京都の闇に魅せられて(新館)

仲源寺「目疾地蔵」は「雨止み地蔵」 @ 京都妖怪探訪(561)





(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)


 どうも、こんにちは。
 本シリーズで何度も登場していただきました、京都の妖怪伝道師・葛城玄幽(げんゆう)氏
 今年の祇園祭初日、7月1日。
 こちらとしては久しぶりに葛城氏主催の「京都魔界ウォーク」に参加しました。
 私もよく知らなかった京都の霊場魔所や名所旧跡、あるいは珍名所を案内していただくことも多く、楽しみに参加していきました。
 今回は、祇園祭の起源にまつわるお話も聞きながら、京都東山各地の霊場魔所や珍名所を巡るというものです。
 今回から何回かに渡って、そのレポート記事を書いていきたいと思います。
 その第1回目は、京都四条通りに面した古刹・仲源寺(ちゅうげんじ)に伝わる「目疾地蔵(めやみじぞう)」を紹介します。


 集合は現在工事中の、「京都四条南座」の前。
 最寄りの交通機関は、京阪電車「祇園四条」駅今日都営バス「四条京阪前」停留所です。
 阪急電車「河原町」駅からでも、歩いて四条大橋を渡って来られます。

 四条大橋東詰付近から観た鴨川の光景です。





 現在の鴨川はご覧のように大きなひとつの川になっています。
 が、葛城氏の解説によれば、元々の鴨川は8本の小川が流れていたもので、河原の流域も現在より広かったそうです。
 西岸は現在の河原町通りの辺りだそうで、それが河原町の由来となったとか。
 東岸も今よりもっと東側だったと思われます。





 かつての8本の小川も普段は歩いてでも渡れるような小川だそうでしたが、ひとたび増水すると、大変な暴れ川になったそうで、昔はその治水が重大な課題であったそうです。
 ちなみに過去記事のものですが、2013年(平成25年)9月に台風で荒れた時の鴨川の様子です。









【動画】2013年・台風直後の京都・鴨川




 なお、この記事を書いている2018年(平成30年)7月5日夜時点でも、ちょうど台風接近の為か、鴨川がかなり荒れた状態になっているということです。
 このように、昔から現在に至るまで、鴨川が暴れ川で、治水が難しかったということをここでは覚えておいてください。
 後の「目疾地蔵(めやみじぞう)」にも関わってくる大事なことなので。
 また、かつて流れていた8本の小川の中に「宮川」という川がありましたが……それについては、シリーズ次回か次々回辺りに関連してきますので、それも頭の片隅くらいに置いてください。


 四条大橋東詰、南座の辺りから四条通りを東へ。
 そこにこんな石の標識が立っています。





 「八坂神社参道」と刻まれています。
 ここでも葛城氏による解説。
 実は、四条大橋から東側の四条通りは、本来は四条通りではない、という話です。
 どういうことですかって?
 何故なら本来の四条通りは……というより、平安京は四条大橋西詰まで。鴨川を渡ってから外は洛外、当時の感覚では異界と言える地だったからです。
 正しくは、こちらの標識にある通り「八坂神社参道」なのです。


 四条通り……ではなく、八坂神社参道の南側を、大和大路通りとの交差点を東へ進みますと、ひとつの古刹の入り口が見えてきます。





 「洛陽三十三所観音巡礼」の第十六番札所でもある「仲源寺(ちゅうげんじ)」です。
 現在では浄土宗の寺院だそうですが、浄土宗が始まる承安5年(1175年)より前の治安2年(1022年)に四条大橋の北東に地蔵菩薩像を祀ったことが始まりだそうです。
 ここで葛城氏の解説が始まります。





 この寺の名前、「仲源寺(ちゅうげんじ)」の由来ですが。
 平安時代の安貞2年(1228年)、防鴨河使(ぼうかし、鴨川堤防修の検査・修復などを行う臨時の役職)にあった中原為兼(なかはら・ためかね)という人物が、鴨川の洪水で流された時に四条大橋に祀られていた地蔵菩薩に救われた(あるいは地蔵菩薩が溺れる人を救ったのを為兼が見た)ところから、寺を建立してこの地蔵菩薩像を祀ったのが始まりと伝えられています。
 その後、「信心深い老夫婦の眼病を自らの眼に引き受けて治した」という伝承から、現在では「目疾地蔵(めやみじぞう)」と呼ばれ、現在も眼病治療などのご利益があると信仰されています。
 葛城氏によれば、元々は「雨止み地蔵」であり、後世に名前の「あ」を取って「目疾地蔵(めやみじぞう)」になったという話です。
 古来より鴨川の治水は、京都の重大な課題のひとつでした。
 この地蔵菩薩像も当初は、洪水を防いだり、抑えたりすることを祈願して「雨止み地蔵」として創られたものです。鴨川のすぐそばに地蔵堂が建てて祀られ、後に寺まで建てて祀られた。
 当初は「鴨川の治水・防災祈願」という役割がそれだけ重要だった。
 ただ、後世になって鴨川の治水も安定してくると、治水・防災祈願という役割だけでは存在感が低下してきたので、他に何か役割を見つけ出す必要があった。
 それで、「あめやみじぞう」の「あ」をとって「めやみじぞう」として、眼病治癒という現世利益祈願という新たな役割が与えられて存続することになったという。

 創建当初には何らかの役割(治水・防災の他、内裏や平安京の霊的・呪術的防御など)が与えられていたのですが、後世になってその重要性が低下したり、変化したりして、現世利益などの当初とは別の役割を見いだすことによって、現在まで存続してきた。
 京都の歴史のある寺社仏閣には、意外とそういうものが多いのです。
 この仲源寺・目疾地蔵もそのひとつかもしれないのです。

 境内へ。
 まずは本堂に礼拝。





 ここに目疾地蔵が祀られています。
 ガラス越しに本堂内の地蔵菩薩像を眺めていますと……その目がうっすらと赤みを帯びているように見えます。
 仏像の眼が彩色されているのか。あるいは、信者の眼病を引き受けたという伝承は本当だったのか。いずれかはわかりませんが。


 他にも境内にはいろんなものがあります。
 大黒天とか。






 北極星を神格化(仏尊化?)した妙見菩薩とか。






 目疾地蔵の影に隠れて今ひとつ目立っていない印象がありますが、重要文化財にも指定されている木造の千手観音像。






 現在では浄土宗寺院のはずですが、境内にいろんなものが祀られているのも、日本のお寺らしいですけどね。

 さて、最後にもうひとつ。
 入り口門の後ろのこの箇所。





 実はこの場所、祇園祭で結構重要な役割も果たしているのですが……。
 それは何かというのは、今回の続きであるシリーズ次回か次々回、祇園祭に関する回でお話ししましょう。





 今回はここまで。
 本シリーズは、しばらく葛城氏の「京都魔界ウォーク」の記事が続きます。




*仲源寺へのアクセスについてはこちらを参照(※ブログ「京都旅行のオススメ」より)。




*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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