コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

05年度総括。の前に、

2006-02-28 21:29:40 | 
忙しいのだけれど、これは書いておくべき事。

授業の成績評価、それから入試が終われば、だいたい、今年度の「教育」関係の仕事は終了する。
「研究」及び「行政」関係は、まだまだだけれども。


で、例年通り、「自己評価」をしようと思うのだけれど、その前に、すこし、確認しておかなければならない問題があるので、本当はこんな事を書いている場合ではないのだけれど、書きます。


今日、アッパレ会の会合の席上、「門前塾」のすばらしさ、と言う話題で、ひとしきり盛り上がった。簡単に言うと、

1 超低予算:「組長」と呼ばれる教師役の大人を含め、誰一人、金銭的な報酬を取らずに運営している。むしろ、自腹でいろいろ。
2 学生が積極的:収入も、単位もないのに、みんな、夜昼の区別無く、よく活動している。

極単純に言えば、こういう事。
つまり、目に見える「利益」は何にもないのに、全員が、活き活きと活動している、と言うのが、門前塾のすごいところ。それで、学生(「学徒」というらしい。どうも、この会の様々なネーミングには、ちぐはぐなところがあって、私にはなじめない。異化作用をねらっているのか)も「組長」も、満足しているし、実際に、得るものが計り知れないことも、十分承知している。

で、その席上、大学の授業は、と言う話に。
門前塾に関わる学生の多くは、私の授業の受講者でもある。そして、私の授業は、身近な学生ほどよくさぼる。もちろん、私はそれを引き留めて、授業に出なさい、とは言わないし。
なぜか、と言うと、授業は、自ら必要があって、学ぶ人のものだからだ。
冗談でも、皮肉でもなく、私の授業をさぼる人にとって、私の授業は、出席する価値がない。或いは、他により価値の高いものとの比較に於いて、と付け加えても良い。
いやいや、そんな、と、その場に居た学生達も苦笑いしたけれど、それは、本人達が、明確に意識していないにしても、間違いなく、そうなのだ。
去年も、同じ事があった。非常勤でお願いした鶴岡法斎さんの授業には、普段滅多に学校に来ないやつが、朝から来ている。平野さんの「情報意匠論」には、同じ日の私の授業を休んだ学生もちゃんと出ている。それは、大学の教師として、真摯に反省しなければならない重大な問題。

出席を成績評価の対象にしない、というのは、私の一貫したポリシーだ
毎回その場にいただけで、何をしていたのかも解らないやつに単位を出す教師なんて、信用できない。
だから、理由があろうが無かろうが、休むのに断りを入れる必要はない(演習の担当者や、宿題の締め切り日は別だけれど)。
私には、休むな、と言う権利は全くないし、学生は、私に許しを請う必要など、あるわけがない。

学生は、授業を欠席することで、失うのは、単位だと思っている。私の授業でさえ、そうなのだ、という現実に、私は打ちのめされる。そして、反省。

門前塾や、情報意匠論には、単位もお金も関係なく、時間を作ってでも、みんな参加する。それは、そこに参加することその物の価値をしっかり解っているからだ。
大学の授業も、そうでなければならない。単位になろうがなるまいが、出欠が評価の対象にならなかろうが、出なきゃ損だぞ、と言う授業をしなければ、教師として失格だ。

そして、ここ数年、少なくとも、専門の授業では、自分で合格点を出せる授業をしていない。それを、本当に、申し訳ないと思う。
言い訳はいくらもあるけれど、その原因もまた自分にある。

僅かな救いは、非常勤先の授業や、共通教育では、かなりの出席率が維持できているし、単位にならない潜り学生も僅かだけれど存在していることくらいか。
大人の文章教室もしかり。

専門の授業も、真剣勝負で行かないと。


長くなった。

アンケートや何かより、ずっとはっきり、学生の授業評価は出来る。
出欠を評価対象から外して、最後までさぼらない学生の割合を数字にしてみればいい。

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3 コメント

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おやおや (「その場に居た学生」)
2006-03-01 00:30:26
>いやいや、そんな、と、その場に居た学生達も苦笑いしたけれど、それは、本人達が、明確に意識していないにしても、間違いなく、そうなのだ。



ん~、それは違いますねぇ。

価値がない、というより、許してくれる、という意識です。

みんな(門前スタッフ)も、聞いた所、そんな感じ。

だって、小二田さんの講義を休んで違う作業をしてる事、頻繁に耳にするでしょう?

