後出しで「成功すると思ってました」というのは嫌らしいので、先に言ってあったわけです。
多分彼女たちもまだ理解できていない、私だけがあらかじめ解っていること。
当日その場にいる人は、一つの事件を目撃します。
大学における地域連携授業の新しい地平、ってとこかな。
そうなったでしょ。
そして、来なかった人には、「残念でしたね」と微笑みながら言おう。あなたは人生をちょっと豊かにするチャンスを一つ逃しましたね、と。
さすがに、20年近く教員をやっていれば、今回のことが、今までとは別のステージでの出来事だと言うことは感じていましたよ。
だから、ちゃんと検証/顕彰しておかなくちゃいけない。
「静岡の文化」という授業は、地域の大人達と言語文化の一年生とが協働でフィールドワークを展開しながら、静岡に愛着を持つと同時に学問の方法を身につける事を目標にしている。
で、前にも書いたけれど、最初は社会人受講者が居たんだけれど、“受講者”としての社会人という存在には、私も学生達も、本当に手を焼いた。疲れるだけで殆ど何も生み出さないという、散々な2年間は、それでも、“糧”になったと思うしかない。
少なくとも、私は成長したでしょう。
そう言う苦い経験もふまえた上で、偶然にも助けられて始めたのが、イベントタイアップで、今年度は、前期にマッケンジー邸企画を行った。
これも大盛況だったけれど、基本的に私がホストで全部の段取りを作ってあったので、学生達は、その意義も知らないまま--多分、アウインもヘリヤもその日まで聞いたこともないまま--スタッフとして加わり、モチベーションの上がらないまま後処理を投げられて困っている、と言うのが実情だろう。
マッケンジー邸と正教会の他に、あと二つの企画があるのだけれど、そのうち一つは大人数で今もずっと活動を続けてくれているUDO。私がうまく関われていないのが歯がゆいし、正直、題材が難しすぎた。一番近くなのに、遠い。
このメンバーは、とにかく機動力があって、片山廃寺のお祭りだけでなく、長政まつりにも、また、マッケンジー邸や正教会にも、必ず誰か手伝いに来てくれていた。そう言う姿はみんなの目にとまっているので、ちゃんとみんな協力すると思うよ。
もう一つは、静岡の母、小坂の成沢政江さんの聞き書き。
これも、遠いこともあって、リーダー一人ががんばっているものの、他の人達と温度差があってちょっと戸惑っている感じ。サークルだのなんだの、忙しくなってるしね。
リーダーが、御坂堂でちゃんと認知されてる事は何よりなんだけども。
私としては、この授業の中で、毎年一件は「誰々を聞き尽くす」という企画をしたいと思っているのだけれど、案外難しいと言うことが判ったので、ちょっと仕様変更検討中。
で、さて、ICORIN。
そもそも年度初めに希望でグループ分けした時点で、女子だけ5人だった、と言うのも今考えればまとまりやすかったのかも知れない。
グループワークは本当に難しい。
このチームは、早いタイミングで教会に行き、実際にイコンを見学し、信徒の皆さんや神父ともお話ししている。
実は私自身、細かい話をしないまま当日になっていたので、その場で断られる可能性もあったし、実際、信徒の皆さんの表情は硬かった。沈黙の中で、桑原神父が「やりましょう。やるなら大々的にやったらどうです?」とおっしゃった時には、本当に安堵した。
この時点で、みんなのモチベーションが一気に高まったのは確かでしょう。
そのあと、話し合いながら自然と役割分担が出来、調べる・まとめる・発表すると言う過程では、私の仕事はほとんど無し。時々資料を探してくるくらい。
そう言う中で、一人10分の発表、約3000字の原稿が出来た。
こういう経験は、これからの学生生活で、長いレポートや論文を書く時の自信に繋がるだろう。
30日に会場にいらした方は想像がつくと思うのだけれど、神父も信徒の皆さんも本当に優しく接して下さったし、当日の聖歌やイコン解説など積極的に動いて下さった。
また、今回は住宅街の中にある教会、と言うことで、春日3丁目の町内会長さんにお願いして、回覧板での告知も実現した。これも、会長さん自らチラシの手直しをしてくださった。

その上、何人かの方には直接お話もして下さったそうで、当日数人ではあるけれど、回覧板を見ておいでになった人もあり、とても喜んでいただけた様子。
