村の棚田でも田植えが始まった模様だ。つい数日前だった、田圃に水が導入され代掻きが始まったのだ。そろそろかなと眺めていたら、あっという間に棚田は水面へと変わっていた。変わり身の早さは楠木流軍学だろうか。それはまあともかく、尾根筋に連なる水面の数々は何とも美しい。これが水面が無ければ棚田の価値は半減するのかも。当然ながら環境を得たカエル等は騒ぎ立て、水生昆虫等ははしゃぎ回っている。何処に潜んでいたのかアカハライモリ等も。
農園へと出動する前、少し時間を割いて棚田地帯を歩いてみた。数ヶ所では田植機が走り回っており、当地の定例行事が始まったようだ。ムラの田植えは6月の第一土日が基準日・・・・・・みたいなものか。この日前後に実施されるケースが多い。我々が稲作に従事していた頃の大まかなスケジュールは以下のとおりだった。
5月上旬 種籾の水浸
5月中旬 種籾を苗床へ移動
6月上旬 田植え
10月上旬 稲刈り
10月下旬 脱穀・籾すり→玄米で配分
6月2日、ムラの基準日だ。仲間達の森の作業を横目に農園へと出動、師匠宅を通り抜けると田植機が鎮座していた。どうやら本日師匠宅も田植えの予定日のようだ。スタッフは師匠・師匠夫人・息子氏の3名だろう。無論中心と為るのは息子氏だ。田植機に乗車、田圃を走り回って植え込み作業だ。苗の補充が師匠夫人の役割、指揮を執るのが師匠といった案配だろう。
師匠宅は息子氏が全面的な協力態勢なので大きな心配は無い。技術もノウハウも滞りなく継承されつつあるのだろう。息子氏が定年退職を迎えた日には速やかに引き継がれていくのだろうと思う。翻って、継承者がいない農家は悲惨だ。体力の衰えと共に農作業から撤退するしか無いのだろうか。「食料安保」を訴える政治家諸氏はほぼ皆無のようだが、明日のこの国は大丈夫なんだろうか。棚田地帯を巡って回っても、僅かな田植機しか見掛けなかった。ただの出遅れであるのなら不幸中の幸いなんだが。