これって、そういう意識の表れだと思うんですよねぇ。

ホントに隠したい事なら、耳に入らないようにする事だって可能な訳ですし。



それを敢えて隠さないという事の裏にある意味、翻訳しましょうか?

「私は貴方の講義を休みました。しかし、それは体調不良でも只のサボりでもなく、こんな作業に充てたんですよ」という、自己申告だと思います。

そもそも、学生側だって、違う作業に時間を充てた事が露見する事にはリスクを負う訳ですよ。

それでもなお小二田さんの耳にはいるのは・・・ま、ここから先は言うまでもないでしょう。



とはいえ、こんな事を言った所で、小二田さんは「いや、でも」と言うでしょうねぇ。

私の中で「小二田誠二=自己評価能力壊滅的」という方程式が成り立ってますし(笑)



自分自身にストイックな事は良い事だと思います。

ただ、それは自己評価がキチンと出来てからの話。

貴方は本当に貴方が評価している通りの働きしかしていないのですか?

評価というモノに、主観は不要。

大切なのは、客観的に見て評価できるか、という事だと思います。



過大評価は確かに、愚の骨頂。

しかし、過小評価をする人間もまた暗愚だと、私は思います。



ほら、そんな事じゃ、学生達の「いやいや、そんな」という「苦笑」が、「あ~あ、分かってないなぁ」という「失笑」に変わってしまいますよ~(笑)
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あらあら (近所に居る大人)
2006-03-01 02:37:49
 忙しいと言いつつもココ書いてて良かったのでは♪  今時の学生の皆さんて、ある意味大人より大人みたいけど…。純粋すぎる大人の授業は、奇しくもホントに大人になっちゃった時に、ふと思い出したりするもので-。出席はどちらでもなんていう授業には、出席をお勧めしますよ! あぁでもあんまり言うと、皆さんの愛すべき(?違ったらゴメン)誰かさんの負担が大きくなるから止めておこう(笑)。 兎にも角にも春ですねぇ。新年度、イイコトがいっぱいありますように‥。皆さん体に気をつけて張り切ってスタートしてください◎
返信する
補足しないといけない (koneeta)
2006-03-01 08:22:22
>許してくれる

>学生側だって、違う作業に時間を充てた事が露見する事にはリスクを負う

それは、出席点を考慮する授業での問題でしょ。

私は、上の本文のリンク先に、



私は、出席によって成績評価をするのは間違っていると考えています。単位を認定するのは、辛抱強く授業に出たことではなく、私の授業から何かを得たこと、他の人に「○○のことは小二田に学んだ」と言っても良い、と許可することを意味しているのです。ですから、ただ授業に出て、雑談したり、他の授業の予習をしているのでは意味がありません。従って、授業の時間帯に、他に有意義な過ごし方のある人は、出席する必要はありません。





と書いてある。

だから、私の授業に関しては、学生がその場にいるかどうかは、全くどうでも良いのです。

私から、或いは私と一緒に、何かを学び取って、成果を上げてくれれば、単位などどうでも良い。だから、全出席でも不可は可能性があるし、最初と最後だけしか出なくても優の人がいる。



私自身の自分への評価のことはさておき、大学の授業そのものが、門前塾スタッフでさえ、「欠席するリスク」を、成績や教師の機嫌に結びつけてしまう現状を、私は、本当に悲しいと思う。

全部の授業が、門前塾みたいなならなきゃいけないのです。

休んだら申し訳ない、じゃなく、休んだら損。

デートより優先するくらいじゃなきゃね。
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