学生達が、学外で、市民向けに、しかも、カフェを使って食事付き、有料の卒業論文発表会を開きたい、と言う提案をしてきた。
アッパレ会後援・卒論発表会 『卒論ミュージアム』
~音楽を聴くように、アートを見るように、卒論に触れよう~
日時:2月15日(金)18時30分開場~
場所:NAS'H
静岡市葵区鷹匠2-15-10 (新静岡センター徒歩4分)TEL 054-272-5555
会費:社会人3000円 学生2000円
詳細の解るチラシ画像はこちら。 PDFもあります。
同僚に話したら、「え~! 卒論発表会にお金取るんですか??!!」と驚かれた。
確かにね。
普通に考えたら、誰も来ない。
ただでも、誰も来ない。
場所を変えただけの自己満足の追いコン。
でも、きっとそうはならない。
そうはさせない。
『市民と静大・共同企画講座をすすめる会(あっぱれ会)」が動き出して4年経った。
前の記事に書いたように、一番の目に見える成果は情報意匠論の講義の成果物が社会的に認められるような形になっていることだと思う。
実際には、形や数値に現すことの出来ないたくさんの効果が出ている。
今度の学生提案も、そういう効果の現れだと思う。
あっぱれ会は、実用的で数字にしやすい学問偏重の流れの中で、文科系の学問を支えるために、市民が中心になって起こした団体だ。
授業だけでなく、支援して下さっている多くの方々との交流は、学生達の意識を明確に変えてきた。
それは--またしても功利的な話になってしまうが--就職活動への大きな自信にも繋がり、目に見える成果を上げた。
しかし、基本は、そういうところにあるのではない。
正直のところ、門前塾に所属している学生達の多くは、ありがたいチャンスを享受するばかりで、大人達の思いも寄らないような企画を自分から言い出し、作っていくようなパワーを持っていない。
私は、準備の出来ていない学生達にそういうチャンスを与えてしまうことが、却って、問題発見能力の発展を阻害してしまうのではないかと言うことを、ずっと畏れ続けてきた。
だから、私は門前塾の活動にも、満足していない。
第1世代は卒業し、先輩達を仰ぎ見て学んできた連中が、この春、卒業する。
彼女たちは、自分の卒業論文を、外に向けて発表することで、学生生活の締めくくりをしようと言い出した。
それを待っていたんだよ!!
社会と関わり合いながら、大学でする学問の意味を見据えて、卒業論文はある。
学問は楽しい。
最高の贅沢だ。
そのことに気づいた者は幸いである。
文科系の卒業研究は、基本的に、社会にコミットするものではない。
ある「文学作品」を、私はこう読む、と言われたところで「勝手にしなさい、それが何?」と言う話だ。
しかし、その取り組みが、その人の4年間であり、これからの人生を決めている。
大学の教室を使う内輪だけの発表会なら毎年やってきた。
学問は、教室の中にある?
否。
浮世離れした研究も、学生一人一人の人生と同じように、社会と繋がっている。
だから、学生達は、発表の場を、街なかのカフェにした。
学生2000円。社会人は3000円。
それを高いと思うか、安いと思うか。
さて、次は教員の番だ。
アッパレ会後援・卒論発表会 『卒論ミュージアム』
~音楽を聴くように、アートを見るように、卒論に触れよう~
日時:2月15日(金)18時30分開場~
場所:NAS'H
静岡市葵区鷹匠2-15-10 (新静岡センター徒歩4分)TEL 054-272-5555
会費:社会人3000円 学生2000円
詳細の解るチラシ画像はこちら。 PDFもあります。
同僚に話したら、「え~! 卒論発表会にお金取るんですか??!!」と驚かれた。
確かにね。
普通に考えたら、誰も来ない。
ただでも、誰も来ない。
場所を変えただけの自己満足の追いコン。
でも、きっとそうはならない。
そうはさせない。
『市民と静大・共同企画講座をすすめる会(あっぱれ会)」が動き出して4年経った。
前の記事に書いたように、一番の目に見える成果は情報意匠論の講義の成果物が社会的に認められるような形になっていることだと思う。
実際には、形や数値に現すことの出来ないたくさんの効果が出ている。
今度の学生提案も、そういう効果の現れだと思う。
あっぱれ会は、実用的で数字にしやすい学問偏重の流れの中で、文科系の学問を支えるために、市民が中心になって起こした団体だ。
授業だけでなく、支援して下さっている多くの方々との交流は、学生達の意識を明確に変えてきた。
それは--またしても功利的な話になってしまうが--就職活動への大きな自信にも繋がり、目に見える成果を上げた。
しかし、基本は、そういうところにあるのではない。
正直のところ、門前塾に所属している学生達の多くは、ありがたいチャンスを享受するばかりで、大人達の思いも寄らないような企画を自分から言い出し、作っていくようなパワーを持っていない。
私は、準備の出来ていない学生達にそういうチャンスを与えてしまうことが、却って、問題発見能力の発展を阻害してしまうのではないかと言うことを、ずっと畏れ続けてきた。
だから、私は門前塾の活動にも、満足していない。
第1世代は卒業し、先輩達を仰ぎ見て学んできた連中が、この春、卒業する。
彼女たちは、自分の卒業論文を、外に向けて発表することで、学生生活の締めくくりをしようと言い出した。
それを待っていたんだよ!!
社会と関わり合いながら、大学でする学問の意味を見据えて、卒業論文はある。
学問は楽しい。
最高の贅沢だ。
そのことに気づいた者は幸いである。
文科系の卒業研究は、基本的に、社会にコミットするものではない。
ある「文学作品」を、私はこう読む、と言われたところで「勝手にしなさい、それが何?」と言う話だ。
しかし、その取り組みが、その人の4年間であり、これからの人生を決めている。
大学の教室を使う内輪だけの発表会なら毎年やってきた。
学問は、教室の中にある?
否。
浮世離れした研究も、学生一人一人の人生と同じように、社会と繋がっている。
だから、学生達は、発表の場を、街なかのカフェにした。
学生2000円。社会人は3000円。
それを高いと思うか、安いと思うか。
さて、次は教員の番だ。
誰が行くかそんなとこ広告料で儲けようとしてんじゃねえぞ
私も、いくら食事付きでも高いんじゃないかなぁ、と思いながらこの記事を書いていたと思います。
しかし、実際には大盛況でした。
「広告料」は取っていないんじゃないかったかなぁ……。