今日、ひとりの学生が、進路相談に来た。
あんまり具体的な話は控えます。要するに、不安定は覚悟で、夢を追いたいけれど、親が反対している、と言う話。
「先生は、進学するとか、教授になりたいとか言ったとき、もめませんでしたか」、と切り出してきた。いい質問だよ。
ありましたともさ。大学の教師なんて、現実はともかく、世間から観れば、ある程度高いステイタスだと思うんだけれど、それだって、親戚一同、相当反対だった。教授の娘と結婚でもしない限り口がないとさえ言われた(そういえば、就職したての頃、恩師のひとりから、娘をどうか、って言われたなぁ)。馬鹿な話だ。
私の場合、教員採用試験に受かっていて、内々にオファーもあったので、大学院に出願するなら、明確に教員は断念するべし、と言う話になっていて、結構ギリギリの段階で判断を迫られていた。
大家さんの部屋の電話で、父親に、「教師「で」、良いのか、「が」じゃないのか」と迫られた冬の夜のことは、今でも鮮明に憶えている。
兄は、二つの高校に行ったけれど、卒業はしなかった。今も、売れないミュージシャンをやってるけど、かっこいいし、尊敬してる。苦労はあると思うけど、好きな人生をちゃんと生きてるから。
オヤジは、定年まで、教頭にもならずに、一ヒラ教師を続けた。今も、有る意味教師だ。
母のことは前に書いた。人のことを心配するのが仕事みたいな人生だった。それが、本当に幸せなのか、疑問に思ってたときもある。でも、今は、多分、あれが彼女にとっての幸福な人生だったんだと思える。
そうやって、ウチの家族はみんな、好き勝手に生きてきた。祖母も、そのダンナも、相当にパワフルな明治人だったようだし、そういう血なんだろう。
親は、子供が心配になる。幾つになっても子供は子供だ。苦労はさせたくない。だから、安定した職業について、幸せな家庭を築き、家を存続させる事の尊さを語ろうとするかも知れない。
でも、それが、必ずしも、本人の幸せだとは言えないでしょ、と言う話。
金属バット殺人事件というのがあった頃、インタビューで、どっかの母親が、子供のことを思って叱ったりなんだりするんだから、殴らないでね、って息子に言った、とか何とか言うのをみた記憶がある。そのとき、そいつ殴り殺して良い、と思ったよ。
あんたのための人生は誰のためだ?
親のために生きるのが親孝行じゃないよ。
前にも書いたけど、自分の幸せを貪欲に生きることが、結局みんなの幸せになる。
親の望む人生を不本意に送って、誰が幸せになれる? それで幸せだと満足する親は、人間じゃないよ。
子供が、心底幸せで、わがままな人生を支えてくれて有り難う、って、最期の最後に感謝できれば、最高の親孝行じゃないか。
あぁ、また新間さんネタで申し訳ない。週末に彼女と話して、ご本人は、妹さんをはじめ、ご家族の支えがあって、自分があるという。彼女の国際的な活躍は、ひとりの力で成り立っているのではない。ずっと支えられてきたから、今度は支える人にならなきゃ、と。
専業主婦になるのが当然の希望だった娘が、突然夢が出来たと家を出て、それでも支えて来た家族がいる。御両親は、寂しかったと思う。でも、今、多分、みんな、幸せなんじゃないかと想像できる。新間さんの最高に素敵な笑顔をみたら、誰だってそう思える。だから彼女は、家族だけじゃなく、もっともっと沢山の人を幸せにしてくれる力を持っていられる。
何年か前、カナダから来た留学生のひとり(女性)は、その頃ここにいた学生と結婚して、日本に住み着いてしまった。御両親は寂しがったと言うけれど、今もとても幸せそうだ。わざわざ言う事じゃないけど、絶対経済的に豊かじゃないよねぇ、キャロルさん。
だから、ウチの学生には、生きたいように生きろ、おまえの人生だよ、と言うことにしている。
そうやって、就職蹴って、また苦労し続けてる人もいるね。すまぬ。なんにも支えてやれなくて。
でも、俺は、おまえ達が本気で幸せになって欲しいのだよ。
おかげでコニ研は就職率が低いかも知れないけど、構わないじゃん。安定なんてどこにあるの?
