一般論としてしか議論できないセンシティブな課題なんですが。
暫く前、入試問題の外注と言うことが話題になった。大学の入試問題作成を大手予備校が有料で行う。
現実にそういうことは行われているらしい。
セキュリティやモラルの問題としてどうなのか、と言う問題設定はあるのだけれど、センター試験の漏洩疑惑みたいなことを考え合わせたら、信頼を失ったら一発アウトの民間にやってもらったほうが、よほど安全だと言わざるを得ない。
むしろ問題なのは、入試の仕組みをどうデザインするか、と言うことなんじゃないかと思っている。
小さな私学の場合、実際、入試問題を作るのはきつい。単科大学の場合、そもそも教員の専門領域も「単科」なので、バラエティは見込めない。しかし、たとえば、医者を志す人も、読解や表現、文学の教養は必要だと判断すれば、外注するか、一般教養担当として、たった一人で人文系を切り盛りしているような人に任せるしかない。非常勤講師が作ってるところも多分あるんじゃないかな。
総合大学ならそんな心配はいらない、と言うことだろうか。
ここで出てくる問題は、共通教育(所謂一般教養)の「負担」問題と似ているのだけれど、……。
理科系のある学部が、日本語の読解・表現力が不足しがちな昨今の若者は困るし、小論文は全部の受験生に課すときついので、前期日程は国語で行きたい、と言う結論に達したとしよう。さて、誰が作るのでしょう?
自分たち? 「国語」という言い方をしなければ可能だけれど、「国語」という教科名であれば、指導要領に準拠した出題範囲・難易度が求められる。となれば、日本語・日本文学の専門家に頼むことになる。大学の中だからコストも大して掛からないし。
こういうようなことは、実際にある。
しかし、たとえば、「国語力」を問いたい、と言う時の、「国語力」のイメージはみんな違う。当然。古文・漢文が必要か、と言う問題もあるし、表現力まで含むのか、と言うこともある。
それは、その学部・学科が、どのような学生に入ってきて欲しいか、と言うことそのものと関係しているはずなのだ。
我々は、大学・学部案内や、ネット情報などで、それぞれの部局がどんな学生を育てようと思っているのか、そのために、どのような教育をしているかと言うことを公表している。その上で、どんな学力をあらかじめ身につけてきて欲しいのか、と言うメッセージが、入試問題には込められている。
個性とは別の、基礎的な学力の一つとして「国語力」を問いたいのなら、センター試験で十分。「個別学力検査」である、二次試験は、「個別」であるところに意味があるのだ。
ところが、各学部・学科・コースが別個の問題を作っていてはコストがかさみすぎるから、共通化しましょう、と言う話があったり、先に触れたように、他部局の教員に発注したりと言うこともある。
「アドミッション・ポリシー」と言う言葉を聞くようになったのも、そう昔のことではないのに、今はコストの方が優先されるし、自分たちの所に来る学生を選抜する試験問題を自分たちで作らず、議論さえ十分にしない部局が存在するらしいというのはいかがなモノかと思うのですよ。
多分、大手予備校に発注すれば、クライアントである大学側は、自分たちで作るのと同じくらい、受験生のイメージや、大学の教育理念について説明を求められるに違いない。予備校は、それぞれの大学の個性にあった問題を作らなければ意味がないのだから。
それと同じことを、大学の中でちゃんとやってるかな、と、ね。
まぁ、一般論、想像上のお話ですがね。
暫く前、入試問題の外注と言うことが話題になった。大学の入試問題作成を大手予備校が有料で行う。
現実にそういうことは行われているらしい。
セキュリティやモラルの問題としてどうなのか、と言う問題設定はあるのだけれど、センター試験の漏洩疑惑みたいなことを考え合わせたら、信頼を失ったら一発アウトの民間にやってもらったほうが、よほど安全だと言わざるを得ない。
むしろ問題なのは、入試の仕組みをどうデザインするか、と言うことなんじゃないかと思っている。
小さな私学の場合、実際、入試問題を作るのはきつい。単科大学の場合、そもそも教員の専門領域も「単科」なので、バラエティは見込めない。しかし、たとえば、医者を志す人も、読解や表現、文学の教養は必要だと判断すれば、外注するか、一般教養担当として、たった一人で人文系を切り盛りしているような人に任せるしかない。非常勤講師が作ってるところも多分あるんじゃないかな。
総合大学ならそんな心配はいらない、と言うことだろうか。
ここで出てくる問題は、共通教育(所謂一般教養)の「負担」問題と似ているのだけれど、……。
理科系のある学部が、日本語の読解・表現力が不足しがちな昨今の若者は困るし、小論文は全部の受験生に課すときついので、前期日程は国語で行きたい、と言う結論に達したとしよう。さて、誰が作るのでしょう?
