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Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

早春賦

2025年03月10日 | つれづれ

<春と聞かねば知らでありしを>

週末は、母親の七回忌で実家に行ってきた。

実家は国道から少し入ったところにあって自分が住んでいた当時は玄関横に沈丁花が植えられていた。

沈丁花は母親がどこからかもらってきたものを角の大きな鉢に挿し木したものが最初だった。

春先になると、なんとも言えぬ甘い香りを漂よわせていた。

一昨年のこと、そんな香りがするかと思って深大寺にある公園で沈丁花の小鉢を購入した。

けれど、淡い期待を裏切って昨春は花をつけてくれなかった。

なので、少し機会をふやせやしまいかと、違う鉢に挿し木してみた。

今回咲いたのはそんな挿し木で根付いた方だ。

実家の沈丁花ほど香ってはいないが、ちょうど母親の法事に合わせて花をつけてくれた。

母親は沈丁花の花の咲くころに天に昇って行ったので、自宅の狭いベランダでも少しだけ
香ってくれるとよいのに。

<春は名のみの風の寒さや>

順序が逆になるけれど、実家で法事を終えてから先輩宅に泊まってスキーに行ってきた。

スキー場ははるか敦賀湾に望む山陵にあって、昨日は好天に恵まれた。

先輩宅を5時に出て名神高速を経由してスキー場まで2時間ほどだったろうか、その間
自分は一人でよくしゃべっていた。

恐らく聞き役の得意なあの先輩でも、少し鬱陶しかったの違いないはずだ。

もともとは家を買った友人のところに集まって新居のお披露目方々一杯やってから
スキーに出かけようという話だったのだが、友人がコロナウイルスに感染してしまい
予定が変わってしまった。

我々は好天の春スキーを楽しみ、温泉に立ち寄ってゆっくりしてから帰宅したのだが
友人は発熱して自宅でうなっていたという。

まったく残念なのだが、感染症となると気軽に焼酎を抱えて見舞いにも行けないので
本人には申し訳ないのだが、仕方ない話だ。

<茅渟の海>

さて、実家に向かう途中、急ぐ旅でもないので新大阪から快速電車でゆっくり西に向かった。

三ノ宮から明石にかけては数々の思い出があってそれぞれ好きな駅ばかり。

なかでも須磨駅は少し特別な駅だ。

須磨は京阪神でも最も人気の海水浴場であり、老若男女でずいぶんにぎわっていた。

子供のころ、父親に連れられてよく行ったのだが、ホームから改札口を抜けて海辺にでると
もう泳ぎたくて泳ぎたくてうずうずしていた。

また一方で色とりどりの浮き輪をぶら下げている「海の家」にも気を取られてよく叱られた。

大人になってからはなかなか海水浴場にくる機会もなくなってしまい須磨駅で降りることは
なくなってしまった。

その間に震災もあって須磨海岸は様変わりしてしまっている。

なんでも昔のことがよいとは言わないが、少しは変わらないものがあってもよいのではないか
と、ひねもすのたりのたりしながら考えた。

 

そして、Yさんの早期の快復を願ってやまない週末だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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いまさらのはなし

2025年02月22日 | つれづれ

先週も大阪に出張だった。

2週連続の出張だったのだが、2件のアポのうち1件がドタキャンとなったためにわずかな
時間の打ち合わせのみのために大阪に出向くこととなった。

なので、いつもより少し遅い時間の新幹線に乗ってゆっくりコーヒーをすすりながら新横浜
から新大阪まで2時間半ほど。

コーヒーを飲んでウトウトする間もなく列車は浜名湖を通り過ぎる。

大阪での仕事は某メーカーとの打ち合わせだが、昼食をとって一度大阪の事務所に立ち寄って
大阪の同僚と二人ででかけることとしたので、まずは昼食場所を探した。

これまで40年近くサラリーマンとして働いてきた中で、最初の3年間と終盤の3年間を
大阪本社で過ごした。

なので心斎橋や梅田などはよく知っているはずなのだが、入社時の3年間は遠い昔のことと
なってしまい、もう街の様子もお店も変わってしまっている。

後半の3年間は心斎橋周辺の数種類のお店ばかりで回していたので、あまり美味しいお店を
しらない。

こんなところが自分の「使えないところ」だ。

実のところ、最近は東京の本社にいてもあまり出かけなくなっていてお昼時にノウハウがない。

まあ既に嘱託社員なので仕事も絞られてきて取引先もそう多くはないから仕方ないところだ。

 