就職することが幸せとは限らないでしょ。幸福率の高いゼミにしようよね。
妥協するな。半端に生きるな。
は、私自身に返ってくる言葉だ。
あんまり具体的な話は控えます。要するに、不安定は覚悟で、夢を追いたいけれど、親が反対している、と言う話。
「先生は、進学するとか、教授になりたいとか言ったとき、もめませんでしたか」、と切り出してきた。いい質問だよ。
ありましたともさ。大学の教師なんて、現実はともかく、世間から観れば、ある程度高いステイタスだと思うんだけれど、それだって、親戚一同、相当反対だった。教授の娘と結婚でもしない限り口がないとさえ言われた(そういえば、就職したての頃、恩師のひとりから、娘をどうか、って言われたなぁ)。馬鹿な話だ。
私の場合、教員採用試験に受かっていて、内々にオファーもあったので、大学院に出願するなら、明確に教員は断念するべし、と言う話になっていて、結構ギリギリの段階で判断を迫られていた。
大家さんの部屋の電話で、父親に、「教師「で」、良いのか、「が」じゃないのか」と迫られた冬の夜のことは、今でも鮮明に憶えている。
兄は、二つの高校に行ったけれど、卒業はしなかった。今も、売れないミュージシャンをやってるけど、かっこいいし、尊敬してる。苦労はあると思うけど、好きな人生をちゃんと生きてるから。
オヤジは、定年まで、教頭にもならずに、一ヒラ教師を続けた。今も、有る意味教師だ。
母のことは前に書いた。人のことを心配するのが仕事みたいな人生だった。それが、本当に幸せなのか、疑問に思ってたときもある。でも、今は、多分、あれが彼女にとっての幸福な人生だったんだと思える。
そうやって、ウチの家族はみんな、好き勝手に生きてきた。祖母も、そのダンナも、相当にパワフルな明治人だったようだし、そういう血なんだろう。
親は、子供が心配になる。幾つになっても子供は子供だ。苦労はさせたくない。だから、安定した職業について、幸せな家庭を築き、家を存続させる事の尊さを語ろうとするかも知れない。
でも、それが、必ずしも、本人の幸せだとは言えないでしょ、と言う話。
金属バット殺人事件というのがあった頃、インタビューで、どっかの母親が、子供のことを思って叱ったりなんだりするんだから、殴らないでね、って息子に言った、とか何とか言うのをみた記憶がある。そのとき、そいつ殴り殺して良い、と思ったよ。
あんたのための人生は誰のためだ?
親のために生きるのが親孝行じゃないよ。
前にも書いたけど、自分の幸せを貪欲に生きることが、結局みんなの幸せになる。
親の望む人生を不本意に送って、誰が幸せになれる? それで幸せだと満足する親は、人間じゃないよ。
子供が、心底幸せで、わがままな人生を支えてくれて有り難う、って、最期の最後に感謝できれば、最高の親孝行じゃないか。
あぁ、また新間さんネタで申し訳ない。週末に彼女と話して、ご本人は、妹さんをはじめ、ご家族の支えがあって、自分があるという。彼女の国際的な活躍は、ひとりの力で成り立っているのではない。ずっと支えられてきたから、今度は支える人にならなきゃ、と。
専業主婦になるのが当然の希望だった娘が、突然夢が出来たと家を出て、それでも支えて来た家族がいる。御両親は、寂しかったと思う。でも、今、多分、みんな、幸せなんじゃないかと想像できる。新間さんの最高に素敵な笑顔をみたら、誰だってそう思える。だから彼女は、家族だけじゃなく、もっともっと沢山の人を幸せにしてくれる力を持っていられる。
何年か前、カナダから来た留学生のひとり(女性)は、その頃ここにいた学生と結婚して、日本に住み着いてしまった。御両親は寂しがったと言うけれど、今もとても幸せそうだ。わざわざ言う事じゃないけど、絶対経済的に豊かじゃないよねぇ、キャロルさん。
だから、ウチの学生には、生きたいように生きろ、おまえの人生だよ、と言うことにしている。
そうやって、就職蹴って、また苦労し続けてる人もいるね。すまぬ。なんにも支えてやれなくて。
でも、俺は、おまえ達が本気で幸せになって欲しいのだよ。
おかげでコニ研は就職率が低いかも知れないけど、構わないじゃん。安定なんてどこにあるの?
