木曜に一年生向けのコース選択ガイダンスがあった。
他のコースの説明がどんな雰囲気なのかは知らないけれど、日文はいつも通りゆるゆるだった。
しかし「空気」は伝わってると思う。
そこが肝心。
で、昨日少し一年生と話す時間があったのだけれど、コース選択を明確にしている人と、迷いがある人と。
迷いがある中でも、ポジティブな何かがありつつ「選択」が出来ない人と、何事も未決定の人と。
人生は、と大上段に振りかざすのもナンだけれど、色んな所で「選択」が必要だ。
自分にとっては新たな発見だと思っても、実は予め誰かから与えられた物から選んでいるに過ぎない、と言うことも良くある。
「商品」はどんな物でも……オーダーメイドであっても……そこから逃れられない。
「発見」だと思えた方が幸せだとは思うけれど、そんなことは、実はどうでも良い。
見合いでも、そのあとちゃんと愛せるかどうかが問題。
昨日、「朝日新聞」静岡版に天晴れ門前塾の記事が載った。
見出しは
「門前塾」に就活の影響?
参加学生が減少
静大生らが企画、「大学で学べないこと」体験
と言うので、なんだか寂しい。
この記事で初めて知ったのだが「年度途中からの参加者を募集している」らしい。
最後の段落だけ引用しておこう。
昨年度は約40人が参加した。参加者が減ったことについて、運営スタッフ代表の静岡大人文学部3年・川野泰寛さん(22)は「3年生が減っている。就職活動で、それどころではないという学生が増えている」と話す。来年度は広報の仕方をもっと工夫したり、実施時期をずらしたりすりことも検討する。
ん?
確かにここのところ就職状況は厳しくなってるかも知れない。
しかし、これまでの門前塾は、大学の授業やアルバイトよりも優先したくなるくらい輝かしく魅力的な物であったし、(本来そう言う功利的な発想は好みではないけれど)就職にも役立つという認識があって参加していた学生が多かったのではないのか。
就活が参加者減の原因で、時期をずらし「広報の仕方」に「工夫」を加えれば改善される、と言う分析で良いのかどうか。
もう遙か昔のことのようだけれど、今週の頭の日曜に、教会イベントがあった。
前に書いたように、主催した学生達は、誰も、静岡ハリストス正教会や、山下りんについて前もって知ってはいなかった。
「アークホールのコンサートに行って、隣の聖堂が気になっていたので研究したくなった」と言う「発見」のストーリーがあったら良かったのだけれど、静岡市内出身者の少ない人文学部の一年生にそれを望むのはまぁ無理。
「静岡の文化」という授業は、だから、私が予め用意したいくつかのテーマ候補の中から「選択」してもらわざるを得ない(その結果、誰も選択しなかった物もあった。逆に、提案があれば候補以外からも大歓迎なんだけどね)。
来年度も、今まで誰も取り上げなかったようなテーマを準備してますよ。
昨日は午前中「茶の世界」で、白形傳四郎商店の大塚さんが授業においでになった。
段ボール3箱分+大きなバッグに詰め込んだ大量の茶器や珍しいお茶を教室に広げて、小さな「茶の世界展」の様相。その中で、お茶の愉しみ方を熱く語って下さった。
先週は足久保ティーワークスの吉本さんが、農家をまとめて組合組織で経営していく過程をドラマチックに語り、「究極の淹れ方」で本当に美味しいお茶を振る舞って下さった。
その前はおさだ苑さん。その前はヘリヤさん……。
私がお願いできる茶業関係者の「選択肢」は本当に少ない。
その中から、バランス良く講師を配分して、等と言うことはちょっと無理。
なので、私は、私が本当に惚れ込んで、この人(団体)の話を聞きたい! と思う人(「聞かせたい」ではなくて)をとにかく並べる、と言う人選をしている。
学生達は、そのせいできっと静岡の茶について偏った見方をすることになっているかも知れないけれど、回を追うごとにお茶の世界への愛が深まってる実感はある。
さて。
なんの話だっけ?
出会った対象に対して、本気で惚れ込むこと。
それがなければ、その魅力を人に伝えることは出来ない。
「感染力」が弱い。
教師が楽しそうじゃない授業を学生が面白がるわけがないよね。
与えられたテーマでも、紹介された人でも良い。
ちゃんと惚れたら、言われなくてもとことんつきあえる。
首をかしげながら人に勧めても誰も興味は持たないよ。
思えば5年ほど前、古書店主に紹介された彦星先生に一目惚れした私は、その場で「静大で授業をやって下さい」と申し出たのだった。そのあとの快進撃は改めて言うまでもない。
何かを成し遂げたいと思ったら、優先順位とか「ねばならない」とかは、どこかに吹き飛ばしてしまって良いんじゃないかな。
見つけられない?
