小泉(新自由主義)改革とは一見、「全ての人にチャンスを与え、頑張っただけ報われる」ように見えて……実は、「一部の恵まれた人々がますます富む一方で、その他大勢の人たちはますます貧しくなるどころか、チャンスさえ狭められてしまう」という不公正なものである。勝ち組でもエリートでもない人たち(特に若年層)が、小泉改革を支持するということは、実は自分自身をさらなる貧困と無権利状態に追い込むだけなく、それを挽回するチャンスすらなくしてしまうという……つまり、自分で自分の首を絞めるようなものである。
にも関わらず、多くの人たちがそういう「自分で自分の首を絞めるような」選択をしてしまう。それは一体、何故なのか?
この疑問について、もう既にネットでも多くの人たちが、様々な考察をしてきた。
私もそれなりに考えたのだが、その中で私はひとつの仮説を立ててみた。
どうも、勝ち組でもエリートでもない人たちまでもが、「自分でも勝ち組になれるチャンスを与えられる」という幻想を勝手に抱いてしまったからではないか?
これまでに私は、小泉政権に好意的な人(特に若い人)たち何人かと話したのだが、彼らと話しているうちに、彼らが「小泉政権(と新自由主義路線)によって、自分もチャンスを与えられた」という思いを、大なり小なり抱いているように思えたのだ。
そこから私は、「新自由主義への幻想」という観点から、多くの人たち(特に若年層)が小泉政権を支持した理由を考えてみようと思い至った。
「B層」という、「具体的なことが理解できないけど小泉改革を支持するIQの人たち」を表現する言葉がある。小泉支持者を「IQが低い」と批判するのは簡単だし、実際そのような人たちもいるのだろう。だが私は、それだけではちょっと不十分ではないか、とも思った。
「小泉政権の支持者たちは、本当にただ愚かでIQが低いだけなのか?」
「もし本当に愚かだとしたら、その愚かさはどこから来るのか?」
「もし愚かだとしても、そうでなかったとしても、何故小泉政権に幻想を抱いたのか?」
「そもそも、新自由主義の幻想が放つ魅力は、どこから来るのか?」
「かくいう自分自身も、そのような幻想と無縁と言えるだろうか?」
などなどの疑問を抱き、自分なりにそれを追求してみよう、と考えたのだ。
そこで始めたシリーズが、『「若年層小泉支持」の背後にある新自由主義への幻想』である。
今まで第5回までできた。私自身がオフで多忙になったり、再開できるだけのバイタリティがわかなかったから、昨年末より中断していたが、あんなことやこんなことがあったので、「また再開しようかな」という気になったのだ。
ちなみに、今までの第5回までは以下の通り。
第1回:敗者、弱者ほど甘い夢を見る!?
第2回:いかにして幻想は広められたか?
第3回:何故、幻想を見抜けなかったか? 2人の若者のケースから
第4回:社会と自分自身に対する無知
第5回:自分自身を見つめられない弱さ
第6回は近日中(来週か再来週辺り)に書きたいと思う。今週土日までは、公私ともに本当に忙しいので。その後も、できれば2から3週間の間隔で続けたいな、と思う。
なお正直言うと、私自身も新自由主義へおかしな幻想を抱いていた時期があったのだ。ごく一時期とはいえ、恥ずかしながら。もっとも、小泉政権というよりも、落○信彦だとかいった人たちの影響だったが、私の場合。
ただ、だからこそだ。今、新自由主義にとらわれている人たちの気持ちというのが、少しくらいは理解できる、と自分で思うのだが。
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