる風邪薬の眠く
なる成分のみのお薬)を購入して時おり飲んでいる。

まぁなんとかこれで時折睡眠時間を稼いでいるのだが、やはり平日の服用には少し
勇気がいる。

中学生あたりからの早朝覚醒クセであり、あまり気にしてはいなかったのだが
やはり家族と暮らしてみると違和感があるようだ。

家族、特に大学生になった子供たちにしてみると、自分たちがそろそろ寝ようかと
云う時間に起き出してきて洗濯などを始めるのだから「うちのお父さんは変わってる」
と思っているだろう。

奥さんは心配してくれているが、もう慣れていて気軽に起床時間を訊いてくる。

いずれにしても、ゆっくり眠れるということは幸せなことで、眠れぬ父親を横目に
昼過ぎまで寝ている子供たちを見ていると、すごくうらやましい。

さて、そんな睡眠不足の原因について、やはり自問自答してみるのだが、自分で
自分をわかろうとしても、答えはなかなか見つからない。

ただ、やはり大きな要因は仕事だろう。

永年に亘って金融関係の特殊な営業職をしていたのだが、退職後再雇用となってからは
同じ会社でも、全く違う営業部門で一般の営業担当をしている。

実は、この仕事の厄介なところは人間関係だ。
金融関係といいながら、銀行ではないのでステークホルダーがやけに多い。
菅家六車が多いので、いやでも手間のかかる業務が増えてしまう。

客先に頭を下げて、仕入先に文句を言われ、社内では関係各部署にお願いばかり
挙句の果てにはアシスタントといわれる女性陣に嫌われながらの仕事。

当然、要領のよい人間

というのもいて自分などは「へたくそ」なのだろうと思う。
もともと、本人もこの仕事に向いているなどと考えてはいない。

ただ、へたくそはへたくそなりに定年退職まで仕事や家族を放り出さずに生きてきた。

でも、そろそろこんな世界から足を洗ってもよいころだ。

この間の人事面談では、よく眠れないことを説明し始めて自ら人事異動を申し出た。
これまで、そこまではっきり異動希望を出したことはなかったが、今回は本気だ。

年収は下がってよいので、今少し第一線からははずれた場所に行けないかと
給与のことまで含めての希望だと言っておいた。

この件について特に回答がなければ、今期限りにしようと考えている。

 

仕事を終えてしまって何をしていくつもりかと奥さんにも問われるが、明確な答えはまだ
持っていない。ただ、数年ずれるだけの話で、仕事は永遠に続くものではない。

以前は漠然とどこか郊外あるいは田舎に移って単車に乗ったり、畑を耕したりして
暮らしていこうと考えていたが、下の子の進路などが決まるまではなかなか大胆に
動くこともできないかと少しあきらめている。

また、就職先の決まった長女は独り暮らしをするというので、この家の構成も
変わってくるし、その後長男も職に就いたらどこに行ってしまうかわからない。

そんな中で自分が出て行ってしまったら、奥さんひとりになってしまう可能性もあって
自分勝手に動くこともできない。

また、資産は相応に貯めたのでそう不安はないものの、資産があっても日頃のCFが
回らなければ黒字倒産してしまう。

なにせ退職してしまったら無職であり、蓄えを切り崩してしまってはいつまで暮らせる
かわからないし、公的な年金が施されるにはまだ数年かかる。

いくばくかの定例収入もあり、配当金や分配金も入るようにしてはいるが、現在の
年収はずいぶんな金額であって、容易に代替収入を見つけられるものではない。

さてさて、こうまとめていくとやはり答えは「働き続けること」になりがちだ。
いわゆる既定路線。みんなと同じ。

なんとかして、この既定路線からはずれる方法を見つけなければならない。

 