ただ、おかげさまで健康は維持できており、年に一度の健診でもあまり病の影は見つからずに済んでいる。

いまのところ健康で、花粉症をはじめとしたアレルギーもまったくない。

インフルエンザやコロナに罹患しないわけではないが、これまで重症化することはないまま
過ごしてきている。

高血圧と高脂血症はいつものこととなってしまっているが、早々に何か起こるとも思っていない。

ただ、お酒にはめっきり弱くなってしまった。コロナ以降は特に「自宅飲み」ばかりなので、特に話し相手も
なくて、ハイボールを2~3杯あけるともう寝落ちてしまう。

そんな風に今を生きている。

あと1年ほどで仕事を辞めることとしている。

この健康がいつまで続くのかわからない中で、昔考えていたプランを現実のものに
してみたいと考えている。

つまり、どこかに基地を作ってみたいということだ。

幼稚園に通う頃からずっと温めてきた夢だ。

ただ、実行に移すには時間がかかりすぎてしまい、現実は「隠れ家」を作ってまで
楽しむ遊びもなく、集まる仲間もすでにいなくなったあとだ。

20代の一時期、蓼科の別荘にいくとなんだか楽しくて仕方なかった。わくわくしていた。

今が、あの年齢であればもう少し夢は膨らんで楽しいものになっていたのかもしれない。

 

また、この春から長女が就職して家を出ることとなっている。

残るは大学生の長男だが、彼もあと3年ほど経てば学校を出てしまう。

奥さんはまだ働いているので、この家はでられないという。

ここで自分が家を出て2拠点生活するとなると、まずこの家は息子と奥さんの
二人暮らしになってしまうし、息子の仕事次第では奥さんが一人になってしまう。

 

今期いっぱいで今の仕事を終えて、2拠点計画を実行するつもりだったのだが
こんな事情で、また動きづらくなっている。

ただ反面、旦那(自分)が暇を持て余して何もせずに家でブラブラしてしまうのは
奥さんにとっては最大の困りごとだという。

悪く言えば旦那なんて適当に死ぬまで外で稼いでくればよいということととなり、
善意にとっても、適当に距離をおいて生きておいてほしいということのようだ。

 

それでも夢は実現したいし、わずか数年のことでもよいと思うのだが
それではずいぶんな無駄遣いになってしまう。

来年までずーとこんなことを考えていくのか悩ましい日々が続いていく。

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わすれてはならないこと

2025年02月01日 | つれづれ

今年の正月は神保町/新世界菜館の牡蠣そばで始まった。

今年の正月休みもウチの奥さんの実家にお世話になり、もてなしてもらった。

毎回、なにか持参していこうかと奥さんに云うのだが、彼女は特にいらないという。

他人である自分は、なかなかそうはいかないと気を遣おうとするのだが、総じて
彼女は拒否する。

もともと他人の家ではご飯が喉に通らず、好き嫌いを超えてあまり箸をつけないで
いることが多くて嫌われがちなので本当に気を遣っているのだが・・・。

 

この食事についての悪い性癖は小さなころからのことで、今さら変わることがない。

確か幼稚園に入る前くらいのこと、姉に続いて兄が小学校に上がったのを機に母親が仕事に
でかけるようになった。

何の仕事かは忘れたけれど裕福な家ではなかったので、母はいつも何かしら仕事をしていた。

今どきと違ってコストのかからない公立の幼稚園は年長のみだったので、自分は母親の
友人の家に預けられ、夕方になると母に迎えにきてもらう暮らしだった。

預けられた家のことはあまりよく覚えていないが、同い年の女の子がいる家で私鉄の線路に
近いアパートの1室だった。

元々人見知りがひどくてあまりなじめない子供だったので、同い年の女の子ともほとんど口を
きかなかった・・・と後年同級生になったその子から聞いたことがある。

他人の家では食事ができないのはその頃からのことで、母親は毎日菓子パンを持たせてくれた。
何も楽しいことはなく、毎日々々早く夕方にならないかと待っているだけの暮らしだった。

お世話になった方にはずいぶん気を遣っていただいたのだが、そんな調子なので早々に「この子
は無理だ」ということになり預けるのをやめたみたいで、記憶が薄いのではないかと思う。

そして、その後も他人の家では食べ物が喉を通らない難儀な病気は現在に続いている。
結局、いつも気を遣ってくれる方には失礼ばかりしとおしてきた。

さて、その家には預けられなくなり母は仕方なくもとの内職をしていたのだろう。

今でも日差しのあふれる小春日和には暖かい南側の部屋で母親の内職を手伝ったり
洗濯物をたたんだりして母親の側にいたのをよく覚えている。

そして、その翌年には晴れて幼稚園に通うようになった。

朝は兄姉が幼稚園まで連れて行ってくれるし、昼前に帰宅しても次に兄が小学校から帰って
くるので、母親は気兼ねなく仕事に出かけていった。

面倒な末っ子は、ひどい人見知りのわりに幼稚園に進んで知らない子供たちの中に入ると
親の心配を余所になかなかのリーダーシップをとってクラスをまとめるようになった。

この頃から、自分は少し知っている人たちの中でいるよりも、見ず知らずの人といる方が
得意だった。

現在も全く同じであって営業で出会った初めての方の方が話やすく、社内の打ち合わせや
部内会議などは苦手の極みだ。

 

