発病したのは、平成7(1995)年6月頃。今から14年前。その当時、関東では通勤圏ですが、北海道では通勤圏にはならない苫小牧から短大に通学し、部活をし、かつ部長になり、学生自治会の役員をし、系列の4年制大学へ編入し、日産自動車に入社したかった為、編入の為の単位取得の講義を受け、編入試験用の講習を受け、成績は上位に居なければならないという状態であった。朝7時発の汽車に乗り、夜は21時頃着の汽車で帰るという生活をしていた。部活がソーラーカーを扱う関係で、サーキットを走る為のC級ライセンス取得の為、東京へ講習に行き、「札幌に通学しているんだから、東京も日帰りできるだろう。」との甘い考えで日帰りした。1年数ヶ月の疲れが溜まっていたのだろう、講習受けた後と思うが、講義終了後自治会室へ行った時にふらついた為、自治会活動をせず帰宅したりした。それから数日後からだと思うが、急に大腸内を便が動くのが激痛と共に解かるようになった。その時だけだろうと思っていたが、ずっと続き、お尻を拭くと真っ赤になっていた。親に相談したところ、素人で難病と思っていない為に、「ぢじゃないの?」と言われていた。多分便の動きが解かるようになった頃から出血していたと思うが、水洗便所の型が古かった為、便を確認できず、今は想像話しか出来ない。その後7月に入り、おしっこを我慢すると昔から下痢になるが、都合で我慢したところ、案の定下痢になり、元から下痢し易かった為、単なる下痢と思い、整腸剤を飲めば落ちつくと思っていた。しかし、止まらず1週間続いた為、親に真っ赤なペーパーを見せたところ、異常と判断され、夜間急病センターに行き、普通の病気で無いかもしれないと言われ、次の日苫小牧市立病院へ行った。急病センターのDr.の書類で、市立の担当になったDr.はU.Cを疑ったと思う。しかし、帰りには、「多分風邪でしょう。」でその日は終わった。その後夜中に仰向けに寝なければ、トイレに行かなければならない状態になってしまい、親に代理で通院してもらい、本人は、試験を終わらし、夏休みに検査入院すると決め、前期を終了し、病院へ。8月8日~11月1日迄の入院になるとは思ってもいなかった。初発はこの3ヶ月の入院のお陰とこの時の担当医と、交代して約2年担当してくれたDr.の2人のお陰で、3年半の長い間、緩解(安定している状態)でいられた。その時が発病後唯一、無理しようと何を飲み食いしようと緩解のままだった
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