京都の闇に魅せられて(新館)

千本えんま堂大念仏狂言『道成寺』(後編) @ 京都妖怪探訪(488)





(記事中の写真はクリックで拡大します。なお、2017/05/15、記事の一部に大幅な加筆・修正を加えています


 どうも、こんにちは。
 毎年、5月連休に“千本えんま堂”こと京都・引接寺で行われる「千本えんま堂大念仏狂言」。
 前回の続きで、「千本えんま堂狂言」の演目のひとつ、『道成寺』を紹介します。


 前回までのあらすじを。
 紀州の「道成寺」という寺院で、新しく造られた鐘の落慶法要が行われました。
 道成寺の住職である「師匠坊(ししょうぼう)」は弟子2人に鐘の番をさせ、「この寺は女人禁制だから、決して女人を入れないように」と命じました。
 2人の弟子、「一朗(いちろう)」と「陀仏坊(だぶつぼう)」は、師匠のいいつけを守らずに、「舞を奉納したい」と申し出てきた一人の美女(白拍子)を中に入れてしまいます。
 2人が居眠りをした間、鐘は落ち、謎の白拍子はその中に閉じ込められる形になってしまいます。弟子2人は大変なことになったと、このことを師匠坊に報告します。
 師匠坊は2人を叱責すると共に、この道成寺に長らく鐘がなかった理由、女人禁制となった理由を語ります。





 昔、紀伊国・熊野の長者である「真砂の庄司(まさごのしょうじ)」には、溺愛する娘が居ました。その娘を「姫」と呼びます。

(注:この作中では、ヒロインともいうべき少女の名を「清姫」とは呼ばず、「姫」と呼んでいます。意外な話ですが、能など古い作品には、「清姫」という名は出て来ないそうです。このヒロインに「清姫」という名が与えられたのは、江戸時代の浄瑠璃『道成寺現在鱗』からだそうです)

 その長者宅に、毎年熊野参詣に訪れる「山伏」が宿を借りていました。

(注:この物語のもう一人の主人公に与えられた「安珍」という名も、鎌倉時代の仏教史の書『元亨釈書』」以降に登場するそうです)

 長者は娘に「あの人はおまえの夫となる人だよ」と冗談で言いますが、姫はそれを真に受け、一途な想いを抱いたまま成長します。
 ある時、姫は山伏に本当に迫りますが、修行中の身である山伏には受け入れられるはずもないので、熊野参詣には立ち寄るとその場をごまかして逃げます。
 しかし熊野参詣後も山伏が姫のもとに立ち寄ることはなく、騙されたと知った姫は激怒し、山伏を追いかけます。山伏は日高川を渡り、道成寺へと逃げます。
 姫は激情のあまりに大蛇に変化し、日高川を渡って道成寺まで追ってきます。
 仕方が無いので、山伏は梵鐘を降ろしてもらってその中に身を隠します。
 しかし大蛇となった姫は、梵鐘に巻き付き、火を吐いて、鐘ごと山伏を焼き殺し、最後は蛇となったまま、日高川に入水します。






 後には、焼き尽くされた鐘と、骨と消し炭だけになった山伏の遺体のみが遺されました。
 それ以来、道成寺には鐘がないままに。また女人禁制とされました。


 師匠坊は「その白拍子は姫の怨霊が変化したものに違いない」と言って、鐘の呪いと怨霊を払おうと祈祷の準備をします。













 師匠坊、一朗、陀仏坊の3人で、落ちた鐘を囲んで一心に念仏を唱えます。






 すると念仏の力で鐘が上がり、中から正体を表した姫の怨霊が出てきます。











 ここでは姫は、恐ろしい形相をした鬼女の姿をしています。
 ここで姫役がかぶっているのは、「般若」と呼ばれる鬼女の面です。 この般若の面にはいくつか種類があったそうですが、姫役が被るのは、そのうち完全な鬼となった者を示す「本成」という面です。これは別名を「半蛇」とも言い、「般若」という名称の由来となったとする説もあります。


