自己破産者のブログ

 自己破産の決意とその後
~後悔・悔しさ・再起の過程~

自己破産 亡き母

2007年04月28日 15時01分32秒 | 談話
悲しみも随分枯れてしまうこの頃に少々侘しさを感じる今です・・・。
誰にでもあることなので・・・と自分を慰めるしかありません。

母は、もともと「うつ病」でして、僕から見ても強度のうつだったと思います。
すぐ自分の世界に入ってしまうのです。脳の病気か、晩年は太り気味だったので、何かの病気にかかっているのでは?と思っていましたが、母は病院に行くのを極度に拒むため、元気であったこともあり、そのままにしていました。思えば、病院に行ったという記憶は、僕が中学生の時、母が子宮筋腫を除去する手術のため病院に入院したくらいです。歯医者は好きでよく行っていましたけどね。

訃報を聞いた時には、正直「やっぱり」と思いました。

胸部大動脈瘤破裂(腹部?解剖を行っていませんので90%の確率での医師推定ですが)ということでした。普通に買い物(サンダルを買いに行くと言っていたらしいです)に行って、帰った後、いつものように寝室で寝たそうです。いびきのような声が聞こえたらしいですが、いつものことでそっとしていたとのこと。

30分後、父が呼んでも何も返事が無く、おかしいと思い、近所の人を呼び、救急車も呼んで到着。医師が乗っている救急車だったので、初見から心肺停止状態。近くの私立病院へそのまま搬送し、1時間にわたる蘇生術を施しましたが駄目でした。

苦しんで死んだわけではない。下の世話まで介護してもらっていたわけではない。誰にも何も迷惑をかけず死んで逝ったのです。母親らしく、これまた納得するしかありません。

思えば、一人っ子だったので、生前は随分迷惑をかけました。父は当然のように、仕事に行っていたので、幼い頃の遊び相手はいつも母でした。(僕は転勤族の家庭だったので友人も限られておりました)
19歳の時、飼っていた猫が死にました。母は凄くかわいがっており、新しい猫を飼おうかと言っても「死ぬのを見るのは嫌だ」と言って買いませんでした。20歳の時、大学入学のため実家を離れることになり、母を取り巻く家族が父しかいなくなりました。そのあたりから「うつ病」がひどくなったと思います。

よく聞きますが「親孝行を考える時は親が死んだ時」ということ。まさにそれです。ただし、親孝行は死んだ後でも行えるので、墓を立ててやりたい。そのためにはお金を貯めなければなりません。

今まで、他人の死には同情はできてもそれ以上のものはありませんでした。親が死ぬという辛さはこんな心境になるんですね。あたりまえか(笑)・・・。