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Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

仕事は仕事

2025年04月24日 | つれづれ

椿の花もまだ落ちていないのに、駅まで降りる道沿いのツツジの花が咲きだした。

先週は思わぬ鬼の霍乱で本調子にはほど遠くぼちぼちと仕事をこなすだけだった。

幸い3駅ほど先にグループ会社が運営しているサテライトオフィスがあって、そこならば
通信環境もよく、他人を気にせずに仕事ができる。

迷惑をかけた取引先の方には事情を話して勘弁してもらった。皆、一様に大人になっての
おたふく風邪は大変では?と心配してくれるのはありがたい。

自分は、生来のさぼり癖が合ってなかなか集中力が続かない。

特に、今回のように体調を崩したりすると一気にやる気がなくなってしまう。

小学校のころも、たくさん宿題をもたされて帰宅するのだが、なかなか手がつかずにいて
朝になって泣きながらなんとか揃えたりしていた。(当時から、朝は早かった)

受験を経て大学に入り、仕事を始めるようになっても将来の癖は消えず、彼女ができれば
彼女のことばかり考えるし、仕事なんかさぼってもなんとかなる・・と思ってしまう。

そもそも日本人はち密に働かせないと気が済まない人種のようで、明日でよいものを
今日のうちに進めたくなる悪い癖がある。

会社に入ったころは電卓を叩いていろんな資料を作っていた。

大抵は「千円単位」でよく、細かいことを気にしても仕方ないものとされていた。

皆、それでよかったし大した問題にはならなかった。

それよりも文字が手書きだったので、字が汚い方がよほど迷惑な話とされていた。

パソコン、インターネット、AIと機械の時代になると1円でも違うと気になって仕方ない
人たちが増えて仕事が無意味にち密になった。

細かい数字がピタっと合うのは快感ではあるが、その精度にそんに意味はない。

海外、特に米国人などはいまだに「分数」が大好きで、日本人は「小数」が大好きだ。

「1/3」とまとめてしまう人種と、「0.333333・・・」と無限の数字を置いて
しまう人種の違いはなかなか埋まらない。

というわけでやたら仕事がつまってしまう。

といいながら、当面の課題は来週無事にツーリング行けるかどうか。

天気予報も好転したので少し安心しているが、身体はいまひとつ戻っていない感じ。

ここで仕事が詰まってしまったら折角の連休が、予約がタメになってしまう。

なので、今日明日は気合を入れなおして逃げ切らなければならない。

定年退職を経て、嘱託社員になっても決して「暇」にはならず日々ゼイゼイいいながら
駆けずり回っている。

天草の海、阿蘇の山、ゆっくりさせてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

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鬼の霍乱

2025年04月17日 | つれづれ

花も散って春も過ぎていきかけていた4/13の日曜日。

なんだか右の奥歯が痛いな・・と感じて、今週は久々に歯医者に行っておくか
と考えて床に着いた。

夜中のこと、えらく耳が痛む。うずくように痛んで、どんどん激しくなる。

風邪を引いたかと、体温を測ってみると 37.4度。

平熱が 35度台なので 37度を超えると自分にとっては大変な高熱だ。

布団を被ってじっとしていると少し眠れたのだが、すぐに目が覚めた。

体温が 38度を超えていた。様子が変になっていることに気付いた奥さんが
心配そうに声をかけてくれたが、首から上がしびれていてなかなか起き上がる
ことができなかった。

何が起こっているのかわからなかったが、冷静に考えてコロナかなにか感染症
に罹患したようだと思った。

そのまま唸りながら床に臥せて、かかりつけの医院が開くのを待って受診した。

コロナもインフルも陰性で、医師曰く「恐らくおたふく風邪だと思いますが、
ワクチンとか接種されたことはありますか」と。

60歳をゆうに超して幼少の頃のことを訊かれても答えられずにいたが、罹患した
のであればワクチンを打っていないか、効果が切れていたのか、ほかのウイルス
のいずれかだ。

