通奏低音(老いの繰り言3)

2024-09-01 16:32:36 | 日記
 9月1日です。台風一過、少しは涼しくなるかと思いきや、真っ青な空にしばらく猛暑は続きそうです。
 爺さんのカレンダーは、為すことなく過ぎてゆきます。


 グータラ娘は、相変わらずだらしなく昼寝をしております。


 前回の記事につき友人より注意有り。『オマエねぇ、それを言うなら「通奏低音」だろ。』と。音楽用語であって(爺さんには理解不能の意味)、「常に底流としてある考えや主張のたとえ」の意味で使うのは誤用だそうであります。まぁ、一字違いで並びを間違えたくらいではありませんか。ご時世、「裏金」がばれたって収支報告書を書き直せばおおかたお咎めなしですから、「底通奏音」と書いたくらい笑って許してよ。(反省なしの開き直り) しかし、こういう音楽についての間違いをしたからには、書かざるを得ませんね。

 小学校、中学生そして高校と波乱万丈の青春時代を過ぎて、昭和43年、爺さんは福岡教育大学に入学します。(記事は一挙に飛びます。)
 本気で小学校の先生になろうと思ったのと、家から通えて合格見込みのある授業料の安い国立大学であったのです。ここまでに紆余曲折ありまして、中途半端な浪人生となり、親の期待に背いて人生のフライングスタートは解消しております。

 小学校教員養成課程というのは、卒業必要単位が、そのまま教員免許状(当時の小学校一級普通免許)の必要履修単位にイコールであります。当然、苦手な体育音楽も、「教科教育法」としてしっかり単位数があります。爺さんは、体育はうまい具合に、卓球、テニス、剣道とか、なんとかごまかしの効く講師の授業を取って、ずいぶん恥をかきながらもやり過ごします。しかし、「音楽」ばかりは。

 ピアノは弾けない、歌唱もまるでダメ、どうやって単位を貰ったのか、もう記憶にありません。最後の難関の単位ひとつ、すでに大学5年生であります。担当教授は、安永武一郎さん。(九州交響楽団常任指揮者ほかを歴任される。)下級生の女の子たちにまじって(本来3年生の必修科目)、器楽合奏は失敗するし、『えんどうくん「ソ」を発声してごらん。』と言われて『そ~』と声を出すと教室中が大爆笑。ついに『えんどうくんは、どうしようもない音痴だなぁ、、、』と武一郎さんがため息
 そのころ、ご子息、徹さんが、日本音楽コンクールで優勝され、のちにベルリンフィルのコンサートマスターになられる。こういう訳で、爺さんは、品質保証付きの世界一の音痴とうたっているのであります。

 どうも小学校の教員には向いていないのかなぁ、、、と思い始めていた頃、ある先輩の曰く『担任の先生は、子供たちにとってスターじゃないといかんのよ。うちの先生がいちばん速い、とか、歌が上手とか、、、。』 まったくその通りですねぇ。これで、もうダメだとおもいました。が、卒業はできたとしても、教員採用試験に受かる見込みは全くありません。ここから、爺さんはどうやって生計の道を見つけるのか、今、回想しても冷や汗たらたらが待ち受けておりました。
 なお、安永武一郎さんは、「えんどうを大学に残しておいても有害無益」と判断されたのでしょう、「」をくれました。

 気が向いたら続きます。では。