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もうじき夏がくる

2024年06月15日 | つれづれ

梅雨がこないまま夏がくるようだ。

今のところ神奈川のダム貯水率は平年を上回っていて少し安心だが
油断はできない。

かと言って自分たちにできることもない。

ただ、宮ケ瀬湖の周りを単車で走って満足するだけだ。何の役にも
立たないだけでなく、逆に化石燃料を無駄燃やしているだけだ。

小学生のころ、大気汚染がひどくて「光化学スモッグ」という得体
のしれないものに脅かされていた。

光化学スモッグ注意報や警報が発令されると、グランドには黄色や
赤色の旗が立てられ、児童はグランドに出られなくなる。

自分の周囲には、光化学スモッグにやられて苦しむ人もいなかった
のでどうも不思議に思っていた。

校舎の中や木陰から無人のグランドを見て、なんだか残念な気持ち
でいたのを覚えている。

それくらい夏が好きだった。

光化学スモッグが出てしまうとプールにも入れず、ただただ日陰にいるだけ。

なんともつまらない夏休みになってしまう。

なので今度は早朝に遊びに行くことを考えたのだが、これには難点があった。

つきあってくれる友人がいなかった。

最初は、朝5時に起きて虫取りにいくことで同行してくれる友人もいた。

朝寝坊してゴロゴロしない、且つ元気に出かけてリスクも少ないので母親たち
からの評判は良かった。

ただ、毎日朝寝坊していた友人たちにとって「早起き」を続けることは至難で
あり、まったく続かなかった。

仕方ないので自分ひとりで出かけていったりしたのだが、街には早朝散歩老人
しかいないので、たいして楽しいものではなかった。

結局、早朝に起き出して誰もいない玄関の小あがりでひとり新聞を眺めていた。

自分でも、少し変だとは思っていた。

その後も早起きはクセになっていて、高校生になってもやたら早起きだった。

クセなのだがヒマなので、この頃から早朝に試験勉強をするようになった。

勉強しながら?聴いていたラジオは22時台の毎日放送系のものから、「オール
ナイト日本」第2部や「走れ歌謡曲」に変わった。

それらが終わってしまうと宗教系の番組になる。

ここでようやくラジオから切り離されてより集中できる時間になった。

そのまま、学校まで自転車ででかけて試験を受けられるので、恐らく成績も少し
上向いたのだと思っている。

「早起きは三文の得」とはよく言ったものだ。

 

高校2年の2学期だったと思うが、突然に数学に目覚めたことがあった。

当時の数学担当はカブトヤ先生といってトツトツと淡白に授業を進めていかれる
先生で、もともと数学が不得意な自分は1学期の間は授業を聴いてもよく理解でき
ないので諦めていた。

ところが「微分・積分」のセクションとなったとたん、なぜだかどんどん面白く
なり、教科書の説明がすごくわかるようになった。

何がきっかけだったかは覚えていないが、よくいう神が降りてきた状態になった。

そうなるとほぼ無双で、2学期の中間試験ではとうとう90点を超えてしまうという
奇跡が起こった。

採点後に解答用紙を返却する際、カブトヤ先生が「このクラスにすごく理解の進んだ
人がいますぅ。90点越えてますぅ。」といい、「**君っ、よくできてます。」と
自分の名前を呼んだ。

周囲の反応は「?」のみだった。

自分ではすらすらと解答できたのでそこそこ良いだろうと思っていたので、そんなに
びっくりしなかったのだが、悪友たちはキョトンとしていた。

そんなこともあった。

長い柄の捕虫網でセミを採りつくした夏休み

早朝の砂浜にオキゴンドウの死骸が流れ着いていた夏休み

テトラポッドの海岸で毎日のように飛び込んでいた夏休み

冷房の効いた港のゲーセンに入り浸っていた夏休み

土管に手足をもいだ蟹を入れてひと泳ぎすればタコが獲れた夏休み

夕立ちに濡れ、女友だちのブラウスが透けて少し緊張した夏休み

花火大会のあと、彼女の後姿を見つめていた夏休み

 

もうじき夏がくる

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