コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

時間軸に学ばないというスタイル

2006-03-06 13:50:12 | 
いま、目の前に"SONNY STITT PLAYS FROM PEN OF QUINCY JONES"のCDがある。

ボーナストラック付きが出ていることに最近気がついて購入。高校生の頃、最初に買ったレコードの内の一枚だったと思う。勿論、それもまだ持っている。

ソニー・スティットは、ライブのチケットも買ってあったのに、来日中に倒れて急死、公演中止になってしまったと言う悲しい想い出があるのだけれど、それ以外にもいろいろ考えさせられることが屡々。


このレコードを買ったのは、クインシー・ジョーンズが好きだったからで、スティットのことは知らなかったと思う。その後、結構色々買って、今でもぽつりぽつりとCDを買うことがある。結構お気に入りだ。
日本語の解説を読むと、大抵が、チャーリー・パーカーとの類似性と、巡り合わせの不幸、みたいなことが書かれている。amazonのレビューなどを見ても、エピゴーネン扱いをする人が目につく。

正直のところ、私は、チャーリー・パーカーをちゃんと聴いてない。
そう言えば、高校生の時、初めて買ったジャズのレコードは、レッド・ノーヴォのアルバム(あ、思い出した、レッド・イン・ニューヨークだ)で、デビューして間もないスコット・ハミルトンが起用されていた奴だ。それが気に入って、そこに加わっていたメンバーのレコードを芋づる的に買ったりしていたのだが、スコット・ハミルトンの解説には、必ず、コールマン・ホーキンスの影響・類似、と言うことが書かれていた。でも、私は、コールマン・ホーキンスを聴いたことがなかった。


私は、江戸文学を専攻している。例えば、『おくのほそ道』を読む時、『源氏物語』や『新古今』、或いは、漢詩文の素養は無くちゃね、という話とか。
実際、江戸の小説を研究するなら『源氏物語』は全部読み込んでおかなきゃダメです、と、着任早々、先輩教授に言われたし、日本史を勉強するならまず『古事記』『日本書紀』だ、と言う方も。民俗学的なアプローチを、と言えば、柳田全集は読みましたか、と訊かれた。
実際、そうやって、本来の興味の対象に近づくための前段の研究で専門家になってしまった人も知っている。

しかし、ホントに必要なんだろうか。
確かに、影響はあるんだろう。
でも、それを極めないと、と言うのでは、何度もゼロからのスタートだ。

若い人が、思いつきや発見を語り出すと、それは誰それがもう言ってるよ、とか、あの人の影響だね、とかいってシュンとさせてしまうことがある。私もそう言うこと、言う方かも知れない。学問の場合、前をふまえるのは、確かに大事な部分もあるし。

でもねぇ。

今、ここ、が在る。
私の居る所。

そこからの実感が一番大切なんじゃないかなぁ、と。


ソニー・スティットは、チャーリー・パーカーの歿後、アルトで元気に活躍、かなり新しい試みもしていたように思う。私は、相変わらずバードは聴かない。で、時々、聴いてみた方が良いのかなぁ、なんて殊勝なことを考えたりもするのだけれど、スティットが好きなのは確かなんだから、それで良いんじゃないか、と思ったり。

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