自分たち? 「国語」という言い方をしなければ可能だけれど、「国語」という教科名であれば、指導要領に準拠した出題範囲・難易度が求められる。となれば、日本語・日本文学の専門家に頼むことになる。大学の中だからコストも大して掛からないし。
こういうようなことは、実際にある。
しかし、たとえば、「国語力」を問いたい、と言う時の、「国語力」のイメージはみんな違う。当然。古文・漢文が必要か、と言う問題もあるし、表現力まで含むのか、と言うこともある。
それは、その学部・学科が、どのような学生に入ってきて欲しいか、と言うことそのものと関係しているはずなのだ。
我々は、大学・学部案内や、ネット情報などで、それぞれの部局がどんな学生を育てようと思っているのか、そのために、どのような教育をしているかと言うことを公表している。その上で、どんな学力をあらかじめ身につけてきて欲しいのか、と言うメッセージが、入試問題には込められている。
個性とは別の、基礎的な学力の一つとして「国語力」を問いたいのなら、センター試験で十分。「個別学力検査」である、二次試験は、「個別」であるところに意味があるのだ。
ところが、各学部・学科・コースが別個の問題を作っていてはコストがかさみすぎるから、共通化しましょう、と言う話があったり、先に触れたように、他部局の教員に発注したりと言うこともある。
「アドミッション・ポリシー」と言う言葉を聞くようになったのも、そう昔のことではないのに、今はコストの方が優先されるし、自分たちの所に来る学生を選抜する試験問題を自分たちで作らず、議論さえ十分にしない部局が存在するらしいというのはいかがなモノかと思うのですよ。
多分、大手予備校に発注すれば、クライアントである大学側は、自分たちで作るのと同じくらい、受験生のイメージや、大学の教育理念について説明を求められるに違いない。予備校は、それぞれの大学の個性にあった問題を作らなければ意味がないのだから。
それと同じことを、大学の中でちゃんとやってるかな、と、ね。
まぁ、一般論、想像上のお話ですがね。
NPO東海道・吉原宿の代表をやっている佐野と申します。
で、私もちょいとご挨拶。
地方にあまたある疲弊してしまった商店街。
ウチの場合は富士市吉原なんですが、この街をなんとか活気づけできないかと、なんだかんだ活動中です。
シャッターに絵を描いて、Tシャツ作って、高校生のお店のサポートして、ミニFMやって、Y-MICSなるSOHOチックな施設を作って…と、思いついたらスグやっちゃう甚だノープランな団体です。
今度は3月末に、故いかりや長介さんに因んで「長さん小路(こみち)」を作ります。コニタさんの年齢からすると、ドリフ世代のストライクゾーンかと。
今後もご声援の程、よろしくお願いいたします。
活発ですね。
この週末、静岡では
「伝馬町通り電線地中化事業完成並びに『西郷山岡会見の碑』移転完成除幕式」と言うのがあります。いらっしゃいますか?
あの辺はがんばっていますが、数年で、商店街ごとの明暗が見えてきてしまう気がします。
連携して、いろいろ出来たらいいですね。
よろしくお願いします。