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どうも、こんにちは。
今年もまた桜の季節を迎えましたので、 本シリーズで毎年恒例になりました「霊場魔所の桜」シリーズをやります。
妖怪や幽霊、神仏などの不思議な伝説・伝承が遺された地の桜を観て回る、というこの試み。古来より日本人は、生活空間の中にも桜など四季の美を取り入れてきた民族ですが。「桜の木の下には死体が埋まっている」などという言葉があるように、特にそういう曰く付きの場所の桜ほど、何故か美しかったりするのです(笑)。
さて今回は、現在の京都市上京区にある古刹・立本寺(りゅうほんじ)を訪れます。
桜の名所のひとつでもあるこの古刹は、暦応4年(1341年)、日蓮上人の弟子・日像上人によって創建された日蓮宗の寺院です。
そしてここは……有名な「飴買い幽霊」伝説の舞台ともなった寺院でもあるのです。
まずはいつもの通り、アクセスから。
最寄りの交通機関は京都市営バス「上七軒」停留所。
写真はそのすぐそばにある上七軒(今出川・七本松)の交差点です。
上七軒交差点から、七本松通りをしばらく南へ下ります。
一条通りと七本松通りとの交差点に辿り着きます。
逆行であまりうまく撮れていなくてすみませんが、この辺りにはかつて内裏(御所)の安嘉門(あんかもん)があったとされています。
つまり平安京北側にある内裏の北の端ということですから……この一条通りのあった場所は、平安京の北の端。つまり、平安京の中と外のちょうど境界線にあったわけで、ここより北は一種の「異界」みたいに考えられていたことです。
このその為昔、この一条通りには「夜中に百鬼夜行が現れた」などの妖怪伝承が遺され、現在も「妖怪ストリート」として売り出し中です(本シリーズ第3回と第149回で紹介したことがあります)。
そして、京都市内でもここから北の地域には多くの妖怪伝説・伝承が遺されています。一説には、「妖怪や怪異は、都(人の世界)の外側に、あるいは都の内と外との境界線に現れる」とも言われていますから。それについてはまたまた別の機会に(というか本シリーズでたくさんとりあげてきましたが)。
とりあえず今は、七本松通りをさらに南下して立本寺を目指します。
ごく普通の町並みの光景が並ぶ中、少し気をつけていなければ見落としそうなのですが、立本寺への入り口を見つけて入ります。
まずは寺務所のある方丈、客殿を訪れます。
方丈・客殿前のしだれ桜……でしょうか?
今年の桜は、開花が少し遅めのようです。
このしだれ桜も、まだこれからという感じですね。
それでも寺務所で拝観料を払って、中の庭や本堂内に案内していただきました。
京都市内の多くの寺社の庭もそうであるように、季節によって様々な光景が楽しめるそうです。
案内してくださった修行僧の方のお話によれば、紅葉の時期もお勧めだそうです。
大きな本堂の中では、本尊釈迦如来像の他、四天王や不動明王などの仏像、十六羅漢や寒山拾得などを描いた貴重な水墨画を見せていただきました。
最後にはこの寺オリジナルのお茶菓子までいただきました。
寺務所では、この寺に伝わる飴買い幽霊伝説に因んだ飴も売っていましたので、私も買ってみました。
ここで、「飴買い幽霊」伝説について。
以下、立本寺HPからの引用ですが。
>その昔、京都の東山に「みなとや」という飴屋がありました。
「みなとや」は京都の飴の老舗(しにせ)であり、町民からの評判も良いお店でした。
ある日の晩、店主が店じまいしようとしたところ、暗闇から一人の若い女の人が現れました。
彼女は一文銭を取り出し、「飴を下さい。」と言いました。そして、店主から飴を受け取ると、夜の暗闇の中に消えて行きました。
その翌日の晩、その次の晩も、同じ女の人が一文銭を持って飴を買いに来て、それは六日間にまで及びました。
そして七日目の晩のことです。彼女が飴を買って行った後、店主が飴の代金に受け取った一文銭を見てみました。すると、それは「しきみの葉」だったのでした。
不審に思った店主が、彼女の後をついて行くと、行った先は「立本寺の墓地」でした。そして彼女は墓地に入ると突然、スッ…と消えてしまいました。
驚いた店主が、耳をすませますと、どこからともなく赤ちゃんのオギャーオギャーと泣く声が聞こえました。
声のする方へ行ってみると、ひとつのお墓にたどり着きました。声はお墓の下から聞こえたのです。
驚いた店主がお寺の住職に伝え、お墓の下を掘ってみることにしました。
土から掘り起こした桶の中を見てみますと、そこには、毎晩飴を買いに来ていた女性の遺体があり、またその傍(かたわ)らには、飴を食べて丸々太った赤ちゃんがいたのでした。
つまり、この女性はすでに亡くなった方であり、埋葬時に入れられた桶の中で、我が子を産んだのでした。そして、「このままだと可愛い我が子が死んでしまう。」と不憫に思ったお母さんが、夜な夜な幽霊となって飴を買いに行き、我が子に食べさせてあげていたのです(この時に持っていた一文銭は、死者の身に付けた六文銭を一枚ずつ持ち出したものだったのです。)。
この時の赤ちゃんが、大人になった後に出家し、立本寺第二十世・霊鷲院日審上人となったのです。
我が子を想う母のやさしさが描かれた伝説として、現在まで立本寺に伝えられています。
引用ここまで。
この話に出てきました、幽霊が飴を買ったという「みなとや」は、シリーズ第31回で紹介したことがあります。
この飴買い幽霊伝説のほうひとつの舞台、飴買い幽霊が赤子と共に葬られ、その赤子が後に出家して高僧になったというのが、ここ立本寺なのです。
寺務所を出た後は、本堂前の庭へと行きます。
この時2017年4月の初め頃。
例年より桜の開花が遅れ気味で、この時も「あ、今日はまだ期待できないかな」とか思っておりましたが……。
雲もほとんどない晴天だったので、青空を背景にした桜が映えていました。
ここの桜は、まだこれからという感じなので、今週(四月第一週)の末頃か来週の初め頃が見頃かと思われます。
ただし、今週末の雨で花が散ってしまわなければ、ですが……。
桜の光景を楽しんで、立本寺を後にしました。
ところで、あの飴買い幽霊伝説の母親は今でもこの寺の墓地で眠り続けているのだろか。
そんなことを考え、寺務所で買った「幽霊子育飴」の袋の裏側を見たら、こんなことが書いてありました。
うーん。
伝説や伝承の真相とは、だいたいこんなものかもしれませんが(苦笑)。
これはこれで興味深いお話ですが……何というか、夢やロマンが無いと言ったら言い過ぎでしょうかね?
今回はここまで。
また次回。
*立本寺へのアクセス・周辺地図はこちら。
*立本寺のHP
http://honzan-ryuhonji.com/index.html
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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