宗教が絡むと色々ややこしい事が多い中、こうして、少しだけだけれど、壁が取り払われようとしているのは本当に悦ばしいことだし、ある意味、地方国立大学の学生という、“中立”の立場だからこそ実現したのだとも言える。
画像や資料の使い方、資料の信憑性の検証、それから発表技術、至らないことはたくさんあったと思う(スクリーンと座席の関係など、会場のしつらえに関しては私に責任があります)。
しかし、大学の授業は、修行の一環だ。完成品を見せる場所ではない。
だからくずくずで良い、と言うわけではなく、大勢の知らない人達の前で、伝えたいことをちゃんと伝えることを意識すること。
これが、教室の中で発表会をしたり、レポートで終わらせるフィールドワーク授業とは違うところだし、その意義も十分に示せたと思っている。
私の知らないところでも、かなり大変な準備作業があったことが伺えるけれど、大変だからこそ、楽しい、と言うこともちゃんと体感できた様子だし、実際、自信を持って多くの人に宣伝もしていた。マッケンジー邸の時は、手伝ってくれた受講者以外の静大生は殆ど見えなかったのに対し、今回は私の知らない学生がそこそこ来ていたのも悦ばしい。
私の授業は、半期2単位という“褒美”しかない。手抜きをしても、大抵貰える。
報道も受賞もない。
しかし、本気で取り組んだあとには、たくさんの暖かい感想が寄せられ続けているし、自分たち自身、単位や表立った栄誉よりもずっと大事な物を手に入れた事を自覚してくれていると思う。
これから先、例えばスノドやイタリー亭をはじめ、色んな所で、「あ、イコリンの人だね」と言われるかも知れない(声かけてやって下さい)。あるいは、メンバー以外の大学関係者が「静大生が、面白いことやったね」、と言われることもあるかも(噂を広めて下さい~~~!)。
そうやって、地域の中でほんの少しずつでも、静岡大学人文学部言語文化学科という、一見、わけの分からないところの学生達が、授業を通じて何を学んでいるのか、理解が拡がっていってくれたら嬉しい。
大学が地域と繋がるって、そういう事だと思う。
長くなった。
もう少し続きがある予定。
多分彼女たちもまだ理解できていない、私だけがあらかじめ解っていること。
当日その場にいる人は、一つの事件を目撃します。
大学における地域連携授業の新しい地平、ってとこかな。
そうなったでしょ。
そして、来なかった人には、「残念でしたね」と微笑みながら言おう。あなたは人生をちょっと豊かにするチャンスを一つ逃しましたね、と。
さすがに、20年近く教員をやっていれば、今回のことが、今までとは別のステージでの出来事だと言うことは感じていましたよ。
だから、ちゃんと検証/顕彰しておかなくちゃいけない。
「静岡の文化」という授業は、地域の大人達と言語文化の一年生とが協働でフィールドワークを展開しながら、静岡に愛着を持つと同時に学問の方法を身につける事を目標にしている。
で、前にも書いたけれど、最初は社会人受講者が居たんだけれど、“受講者”としての社会人という存在には、私も学生達も、本当に手を焼いた。疲れるだけで殆ど何も生み出さないという、散々な2年間は、それでも、“糧”になったと思うしかない。
少なくとも、私は成長したでしょう。
そう言う苦い経験もふまえた上で、偶然にも助けられて始めたのが、イベントタイアップで、今年度は、前期にマッケンジー邸企画を行った。
これも大盛況だったけれど、基本的に私がホストで全部の段取りを作ってあったので、学生達は、その意義も知らないまま--多分、アウインもヘリヤもその日まで聞いたこともないまま--スタッフとして加わり、モチベーションの上がらないまま後処理を投げられて困っている、と言うのが実情だろう。
マッケンジー邸と正教会の他に、あと二つの企画があるのだけれど、そのうち一つは大人数で今もずっと活動を続けてくれているUDO。私がうまく関われていないのが歯がゆいし、正直、題材が難しすぎた。一番近くなのに、遠い。
このメンバーは、とにかく機動力があって、片山廃寺のお祭りだけでなく、長政まつりにも、また、マッケンジー邸や正教会にも、必ず誰か手伝いに来てくれていた。そう言う姿はみんなの目にとまっているので、ちゃんとみんな協力すると思うよ。
もう一つは、静岡の母、小坂の成沢政江さんの聞き書き。