就職することが幸せとは限らないでしょ。幸福率の高いゼミにしようよね。
妥協するな。半端に生きるな。
は、私自身に返ってくる言葉だ。
そこで働く自分の姿を考える中で、ようやく「夢」と呼べるものも出来ました(←苦節21年。なんて夢の無いヤツだったんだ)
こういう風に活躍したい、という野望も抱きました。
ふと気づくと、いろんな人のお陰なんですよねぇ。
自分の夢だけど、自分一人の力で輪郭を作り上げた訳ではなく、色んな人の影響を受けてる、と。
夢だけじゃなく、今の自分があるのはみんなのお陰だとさえ思えました。
こういうのって、幸せというヤツなんでしょうねぇ。
・・・てのを、とっとと内定決めて、親に報告したいと思います。
「家の外に出してくれたお陰で、こんな事考えられるようになったんやで」と。
ま、それが今の僕に出来る、一番の親孝行じゃないですかねぇ。
・・・どうか採用落ちませんように(笑)
学生の皆さんはコニタさんみたいな先生に知り合う事が出来て
ホントにラッキーだと思いますよ。
世の中のほとんどのオトナは、真逆か、いいトコロで、「言うだけ」のひとですからね。
「真面目に、真っ当に」生きる事のほうが、本当は楽なのです。
なぜならそれが「あなた自身」だから。
常識や損得で生きると辛いですよ~それは「あなたじゃ無い」からです。
昨日「世の中の常識と損得で生きている見本」みたいな人に出会って、ある意味感動しました。完璧な反面教師!!
この話しはいずれ・・・
親の言うとおりにするということは、親に責任をなすりつけることでもある。
がんばれ、若人よ。
親は親であってあなたではないのだ。
ですよね、先生!
というか、わたしと同じ話なのでコメントしちゃいます。
わたしは今、就職蹴って、バンドしてます。
大学4年の後半はものすごく悩みました。
これでいいのか、間違ってないのか、と。
でもね、間違いなんてないんだなーと思いました。
自分が選んだことだし、そういう運命なんだと思って。
親にはいまだに「職に就いたら?」と安定の道を勧められます。
でも、今は自分が進むところはそっちじゃない。
この年になってくると、親のことも心配になるけどね。
コニタさんは応援してくれていてとても励みになります。
この場でこっそり(?)ありがとうございます。
みんなを見返したい。
みんなに愛されたい。
それだけ。
なーんちゃって。
先生のブログは、日々仕事帰りの楽しみとしてこっそり拝見させていただいております☆ご挨拶が遅くなってすみません。
学生を卒業して早2ヶ月。本当にあっという間でした。私は今、時期店長候補という形で働いています。最近考えるのが、性格的な特性と仕事の関係についてです。
実際に働き出してみて感じた事ですが、世の中の仕事は、あらゆることに頭を巡らせて思考を一箇所に留まらせないシゴトと、より深く思考して探究していくシゴトという、ほんとうに大雑把な言い方をすると二種類に分けられるんじゃないかと思います。
働くって不思議ですね。仕事を通じて、自分はこれはできるということ、これは出来ないということが、以前より区別できてきた気がします。数少ない収穫ですが。
生活のために働くのは、自らの体を売ることに等しい。自分の幸せには妥協したくないですね。