対処法はそれぞれ違うのですかと尋ねたら、「いや、当面は解熱剤を投与するほか
手はないんですけどね」と。

では、それでよろしくお願いしますで調剤してもらって帰ってきた。

 

 

帰宅後、大人しく床に着いて横になっていたら、奥さんが昼休みに少し流動食的なものを買って
家に寄ってくれた。こういうとき家族の存在はありがたい。

高熱が続く中、そのまま安静にしていたのだが、体温は 39度を超え、右耳からうなじにかけて
ジンジンと痛みはひどくなる。

夕食はなんとかおかゆを食べたものの味はせず食欲は完全に消え失せていた。

月曜日の夜中、おもむろに震えだして歯が鳴り出した。こんなにガチガチと歯が鳴るほどの
寒さは久しぶりのものだ。

わりあい本気で「ダメなんじゃないか?」とも考えながら、声を振り絞って奥さんを呼び
解熱剤を飲ませてもらって布団をもう1枚かけてもらった。

睡眠導入薬も効いたようでそのまま朝まで眠れた。

まだ熱がひかない。痛みも続いている。心配そうに家族は出かけていく。

食欲はないが、解熱剤は空腹で飲むものではないというので、昼過ぎになんとか「うどん」を食べた。

そのまま火曜日も暮れていき、水曜日は3時ころに目が醒めた。

薄い意識の中で熱を測ったらようやく少し下がっていたが、体温計をとるだけの頭の動きにも
耐えきれないほど首が痛んだ。

幸い熱は少し下がり希望の光が見えた。

その後、5時まではいつもの「会社にたどり着けない夢」の海辺の町編が展開して大汗をかいて
気が付いた。その時点で体温は 37.7度まで下がり、相変わらず動かない首で少し微笑むことができた。

その後はぼちぼちと快復し、昼頃には在宅用PCを取りに会社にでかけられた。

ただ、2日風呂に入っていないので身体は匂うし、髪は固まっているのでごまかすのが大変だった。

 

なんてことのない「おたふく風邪」の話なのだが、自分の記録として残そうとおもった。

死ぬときはこれ以上に苦しむのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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結局11回も引っ越した

2025年04月05日 | つれづれ

日本の会社は3月と4月の間を区切って決算をする会社が多い。

決算はなくとも新入社員の受け入れは決まって4月のようだ。

今年も通勤電車や駅のホームには黒いスーツを着た研修生の群れがきょろきょろしている。

長女もそんな中の一人なのだが、もともと神奈川に住んで東京の大学に通っていたので
通勤経路でうろうろすることはないようだが、一緒に研修を受けている地方出身者は
なかなか大変だという。