これも、遠いこともあって、リーダー一人ががんばっているものの、他の人達と温度差があってちょっと戸惑っている感じ。サークルだのなんだの、忙しくなってるしね。
リーダーが、御坂堂でちゃんと認知されてる事は何よりなんだけども。
私としては、この授業の中で、毎年一件は「誰々を聞き尽くす」という企画をしたいと思っているのだけれど、案外難しいと言うことが判ったので、ちょっと仕様変更検討中。
で、さて、ICORIN。
そもそも年度初めに希望でグループ分けした時点で、女子だけ5人だった、と言うのも今考えればまとまりやすかったのかも知れない。
グループワークは本当に難しい。
このチームは、早いタイミングで教会に行き、実際にイコンを見学し、信徒の皆さんや神父ともお話ししている。
実は私自身、細かい話をしないまま当日になっていたので、その場で断られる可能性もあったし、実際、信徒の皆さんの表情は硬かった。沈黙の中で、桑原神父が「やりましょう。やるなら大々的にやったらどうです?」とおっしゃった時には、本当に安堵した。
この時点で、みんなのモチベーションが一気に高まったのは確かでしょう。
そのあと、話し合いながら自然と役割分担が出来、調べる・まとめる・発表すると言う過程では、私の仕事はほとんど無し。時々資料を探してくるくらい。
そう言う中で、一人10分の発表、約3000字の原稿が出来た。
こういう経験は、これからの学生生活で、長いレポートや論文を書く時の自信に繋がるだろう。
30日に会場にいらした方は想像がつくと思うのだけれど、神父も信徒の皆さんも本当に優しく接して下さったし、当日の聖歌やイコン解説など積極的に動いて下さった。
また、今回は住宅街の中にある教会、と言うことで、春日3丁目の町内会長さんにお願いして、回覧板での告知も実現した。これも、会長さん自らチラシの手直しをしてくださった。

その上、何人かの方には直接お話もして下さったそうで、当日数人ではあるけれど、回覧板を見ておいでになった人もあり、とても喜んでいただけた様子。
宗教が絡むと色々ややこしい事が多い中、こうして、少しだけだけれど、壁が取り払われようとしているのは本当に悦ばしいことだし、ある意味、地方国立大学の学生という、“中立”の立場だからこそ実現したのだとも言える。
画像や資料の使い方、資料の信憑性の検証、それから発表技術、至らないことはたくさんあったと思う(スクリーンと座席の関係など、会場のしつらえに関しては私に責任があります)。
しかし、大学の授業は、修行の一環だ。完成品を見せる場所ではない。
だからくずくずで良い、と言うわけではなく、大勢の知らない人達の前で、伝えたいことをちゃんと伝えることを意識すること。
これが、教室の中で発表会をしたり、レポートで終わらせるフィールドワーク授業とは違うところだし、その意義も十分に示せたと思っている。
私の知らないところでも、かなり大変な準備作業があったことが伺えるけれど、大変だからこそ、楽しい、と言うこともちゃんと体感できた様子だし、実際、自信を持って多くの人に宣伝もしていた。マッケンジー邸の時は、手伝ってくれた受講者以外の静大生は殆ど見えなかったのに対し、今回は私の知らない学生がそこそこ来ていたのも悦ばしい。
私の授業は、半期2単位という“褒美”しかない。手抜きをしても、大抵貰える。
報道も受賞もない。
しかし、本気で取り組んだあとには、たくさんの暖かい感想が寄せられ続けているし、自分たち自身、単位や表立った栄誉よりもずっと大事な物を手に入れた事を自覚してくれていると思う。
これから先、例えばスノドやイタリー亭をはじめ、色んな所で、「あ、イコリンの人だね」と言われるかも知れない(声かけてやって下さい)。あるいは、メンバー以外の大学関係者が「静大生が、面白いことやったね」、と言われることもあるかも(噂を広めて下さい~~~!)。
そうやって、地域の中でほんの少しずつでも、静岡大学人文学部言語文化学科という、一見、わけの分からないところの学生達が、授業を通じて何を学んでいるのか、理解が拡がっていってくれたら嬉しい。
長くなった。
もう少し続きがある予定。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます