Komura(古村)のブログ

かいようせい大腸炎患者の日常と自動車評論家を目指す人のブログ

潰瘍性大腸炎の初再燃まで

2010-06-21 20:21:48 | 潰瘍性大腸炎
 退院後、Dr.に言われた通り、脂っこい物、辛い物は避けながら色々食べていた。実験と称して、ラーメンも試した。再燃しなかった。今は食べれないが、食べ物に困ったら当時は食パンに何もぬらずに食べていた。まだその時は短大から系列の四大への編入を諦めていなかった為に、1年時にある先生から聞いた大学受験レベルの知識が無かったら合格できないと言うことを信じ、予備校の春期講習へ行っていた。その時は腸に優しいと思う食事を取っていた。苫小牧から札幌へは通学せず、予備校が紹介してくれたホテルに講習期間だけ泊まっていた。
GWには中学の友達と会っていた為に、実験で酒も飲んだ。しかし、再燃せずに過ごせた。今では考えられない事である。
夏には又予備校の講習に行ったり、短大の友人が研究生として残っていた為に、編入講習の情報を貰い、予備校の講習を受けた後短大に向かったりした。その頃は通学しても大丈夫と思い始めていた為に、苫小牧から通学した。講習終了後も再燃せず、2週間毎に通院はしていたが、再燃させないように過ごすんだよと言われながら、サラゾピリンは1錠に減っていたと思う。講習後は、短大の夏休みが終わる迄、趣味のドライブを楽しんだりしていた。
夏休みが終って復学後は、講義の後、編入講習を受けたり、卒業してすぐに受ける資格試験の講習を受けたりと大変になった為に、一人暮らしをする事にした。しかし、週末は帰宅していた。そんな生活をしていても、再燃をせずにいた。
11月の編入試験は落ちたが、それでも再燃せず、一人暮らしをするようになってからは、通院は長期休業だけにしてもらえた為、冬休みに行き、同じように再燃させないように過ごしなよと言われるだけだった。
編入は落ち、就職も決まらず、3月の資格試験が近くなった時に、資格は取っても、実習で班行動でやることはかなりみんなの足を引っ張っていた為、資格の必要な会社に入っても会社に迷惑がかかるだけと思い、資格だけを取り、卒業後進路変更した。
経理の専門学校へ通ったが、そこでも再燃することなく過ごした。2年目に就職試験を半年以上受けたがどこも決まらず、クラスの殆どが決まってる中、正月以外の冬休み無しで就活をしたが、決まらずに卒業した。
病気になってこの3年半が1番楽しかった。彼女も短期ではあるがいたし、今の俺には考えられない生活が出来ていた。
卒業後就職が決まっていなかった為にバイトをしていたが、バイト先の先輩のアドバイスを受け、就活は続けていたが、半年以上打ちのめされた「つけ」がここで来たのか、再燃した。
朝寝起きにトイレで珍しく便がしたくなったために、便をして、ペーパーで拭いたら血が混じっていた為、「嘘だろ、目の錯覚だ」と自分に言い聞かせたが、腹が痛い現実が有る為、余り否定が出来ずにいたし、受け入れ難がった。段々発病した時のようにへその下辺りが常時痛くなっていた。
札幌厚生に移るまでの5年間良くなったり悪くなったりを繰り返すようになった原因の1つはその時担当していたDr.の責任もあると思っていた為に責任取って何とかしてくれやと心で思っていた為、かかり続けていた。今思うと何故、再燃しているのに潰瘍性大腸炎は食事制限は要らないとDr.が言っていたのかが判らない。癌化する不安を抱えながら今も腸を大事にしている。