どうも、こんにちは。
今回からシリーズ前回の続きで、“嵯峨釈迦堂”から、「愛宕道(あたごみち)」「愛宕街道(あたごかいどう)」と呼ばれる道の紅葉の光景を巡ります。
「愛宕道」とは。
シリーズ第70回と第71回で取り上げたことがあります。
京都の愛宕山は、古くから天狗や火の神様が住む聖地であり、死者が宿る異界とも考えられていて、山には修験者、麓には多くの僧が居ました。
「愛宕道」「愛宕街道」とは、そんな聖地・霊場へと通じる道だったのです。
またこの辺りは、平安時代の公家・皇室関係の寺社や別荘などがいくつも建てられて、『源氏物語』や『平家物語』、及び様々な和歌や俳句などの舞台にもなっています。
今回から何回かに渡って、そんな場所を紅葉の光景と共に巡りたいと思います。
その第1回目として、「厭離庵」を訪れます。
「厭離庵」は現在、臨済宗天龍寺派の尼寺となっています。
普段は非公開ですが、秋の紅葉の時期だけ境内が一般公開されます。
そしてここは、あの藤原定家が小倉百人一首を編纂した「時雨亭」のあった場所として有名です。 いや。正確には「時雨亭」があったとされる場所は、二尊院と、常寂光寺と、そしてここ厭離庵の3つですが、そのうちどれが本当の時雨亭跡地かは不明ですが。
まずはシリーズ前回の清涼寺から。
途中の道にも、ちらほらと秋らしい紅葉の光景も。
道端にも「慈眼堂(じげんどう)」というお堂があります。
ここには、藤原定家が念持仏としていた「木像千手観音立像」が本尊として祀られているそうです。
さらに歩きますと、民家の間に細い道が。
ここは以前から一度、紅葉の時期に訪れたいと思っていた場所でした。
シリーズ第70回の時も訪れたいのですが、紅葉の時期しか一般公開されないため、その時は入ることは出来ませんでした。
今回は案内のための立て看板が立っていますが、ここには確か「小倉山荘旧址厭離庵」と記された石碑が立っています。
その奥へと入っていきます。
この前は門前までしか行けませんでしたが、今回は門から中へ。
まだ青葉も見られます。
石段を登って庭へ。
うーん、まだ紅葉が朱くなりきってなかったですね。
苔の庭に青葉というのも、それはそれでいいと思いますが。
ただ以前、真っ赤な紅葉の落ち葉で真っ赤に染まった美しい厭離庵庭園の画像を見たことがありましたので、それが見られなかったのが少し残念です。
少しだけ紅葉に彩られた本堂前です。
尼寺らしく、本尊は如意輪観音です。
境内庭を見回してみますと、墓石や塚らしきものがいくつも立っています。
本堂に上がる石段横の小さな道を行った奥には、藤原定家の塚があります。
境内から出る帰り道のこと。
ほとんど青葉ばかりだと思っていたのが、紅く染まっている葉もところどころ見られました。
視点を、見る方向を変えてみれば、違ったものが見えてきます。
そんなことがわかったような気がして、面白いと思いました。
ご覧の通り、私が訪れた時には、まだかなり青葉でした。
今年は12月のはじめ頃まで公開されているようです。
この記事がアップされている今か、あるいはもう少し後くらいならば、紅葉で紅く染まった境内庭をみられるかもしれませんよ。
それでは、今回はここまで。
また次回。
シリーズ次回も、愛宕道沿い霊場の紅葉の光景をお届けします。
*厭離庵への地図はこちらを参照。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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