そこだよね、現代人。
でも、たくさんの「選択肢」は見えてるでしょ。
まずはお見合い会場に足を運ぼう。
他のコースの説明がどんな雰囲気なのかは知らないけれど、日文はいつも通りゆるゆるだった。
しかし「空気」は伝わってると思う。
そこが肝心。
で、昨日少し一年生と話す時間があったのだけれど、コース選択を明確にしている人と、迷いがある人と。
迷いがある中でも、ポジティブな何かがありつつ「選択」が出来ない人と、何事も未決定の人と。
人生は、と大上段に振りかざすのもナンだけれど、色んな所で「選択」が必要だ。
自分にとっては新たな発見だと思っても、実は予め誰かから与えられた物から選んでいるに過ぎない、と言うことも良くある。
「商品」はどんな物でも……オーダーメイドであっても……そこから逃れられない。
「発見」だと思えた方が幸せだとは思うけれど、そんなことは、実はどうでも良い。
見合いでも、そのあとちゃんと愛せるかどうかが問題。
昨日、「朝日新聞」静岡版に天晴れ門前塾の記事が載った。
見出しは
「門前塾」に就活の影響?
参加学生が減少
静大生らが企画、「大学で学べないこと」体験
と言うので、なんだか寂しい。
この記事で初めて知ったのだが「年度途中からの参加者を募集している」らしい。
最後の段落だけ引用しておこう。
昨年度は約40人が参加した。参加者が減ったことについて、運営スタッフ代表の静岡大人文学部3年・川野泰寛さん(22)は「3年生が減っている。就職活動で、それどころではないという学生が増えている」と話す。来年度は広報の仕方をもっと工夫したり、実施時期をずらしたりすりことも検討する。
ん?
確かにここのところ就職状況は厳しくなってるかも知れない。
しかし、これまでの門前塾は、大学の授業やアルバイトよりも優先したくなるくらい輝かしく魅力的な物であったし、(本来そう言う功利的な発想は好みではないけれど)就職にも役立つという認識があって参加していた学生が多かったのではないのか。
就活が参加者減の原因で、時期をずらし「広報の仕方」に「工夫」を加えれば改善される、と言う分析で良いのかどうか。
もう遙か昔のことのようだけれど、今週の頭の日曜に、教会イベントがあった。
前に書いたように、主催した学生達は、誰も、静岡ハリストス正教会や、山下りんについて前もって知ってはいなかった。
「アークホールのコンサートに行って、隣の聖堂が気になっていたので研究したくなった」と言う「発見」のストーリーがあったら良かったのだけれど、静岡市内出身者の少ない人文学部の一年生にそれを望むのはまぁ無理。
「静岡の文化」という授業は、だから、私が予め用意したいくつかのテーマ候補の中から「選択」してもらわざるを得ない(その結果、誰も選択しなかった物もあった。逆に、提案があれば候補以外からも大歓迎なんだけどね)。
来年度も、今まで誰も取り上げなかったようなテーマを準備してますよ。
昨日は午前中「茶の世界」で、白形傳四郎商店の大塚さんが授業においでになった。
段ボール3箱分+大きなバッグに詰め込んだ大量の茶器や珍しいお茶を教室に広げて、小さな「茶の世界展」の様相。その中で、お茶の愉しみ方を熱く語って下さった。
先週は足久保ティーワークスの吉本さんが、農家をまとめて組合組織で経営していく過程をドラマチックに語り、「究極の淹れ方」で本当に美味しいお茶を振る舞って下さった。
その前はおさだ苑さん。その前はヘリヤさん……。
私がお願いできる茶業関係者の「選択肢」は本当に少ない。
その中から、バランス良く講師を配分して、等と言うことはちょっと無理。
なので、私は、私が本当に惚れ込んで、この人(団体)の話を聞きたい! と思う人(「聞かせたい」ではなくて)をとにかく並べる、と言う人選をしている。
学生達は、そのせいできっと静岡の茶について偏った見方をすることになっているかも知れないけれど、回を追うごとにお茶の世界への愛が深まってる実感はある。
さて。
なんの話だっけ?
出会った対象に対して、本気で惚れ込むこと。
それがなければ、その魅力を人に伝えることは出来ない。
「感染力」が弱い。
教師が楽しそうじゃない授業を学生が面白がるわけがないよね。
与えられたテーマでも、紹介された人でも良い。
ちゃんと惚れたら、言われなくてもとことんつきあえる。
首をかしげながら人に勧めても誰も興味は持たないよ。
思えば5年ほど前、古書店主に紹介された彦星先生に一目惚れした私は、その場で「静大で授業をやって下さい」と申し出たのだった。そのあとの快進撃は改めて言うまでもない。
何かを成し遂げたいと思ったら、優先順位とか「ねばならない」とかは、どこかに吹き飛ばしてしまって良いんじゃないかな。
見つけられない?
そこだよね、現代人。
でも、たくさんの「選択肢」は見えてるでしょ。
まずはお見合い会場に足を運ぼう。
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