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どうも、こんにちは。
リアル世界では梅の見頃は過ぎ、そろそろ桜の時期かなというところですが。
今年は例年に比べて桜の開花が遅いようで、こちらではまだ蕾の状態です。
ですから、あと少しだけ霊場魔所の梅花シリーズを続けたいと思います(何のこっちゃ!?)。
今回は、菅原道真ゆかりの地のうちのひとつ、菅大臣社の「飛梅」の光景をお届けします。
この菅大臣社は、第36回、第74回、第399回の3回取り上げたことがありますが。
復習もかねて、まずはこの神社について。
最寄りの交通機関は京都市営バス「西洞院仏光寺」停留所です。
ただ、そこはあまりバスの便数が多くはありません。
京都のメインストリートともいうべき四条通りにある、「四条西洞院」の交差点付近にある京都市営バス「四条西洞院」停留所から、西洞院通りを南に歩けば、菅大臣社の西門へと辿り着きます。
さて、この菅大臣社について簡単に説明を。
この地にはかつて菅原道真の邸宅があり、紅梅殿・白梅殿や菅家廊下(かんけろうか)といわれた学問所の跡地だとも伝えられています。
また、いくつかある「菅原道真生誕の地」とされている場所のひとつでもあります。
そのため、「飛梅」と「道真産湯の井戸」の伝説も残っています。
今回は、その伝説に遺された「飛梅」が今年も花を咲かせているかを見に訪れました。
西門から入ります。
参道にも梅が。
本殿前の鳥居。
両脇に紅梅と薄紅色の梅が。
実はこの鳥居横の紅梅こそが、伝説の「飛梅」なのですが、この時はまだ蕾でした。
今年の梅は、種類によって開花時期にばらつきがあるようです。
仕方が無いので、紅梅、つまり「飛梅」が満開になる後日に再訪することにしました。
それからおよそ一週間後。
伝説の「飛梅」も満開の花を咲かせていました。
踊り出したくなるくらいにうれしくなりましたが、ここははやる気持ちを抑えて、まずは本殿に礼拝。
本殿前にも満開の梅が。
「飛梅」伝説とはどのようなものか。
過去記事にもありましたが、私のおさらいの意味も含めて、ここで説明を。
菅原道真が藤原時平らの謀略によって太宰府へ飛ばされる時のこと。
屋敷の庭木のうち、日頃から特に愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しみました。
そのときに梅の木について、次のような歌を読みました。
「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春な忘るな」
あるいは、
「東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」
現代語に訳すますと「梅の木よ。主(私)がいなくなっても、春が来るたび忘れること無く、芳しい花を咲かせておくれ」という意味になるそうです。
3本の木のうち、桜の木は悲しみのあまりみるみるうちに葉を落とし、ついに枯れてしまいました。
松の木は、道真の後を追おうと空を飛びましたが、摂津国八部郡板宿(現在の兵庫県神戸市須磨区板宿町)辺りで力尽きて、その地に根を降ろします。その地は後に「飛松岡」と呼ばれるようになります。
梅の木は、その日のうちに道真の居る太宰府へ降り立ち、その地に根を下ろしたと伝えられています。
その梅が、ここ「菅大臣社」にあるこの梅の木だそうで、「区民誇りの木」にも指定されています。
太宰府天満宮に、飛んでいった方の梅が御神木として祀られているそうです。
この伝説を現実的に解釈すれば、道真に仕えて太宰府まで同行した人物が庭の梅木から株分けした苗木を太宰府まで持っていったとか、太宰府まで道真を訪れた人物が苗木を携えて行ったなどとか考えられますが。
同じ一本の梅の木が千年以上も生き続けているとは考えにくいので、今の梅はその何代目かの子孫でしょう。
それでも、このような美しく不思議な伝説にふさわしく、現在も、今年も見事な花を咲かせてくれました。
鳥居の表側にも回って、じっくり梅を観て回ります。
この「飛梅」伝説の真偽や真相は正直私にはわかりません。
でもこの梅の木が。
人の世の移り変わりや、醜さや哀しさも、何代にも渡って見続けてきたこの梅の木が。
千年以上と同じように、美しく花を咲かせ続けている。
そう思うと、何だかとても感慨深いものがありました。
また来年も。
これから先もずっと……。
今回はここまで。
また次回。
*菅大臣社へのアクセス・周辺地図はこちら。(京都観光NAVIより)
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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