 

自宅近所では兄や姉の同級生に鍛えられていたので、幼稚園のクラスでは身長も高く
運動神経もよくて自然に遊びのリーダーになっていた。

この頃は朝早く幼稚園のグランドでサッカーをするのが楽しくて仕方なく、毎日
々々一所懸命にボールを蹴っていた。

昭和40年代はベッドタウンが拡がって郊外の野原や低い山が崩されてどんどん住宅が新築
された時代だった。新興住宅地は、学校や幼稚園は整備が追い付かずに皆遠路はるばる
通園/通学していた。

それが故に幼稚園の仲間と遊ぶためには数キロの道のりを歩いていかなければなら
なかったが、毎日のように友人たちの住むエリアまででかけては新しくできたキレイな
公園で遊んでいた。

結果的に、公園でサッカーを終えてヘトヘトになっても、夕日の帰り道を歩いて帰る
こととなって、帰宅してすぐに寝てしまうこともよくあった。

たまたまの境遇だったが、このころから一日中遊ぶこと以上の体力がついたのだろう。

 

繰り返すが、いくつになっても他所で食事ができないことは変わらない。

いまだに、例えば誰かのうちに泊まるということは恐怖であり、こんなに
緊張することはない。

20代の終りにシカゴに住んでいた友人に招かれたときも、成田空港に到着したところ
までは、初めての渡航に浮かれていたのだが、友人の家族に会って、これから何泊か
世話になることに気づいたときから緊張が始まった。

そんな話をすると、子供たちには「それでウチのお母さんのごはんは大丈夫だったのか」と聞かれる。

こちらは不思議なもので、たいていの場合は付き合っている女子の作ってくれる食事は大丈夫なのだ。

とても勝手な、わがままな話なのだが事実は事実でありごまかしようはない。

 

 

我儘な話ばかりだが、ここまで長く生きてきて思うことは、自分の中にはもう一人の自分の知らない
自分がいて、そいつは産まれてこの方我儘し放題だということだ。

そして、それが本当の自分であって、いつもは何かしら着ぐるみをきて、自分で作り上げた演じ難い
キャラを演じているだけだということだ。

社会の中にいるということはそういうことであって、本当の自分が思い切って手足を伸ばしていられる
ような場所ではないということなのだ。

そんな社会からそろそろ足を洗おうと思うが、そうやって迷惑をかけたり気を遣わしたりした方が
いること、これは忘れてはならないことだ。

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年の瀬は年の始まり

2024年12月31日 | つれづれ

暇だったので、少し大きな本屋に行ってきた。

昔から用もなく本屋でいろんな本棚を漁るのが好きだったので
本屋や図書館に行くと無限に時間を過ごしてしまう。

最近は方々に大きな図書館ができているが、何気なく立ち寄る
には場所が不便だったりするので、こんな日はやはり本屋となる。

以前に比べて本屋が減ってしまい、そこそこの駅の近辺でも
本屋が見当たらなくなった。

代わって目立つのがブックオフなどなのだが、こちらはあまり
興味深い本がなくてつまらない。

Web上のコンテンツが多くなった結果なのだろうけど、やはり
本屋は本屋で存在してほしい。

インターネット通販で稼いだ消費税かなにかからリアルの本屋に
分配するようなことはできないのだろうかと真剣に懸念している。

 

さて、年の瀬を本屋さんで過ごすのも少し変なのであるが、本屋には
大好きな本が並んでいて、こんなときにしか存分には楽しめない。

今日、覗いた本棚・・・。

まず、鉄道関係で一冊、関西では私鉄のことを○○電車と呼び、関東では
○○線と呼ぶことに関する考察本。関西は民営>官営で、関東は逆なのだと。

阪神と阪急は今でこそ共同持株会社を親とする兄弟会社だが、最初は当然
ライバル関係にあって、阪急が後発だったのだという。

足元をウロチョロするぽっちゃりしたガキんちょが少し邪魔だったのだが
そんなことには動じずに閲覧を続けた。

 

次に、科学系の雑誌コーナーで「NEWTON」をチラ見。
そのままコーナー深部まで足を延ばして精神科学のところに行った。

そこで目についた「運のよい人は自分を運のよい人だと思っている」という本
をパラパラとななめ読み。

気に入った点は、己の行動が運/不運のいずれの結果を呼んだかがわからない
中で、自分は運がいいと信じられるひとは、ほとんど必ず運がよいのだとする
考え方だ。

根拠のない自信が最強の武器。

友人iの言葉を裏付けるものだ。

 

その勢いで、何故か宗教系のコーナーに進むと「歴史に登場する神社」という本が目に。

大した内容ではないが、昔から鉄道と神社は好物なので、少しの間、この
コーナーに時間を費やした。

ただ、通りすがる人がみなチラ見するので、なんだか居心地が悪かったのだが
原因はその下の本棚にある新興宗教系のコーナーだった。

大川隆法氏のものなど色々な著作が並んでいるのだが、中には「運が強くなる」系
の著作も並んでいた。

これも一種の宗教なのかなぁと眺めていたのは、時折私鉄のドア横のスペース
に広告を載せている○○出版のものなのだが、彼の広告によれば「読むだけで
運が強くなる」ということらしい。

やはり運がよくなるためには、運河よくなると信じることが大事なのだろう。

自分なぞまだまだ修行が足りないその他の衆生にすぎない・・・。

 

さて、それから資格関係のコーナーにまわってみると、存外いろいろな資格がある
もので。今回手に取ったのは「ドローン」の操縦資格についての解説本。

この資格もずいぶん一般化して既に10千人以上のパイロットがいるとのこと。

で、気になったのが埼玉県で免許合宿があり、研修が終わると実技試験が免除に
なるというもの。

すごく気になって、帰宅したら早速調べてみようとスマホにメモっておいた。

三食温泉付き保養所個室などとされていて、夕飯も豪華なものだったので
退職後に少し時間ができたら、是非行ってみたいと思った。

 

 

都合、3時間ほど本屋にいたのだが、少し世界が広がって新たな年も
迎えられそうな気分になったのだが、帰宅する電車の中ではたと気づいた。

何も買わずに出てしまった・・・。

こういう輩が駅前の本屋の敵なのかもしれない。

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ファンダンゴ

2024年12月27日 | つれづれ

結局、今回は退職を見送ってもう1年働くことにした。

上席との面談でもずいぶん慰留されてしまい行き場を失ってしまった。

ただ、2026年春には必ず退職すると上席にも家族にも宣言してしぶしぶ了承を得た。
(なぜ「しぶしぶ」なのかはわからない・・・)

 

 

しかし、今年は大きなイベントもなく「仕事時々ツーリング」で終わってしまった。

昨日が年内最終出勤で今日から10連休にしている。

前半は家族旅行+家内の実家に帰省ということで、中央道方面から三河に向かう。

長男が運転免許をとったので、張り切っている。初めてのロングドライブだ。

 

また昔話となってしまうが、自分が運転免許を取得したのは19歳の春くらいだった。

前年、大学に入った夏休み、お中元配送のアルバイトを終えて出た四国への一人旅で
出会った人たちが単車で自由に旅するのを見て、まっ先に原付の免許を取得した。

その後、やはり普通自動車の免許も必要かと思いたち、冬の間に時間貸しの教習所で
ノウハウを教えてもらって、直接運転免許センターで試験を受けて苦労しながらも
なんとか取得した普通自動車運転免許。

免許取ってもまないころは、隣に乗ってくれた友人から「怖い怖い」「危ない!」と連呼
されながら運転を覚えたものだ。結果、特に事故をおこすこともなく今に至っており
ありがたいことだと思っている。

最初のロングドライブでどこに向かったのかなどは忘れてしまったが、恐らくバイト
仲間と出かけた岡山県の鷲羽山だったと思う。

バイト先は木曜が定休日だったので、1台の自動車に4人乗り込んで、平日の早朝から
「あーでもない、こーでもない」と賑やかに出かけた。

当時は瀬戸大橋がまだ工事中で、鷲羽山からその工事風景が展望できるというので
鷲羽山が目的地になったと覚えている。

 

 

ケビン・コスナーの初期のころの出演作に「Fandango」という映画がある。

大学卒業を前に徴兵の通知を受けて、最後のバカ騒ぎをしにテキサスからメキシコ国境に
向かうロードムービーで、今でも大好きな映画の一つだ。

 

大学4年の夏、就職活動の合間にやはり友人の車でそんなドライブに出たことがある。

映画に比べれば、ちっぽけな1泊2日の小旅行だったけれど、自分たちにとっては
「遊んでいられる時期」の終焉を意識しだしたころであり、不毛な採用面接が終って
就職先がほぼ決まり「ネクタイを締めてスーツを着る」生活に怖れを感じはじめた時期だった。

 

その後、皆それぞれに人生を進んでこんな歳になってしまった。

次回、契約を更新せずに「毎日スーツを着る」生活が終焉を迎えることになる。

あの頃は「見えない未来」への夢と不安を語っていて、今は「通り過ぎた過去」への
後悔と怨恨を口にしがちなことが少し残念だ。

 

 

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