 ここからは鬼女と3人の僧との死力を尽くした戦いが始まります。















 なおこの戦いでは、一番の未熟者である、つまり一番弱い陀仏坊がしばしば鬼女の標的になり、必死で防戦し、師匠に庇われながら逃げ回るのがやっとの状況です。















 必死に念仏を唱え続けた戦いの末、ようやく怨霊の鬼女を追い払います。















 狂言はここで終幕を迎えます。
 ただ伝説・伝承の上では、ここからさらに後日談があります。
 その後鐘を戻したものの、鐘は呪われたままとなってしまい、結局山中にうち捨てられてしまいます。
 羽柴秀吉の紀州征伐の時、秀吉の家臣の一人がそれを京都に持ち帰り、京都・妙満寺に持ち帰ります。そこでようやく呪いが解かれますが、ここまでのエピソードについては、シリーズ第273回第483回でも紹介したことがあります。


 ところで、この「念仏大狂言」で『道成寺』が演じられているということについて、非常に面白いことに気づきました。
 まず、一般に『道成寺』の物語として知られる安珍・清姫伝説には、さらに古い原型ともいうべき話もあったそうです。
 『大日本国法華経験記』という平安中期頃に書かれたという仏教説話集の中、下第百二十九「紀伊国牟婁郡悪女(きいのくにのむろぐんのあしきおんな)」という説話です。
 その説話では、「女が大蛇に変身して恋した男を道成寺の鐘ごと焼き殺す」という基本的ストーリーは同じですが、清姫はその名前は記されていない寡婦であり、安珍はやはりその名が記されていない若い旅の僧です。殺された若い僧は、殺した女に無理矢理夫にされ、道成寺の僧に助けを求めます。道成寺の僧は法華経の力で二人を供養し、寡婦と若い僧は成仏します。人々は法華経の功徳を讃えた、という話です。
 そう言えば「念仏狂言」とは、元々は仏教の教えを広める為に創られたもの。つまり、布教の為、政治的この「千本えんま堂念仏狂言」も同じで、『えんま庁』『鬼の念仏』など、念仏の力をわかりやすく説いた演目があります。
 しかし、『芋汁』『与平狐』など、宗教色・宣伝色のみられない演目もあります。
 この『道成寺』も、布教や宣伝に使うならば、原型である「お経や念仏の力で非業の死を遂げ愛欲地獄に堕ちた男女が救われた」という話にした方がよかったと思われますが。
 おそらく『道成寺』も、「えんま堂念仏狂言」も。元は確かに布教や啓蒙、思想宣伝などの為に伝えられた話だったのですが、後世になって宗教色や思想宣伝色が次第に薄れていき、エンターテイメント化していったものだと思われます。
 今で言えば、元はプロレタリア文学の作家や劇団などが、次第に政治色を薄めて、伝奇モノや恋愛モノなどの大衆向けエンターテイメントも扱うようになったようなものでしょうか。


 そして『道成寺』をめぐる男女の物語も。
 元は寡婦だった女が情欲に狂い、最後は仏の力で救われるという話だったのが。
 元は純真で一途な想いを抱き続けただけの少女が、愛欲に迷うあまりに魔道に堕ち、死後長い年月を経てもなお救われず、怨霊として呪いや災厄をまき続けるという。
 より悲劇的で、より恐ろしく、救いようのない話へと変化しています。
 もっとも、その悲劇性ゆえに、後世にまで広く伝わり、語り継がれてきたのでしょうが……。
 最後は鐘にかけられた呪いは妙満寺で解かれているはずですが、「一途すぎた想いゆえに自ら魔道に堕ちてしまった少女は果たして救われたのか?」とも気になってしまいました。






 今回はここまで。
 次回、あともう一回、「千本えんま堂大念仏狂言」の演目を紹介します。





*千本ゑんま堂へのアクセス・周辺地図はこちら




*えんま堂狂言保存会のHP
http://www.geocities.jp/e_kyogen/




*千本ゑんま堂のHP
http://yenmado.blogspot.jp/




*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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