Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

いいたいこと

2016年10月31日 | つれづれ

神奈川県川崎市で少年野球に少し関わっている


言いたいことがある


少年野球の指導者たち、子供たちの前で煙草をやめよう

公園で、子供の前で平気でスパスパ

小学校のグランドを借りると校門の外に出てスパスパ

子供たちに説教したあとでスパスパ

夫婦で並んでスパスパ



海外から帰国して野球チームに参加した親がびっくり


神奈川県って公園でもスパスパOKなのかなって思って問い合わせたら

公園自体は禁煙じゃないという

公共の場所は禁煙だけど、公園自体は禁煙ではないという



結果、川崎市の公園のトイレはタクシー運転手の休憩場所となり

トイレの吸殻入れやトイレ脇の側溝にに吸殻をドバドバ

神奈川県、川崎市、タクシー会社、少年野球連盟、、、これでいいの?


 

 

 

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良い天気

2016年10月31日 | 単身赴任

 

今年の秋はあんまり良い天気がなくて週末はめずらしく穏やかな天気

陽気にさそわれて服部緑地に歩きにいった


しこしこ歩いていると足元に蝶が

よく見るとルリタテハ

明石ではよく見た蝶なので、ああここいらにもいるんだなと

行方を追っていたら足元にヒラリ

帰宅して少し調べたら大阪ではあんまり見られてなかった様子

あぁそうなんだと

実のところ、明石/神戸と大阪では蝶の分布が違う

そのわけは六甲山

蝶の世界では南北日本の境界は、六甲山

南方系の蝶は六甲山まででいなくなり、北方系の蝶も六甲山の山頂近辺でいなくなる

で、 ルリタテハ写真のとおり羽根の裏は樹皮のような模様で目立たない
でも、表は瑠璃色のきれいな蝶、飛んでいるときと止まっているときを使いわける
なかなかのツワモノ

なんだか男子としていいヤツっぽい蝶 






とここまで書いてちょっと

以前に川崎市でツマグケロヒョウモンの記事を書いた

本州の温暖化で分布が変わってきている

上記の六甲山が分岐というのも、実は30年前に聞いた話

おそらく着実に境界線は変わっている

知ったかぶりはよくない 

 

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思い出の道2

2016年10月18日 | 単身赴任


先週末はJR神戸線の垂水駅から実家を目指して歩いた
垂水駅の山側は再開発を経て、昔の面影もほとんどなくなっている

商大筋をぼちぼち歩き出した
前方から狭い道を市バスが走ってきたので、昔のままだと
安心していたが、すぐに道を間違えていることに気づいた
どうやら歌敷山の方に向かう坂に曲がってしまったらしい

そもそも神戸商大はもうなくて、今はマンションと商業施設になってい
るのだが、往時、この商大から舞子墓園の方へ下る道が大好きで、
回り道となってでも車を走らせた
なので、どうしても立ち寄ってみたかった
舞子墓園の端から眺める明石海峡が大好きな風景のひとつだったのだ

仕方なく歌敷山中学の前の細いバス道をとおり、ほどなく苔谷公園に
突き当たったので、そこから東舞子小学校の方に歩いた


もう記憶は薄いのだが、たしか小学校から中学校にあがった頃だと思う
未だ友人も少なく、ひとり暇になるとよく自転車を走らせてこのあたりに来ていた
まず、朝霧川を少しさかのぼって、二丁目の橋あたりから朝霧公園のほうに向かい
真冬でも穏やかな日は坂道を上りきると体もあたたまり、そのまま風を感じながら
西舞子の谷に降りていった

そこはもう神戸市なので学区も違い、知り合いもおらず、道もよく知らないところ
だったのだが、知らない道を選んで走ることで旅に出た気分になっていた

今思えば、あのころから好奇心だけは人一倍強くて、どこか遠くの知らない街に
行きたがっていたのだが、必ず夕飯は母親の作ったものを食べたがるという情け
ない旅人だった

その後、自転車は原チャに変わり、いつの間にか助手席に女の子を乗せて走る
ようになった頃、舞子墓苑の空き地に車を止めて潮の輝く明石の海をみていた

このあたりはどこを通っても思い出の道だ

あの頃は明石海峡大橋もなく、広々とした海が見えたものだ

30年以上の時を経て、こんな風に歩くことなど想像していなかったし
その間にあんなドラマや出来事があるとも知らなかった

様々な人と出逢い、別れ、ただ想いだけが残っていく

甘い思い出は、いつのまにか苦い記憶となり、あのときああしていれば
いやそうしていなければと、夢は枯野を駆け巡る

いったい自分はこの道を選んで歩いたのか、ただ流されていただけなのか
海峡を走る潮の流れは何も教えてはくれない

思い出の山、思い出の川、と啄木はうたい
帰るところにあるまじや、と犀星はうたう
ふるさとは、心の中のふるさとはあまりに遠く、ただ思い出の道があるのみだ

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思い出の道

2016年10月03日 | 単身赴任

 

この時期、大蔵海岸にはいわしやあじがくるので
俄かに親子連れの釣り人でいっぱいになる

老若男女に海はやさしい

父が住んでいたころの海岸線はちょうど国道28号線のところにあって、
その先はテトラポットを並べて立ち入りを制限していた

それより前、28号線が通ったころは海岸沿いに石積みの通路が続いて
いてやはり大勢の釣り人で賑わっていた

親からは危険だからテトラポットに行ってはいけないときつく言われていたので
子供のころのツリはもっぱら中崎にあったマリンセンターの周辺だった



いつもいつも潮の匂いがしていたこのプールもずいぶん前にマンションになってしまった
少し深い大人用のプールだったので、いつもジャンプしながら泳いでいた
確か、一時期は夏がプールで冬は釣堀というすごい場所だった

さらに全盛期にはこのプールの内側にあった生簀(今は公園と小学校跡地)でイルカ
ショーもやっていた
その当時のゲーム機やレストランの残骸がまだ残っていて忍び込んだりしたのを覚えている

どこもかしこも父にとってはよく遊びに行った思い出の場所だ

中崎には、このほかにも明石市立水族館もあった
小さな水族館で、ペンギンや海ガメが狭い園内にいて、一番おくには蛸釣り池があり
たしか¥50で割り箸ほどの木にテグスと針がついたものを貸してくれてつり放題だった
ような記憶がある



大阪に単身赴任になって以来、母親のこともあって休日はできるだけ明石にいくように
している

と言っても、相変わらずやたら早朝から目覚めてしまうところは明石にいたころと同じ
日ごろの疲れでぐったり寝ている兄たちを起こさないために、ウォーキングにでかける
最初は近所の海岸を散歩する程度たったのだが、最近は舞子のほうから記憶をたどり
ながら明舞団地をまわったり、朝霧から太寺をまわって明石公園まで行ったりしている

だいたい2時間ほど、距離にして12-3kmといったところだ



途中、子供の頃の思い出に浸り少し涙ぐんだり、学生の頃の恥知らずな行動を反省する
いろんなことが頭の中に浮かんでは消えていく

自分の記憶など曖昧なものだが、この歳になってもう一度やり直せるなら
どの道を進んでいたのだろうかと、ふと立ち止まってしまう

でも、記憶の中の彼らはもうどこにもいない 



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