ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

シベリア鉄道旅行記1

2007-07-14 16:27:55 | Weblog
シベリア鉄道旅行記
14.07.2007

昨日朝キエフに到着。ここに留学している後輩の寮に滞在しております。

エカテリンブルクまで来て、ようやく旅行記に着手できるようになりました。
今後、旅行記を書ける時間的、場所的余裕を見つけ次第、順次更新していきます。
このブログは1つの記事に1つの写真しか掲載できないので、旅行記の連番、見出しの順にタイトルをつけ、それぞれに関連する写真を載せたいと思います。

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1 日本の中のロシア 【写真:ルーシ号 52063】
29.06.2007
 昨年8月に留学から帰国して以来、この日をどれだけ待ちわびていたことか。これから乗るウラジヴォストーク行きの客船ルーシ号Русьを見て、ようやくまたロシアへ行けるという喜びがこみ上げてきた。
 
 日本からシベリア鉄道の始発、終着地であるウラジヴォストークまで行く客船は、唯一富山・伏木港から発着するルーシ号のみ。28日の夜、大学の同期と後輩に見送ってもらいながらつくばを発ち、東京から夜行バスで高岡入り。高岡は朝から大雨だったが、一時止んだのを見はからって瑞龍寺というお寺を見学してみた。お昼、普通列車で伏木へ。ルーシ号の出港時刻は18時だが、出国審査の関係で、14時までには乗船しなければならない旨案内を受けていた。そのため、かなり余裕を持って、13時前には伏木に到着した。

 ウラジヴォストークへ行く唯一の客船の出港地とあってはさぞ栄えているだろうと思ったが、そんなことはなかった。スーツケースがあるのと、港までどれだけ離れているか分からなかったためタクシーに乗る。そのタクシーも、駅前に1台待機していただけ。
 運転手のおっちゃんの話によると、この町はロシア人の出入りはあるが、住んでいるロシア人は少ないらしい。
 タクシーは2,3分で港に着いた。案外近かったようである。船から少し離れたところには有刺鉄線が張られ、制限区域である旨の表示があった。タクシーはその中には入れず、船の少し手前で下りた。
 
 船の周囲では、これから積み込むとみられる車やタイヤなどの準備をする人が多数いた。
クレーンでどんどん車が積み込まれていく。1台ずつ、タイヤの部分を固定してクレーンで吊り上げる。その手際の良さは職人技。噂には聞いていたが、客と一緒にこうして車も輸出されていくのだ。

 船に横付けされた階段を上がって乗船すると、そこはもうロシアの匂いが漂っていた。ロシア人、周りでとびかうロシア語、船のつくり(トイレ、シャワー、鍵など、大きなものから小さなものまで何もかも)、全てが、日本の港でありながら日本の空気を一切遮断するようだった。
 受付の人や周囲の人々とロシア語で話す喜び。もうロシアに来たんだ。出港する前から、懐かしさを感じた。
  


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