コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

お疲れさまでした! 静岡大学人文学部夏季オープンキャンパス 終了!!!

2010-07-26 10:43:24 | 
この週末、暑い中、静岡大学人文学部オープンキャンパスが行われました。
言語文化学科は23日(土)、人文学部大講義室と2階の3教室を使って、今までにない、学生主体の取組と合わせた総合的な学科紹介になりました。

まずは、メンバーの学生達、参加された教員、そして、暑い中走り回っていらした職員の皆さん、お疲れさまでした。

本当に、素晴らしい企画になりました。

まだ、来場者達のアンケートやデータは届いていませんし、私の撮った写真も整理できていないので、細かい内容紹介などはあとにして、取り急ぎ感想。


13日にアッパレ会の総会があったことに触れた記事に、
アッパレ会の目指す物、大学が向いている方向。それはそれで「正しい」のだと思うけれど、今、私が優先してしなければならない「活動」はそこではない。
と書いた。

アッパレ会の正式名称は、「市民と静大・共同企画をすすめる会」。
ここから解るように、出発の時点で、私の熱望した「文科系基礎学を守る」、更に言えば「言語文化学科を守る」という趣旨は却下、「市民と静大」にされていたので、会議の度ごとに不平を言いながらここまで来た。
今回の総会やそれに先立つ役員会に参加していても、これから先、もっと遠い存在になるだろうな、という印象は否定できない。
会議でも、総会の挨拶でも、もっと大きな視点で文化を大事にしていますよ、と言う様なことを言われるけれど、現場の現実はそんなに悠長なことを言っていられる状況ではない。私にとっては、学科エゴが最優先。

今、数字で、大学を、文科省を、説得できなければ、どんどん人も予算も減らされる。
大学が生き残れたとしても、その時、言語文化学科がないのではどうしようもない。勿論、名前だけ残して職業直結と資格取得をうたった学科になっても意味がない。

総会で、言語文化学科について、人文学の知についてコメントを求められ、“文化人”役人にありがちな高踏的答弁で済ませた学長に、ちゃんとその意義を理解させ、行動させるのは、並大抵のことではないのだ。



こういう現実に立ち向かうとき、何をしたらいいのか、と言う私なりの答えの一つは、アッパレ会が始まるよりも前に、既にあった。
言語文化学科大博覧会」と言う言葉を最初に入力したのがいつだったか、今は見つけられないけれど、何度も却下されつつ、昨年度、取り敢えず、部局等活性化経費というので、学生チームを立ち上げ、ついに、三教室を使った展示が実現した。
これは、何年も前に私が作った案が大元になっているのは事実だけれど、内容は全く私に関わりなく、学生達が独自に作り上げてくれたモノだ。

しかも、オープンキャンパスと連動することで、多くの受験生達の眼に触れることも出来たし、参加した教職員たちのこの活動への認識も高まったのではないかと思う。

そして何より、学生達が、ここで学ぶことそのものに対して深く理解するきっかけをつかめたのではないかと思っている。

大講義室で説明が行われている間の雑談の中で、スタッフの学生達と私の研究の話をした。
お互いに、情報が不足している。
まだまだ、参加した学生は僅かだけれど、ここが出発点だと思っている。



上の方で、アッパレ会についての不満を書いたけれど、勿論、こういう企画が実現したのは、アッパレ会の活動のおかげであることは間違いない事実なのだ、ということは、はっきり言っておかねばならない。

“情報意匠論”、そこから派生した“天晴れ門前塾”、そして、“静岡の文化”。
“活性化プロジェクト”や、オープンキャンパスに関わった学生達の多くが、これら、アッパレ会関連事業を経験しているのは、私が身近な学生しか声を掛けていない、と言う理由ではない。
そうではなく、こうした事業での経験を経てこそ、自分たちの所属する言語文化学科という場所、そこにいる教員や授業、学問そのものをしっかり見直す事の重要性に早く気づけたのだと思う。

大学生は大学で学ぶ。
当然のことだけれど、その単純なことの重要性は、卒業して、社会に出て初めて実感することが多い。
今回スタッフとして動いていた学生達は、社会と関わることで、自分たちの場所について、外側から見つめる事が出来た。

そういう意味で、私が思い描いていたような流れは、確かに生まれているのだ。


いきなり現実に戻るのだけれど、こうした成果がこれ1回に終わることなく続き、しっかりと受験生の行動に反映されることが次の課題だ。
次の春に、と言うのは厳しいとしても、数年間、こういう企画を増強していけば、必ず第一志望の受験生を増やすことが出来ると思う。

教員も、授業内容も、中央の大きな大学に負けない質を持っている。
しかも、地方都市静岡の環境は却ってプラスの面もある。

そういう実績を明確に出して、文科系学科を就職予備科にしないまま続けることの意味を大学に突きつけること。
それこそが、私の願い。


一歩、確実に前進した。

私のため、なわけはないけれど、でも、皆さん、ありがとう。

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