東京にいて、東京に通うのもあまり面白い話ではない。

自分も25歳の春に東京に転勤することになり、新幹線に乗った。

東京駅に到着、はてさて指定された独身寮にはどう行くのが正解かよくわからない。

当時はまだネットもなく、事前に聞いて覚えていた駅までどうやって行くのかを
出札口自動販売機の上の路線図で確認して進んだ。

東京は路線が多く、私鉄と相互乗り入れしているところもある。

新多摩川線といわれて上京したものの、東京駅の路線図にはそんな線はない。

仕方なく第二ヒントとして覚えていた「渋谷で乗り換え」をキーにして、まずは山手線で
渋谷駅まで進んだ。

渋谷駅のホームに降り立つと乗り換え路線に「新多摩川線」というのがあった。

「よかった」と独り言を言いながら、なぜか東横デパートの中に誘導されてしまった。

デパートには用はないのだが、人の流れに乗っていくと自然に店の中のエスカレーターに
載せられそうになってしまった。

これではいかんと、逆行して銀座線の出口からハチ公口の方に降りた。

新多摩川線は地下を走っていると聞いていたので、そのまま地下に流れるとようやく
新多摩川線/半蔵門線の看板があり渋谷駅にたどり着いた。

あとは各駅停車でソロソロと数駅進めば目的地、無事に独身寮にたどり着いた。

当時は、わくわくしながらもここまでで疲れてしまってゲッソリしていた。

当日は独身寮の先輩が結婚式、独身寮の住人は全員がその二次会に出掛けてしまっていた。

ほぼ誰もいない独身寮の部屋で、届いていた荷物を広げて部屋に並べていると、わいわい
がやがやと住人たちが帰ってきた。

ここから奇想天外なストーリーが始まり、俄かに楽しい生活が始まるのだが
その日のうちはまだ、そんなことも予想できずに不安や懸念ばかり頭に浮かべていた。

結局、それから11回も引っ越してこの場所に着くことになるとは全く想像もしていなかった。

 

横光ではないが

春は、岬ではなく、山手線をまわって新多摩川線でやってくる

といいたい。

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早春賦

2025年03月10日 | つれづれ

<春と聞かねば知らでありしを>

週末は、母親の七回忌で実家に行ってきた。

実家は国道から少し入ったところにあって自分が住んでいた当時は玄関横に沈丁花が植えられていた。

沈丁花は母親がどこからかもらってきたものを角の大きな鉢に挿し木したものが最初だった。

春先になると、なんとも言えぬ甘い香りを漂よわせていた。

一昨年のこと、そんな香りがするかと思って深大寺にある公園で沈丁花の小鉢を購入した。

けれど、淡い期待を裏切って昨春は花をつけてくれなかった。

なので、少し機会をふやせやしまいかと、違う鉢に挿し木してみた。

今回咲いたのはそんな挿し木で根付いた方だ。

実家の沈丁花ほど香ってはいないが、ちょうど母親の法事に合わせて花をつけてくれた。

母親は沈丁花の花の咲くころに天に昇って行ったので、自宅の狭いベランダでも少しだけ
香ってくれるとよいのに。

<春は名のみの風の寒さや>

順序が逆になるけれど、実家で法事を終えてから先輩宅に泊まってスキーに行ってきた。

スキー場ははるか敦賀湾に望む山陵にあって、昨日は好天に恵まれた。

先輩宅を5時に出て名神高速を経由してスキー場まで2時間ほどだったろうか、その間
自分は一人でよくしゃべっていた。

恐らく聞き役の得意なあの先輩でも、少し鬱陶しかったの違いないはずだ。

もともとは家を買った友人のところに集まって新居のお披露目方々一杯やってから
スキーに出かけようという話だったのだが、友人がコロナウイルスに感染してしまい
予定が変わってしまった。

我々は好天の春スキーを楽しみ、温泉に立ち寄ってゆっくりしてから帰宅したのだが
友人は発熱して自宅でうなっていたという。

まったく残念なのだが、感染症となると気軽に焼酎を抱えて見舞いにも行けないので
本人には申し訳ないのだが、仕方ない話だ。

<茅渟の海>

さて、実家に向かう途中、急ぐ旅でもないので新大阪から快速電車でゆっくり西に向かった。

三ノ宮から明石にかけては数々の思い出があってそれぞれ好きな駅ばかり。

なかでも須磨駅は少し特別な駅だ。

須磨は京阪神でも最も人気の海水浴場であり、老若男女でずいぶんにぎわっていた。

子供のころ、父親に連れられてよく行ったのだが、ホームから改札口を抜けて海辺にでると
もう泳ぎたくて泳ぎたくてうずうずしていた。

また一方で色とりどりの浮き輪をぶら下げている「海の家」にも気を取られてよく叱られた。

大人になってからはなかなか海水浴場にくる機会もなくなってしまい須磨駅で降りることは
なくなってしまった。

その間に震災もあって須磨海岸は様変わりしてしまっている。

なんでも昔のことがよいとは言わないが、少しは変わらないものがあってもよいのではないか
と、ひねもすのたりのたりしながら考えた。

 

そして、Yさんの早期の快復を願ってやまない週末だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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いまさらのはなし

2025年02月22日 | つれづれ

先週も大阪に出張だった。

2週連続の出張だったのだが、2件のアポのうち1件がドタキャンとなったためにわずかな
時間の打ち合わせのみのために大阪に出向くこととなった。

なので、いつもより少し遅い時間の新幹線に乗ってゆっくりコーヒーをすすりながら新横浜
から新大阪まで2時間半ほど。

コーヒーを飲んでウトウトする間もなく列車は浜名湖を通り過ぎる。

大阪での仕事は某メーカーとの打ち合わせだが、昼食をとって一度大阪の事務所に立ち寄って
大阪の同僚と二人ででかけることとしたので、まずは昼食場所を探した。

これまで40年近くサラリーマンとして働いてきた中で、最初の3年間と終盤の3年間を
大阪本社で過ごした。

なので心斎橋や梅田などはよく知っているはずなのだが、入社時の3年間は遠い昔のことと
なってしまい、もう街の様子もお店も変わってしまっている。

後半の3年間は心斎橋周辺の数種類のお店ばかりで回していたので、あまり美味しいお店を
しらない。

こんなところが自分の「使えないところ」だ。

実のところ、最近は東京の本社にいてもあまり出かけなくなっていてお昼時にノウハウがない。

まあ既に嘱託社員なので仕事も絞られてきて取引先もそう多くはないから仕方ないところだ。

 

ただ、おかげさまで健康は維持できており、年に一度の健診でもあまり病の影は見つからずに済んでいる。

いまのところ健康で、花粉症をはじめとしたアレルギーもまったくない。

インフルエンザやコロナに罹患しないわけではないが、これまで重症化することはないまま
過ごしてきている。

高血圧と高脂血症はいつものこととなってしまっているが、早々に何か起こるとも思っていない。

ただ、お酒にはめっきり弱くなってしまった。コロナ以降は特に「自宅飲み」ばかりなので、特に話し相手も
なくて、ハイボールを2~3杯あけるともう寝落ちてしまう。

そんな風に今を生きている。

あと1年ほどで仕事を辞めることとしている。

この健康がいつまで続くのかわからない中で、昔考えていたプランを現実のものに
してみたいと考えている。

つまり、どこかに基地を作ってみたいということだ。

幼稚園に通う頃からずっと温めてきた夢だ。

ただ、実行に移すには時間がかかりすぎてしまい、現実は「隠れ家」を作ってまで
楽しむ遊びもなく、集まる仲間もすでにいなくなったあとだ。

20代の一時期、蓼科の別荘にいくとなんだか楽しくて仕方なかった。わくわくしていた。

今が、あの年齢であればもう少し夢は膨らんで楽しいものになっていたのかもしれない。

 

また、この春から長女が就職して家を出ることとなっている。

残るは大学生の長男だが、彼もあと3年ほど経てば学校を出てしまう。

奥さんはまだ働いているので、この家はでられないという。

ここで自分が家を出て2拠点生活するとなると、まずこの家は息子と奥さんの
二人暮らしになってしまうし、息子の仕事次第では奥さんが一人になってしまう。

 

今期いっぱいで今の仕事を終えて、2拠点計画を実行するつもりだったのだが
こんな事情で、また動きづらくなっている。

ただ反面、旦那(自分)が暇を持て余して何もせずに家でブラブラしてしまうのは
奥さんにとっては最大の困りごとだという。

悪く言えば旦那なんて適当に死ぬまで外で稼いでくればよいということととなり、
善意にとっても、適当に距離をおいて生きておいてほしいということのようだ。

 

それでも夢は実現したいし、わずか数年のことでもよいと思うのだが
それではずいぶんな無駄遣いになってしまう。

来年までずーとこんなことを考えていくのか悩ましい日々が続いていく。

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