ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

クラス消滅!?

2006-02-06 20:05:55 | Weblog
2006年02月01日
ロシア滞在通算143日目
【今日の写真:ボスタニヤ広場駅の屋根の上には、未だに新年祝いの飾りがある(電柱の奥の丸い玉)。】

今日の主な動き
08:31 出かける
08:38 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(08:43頃)→バシレオストラフスカヤ(08:50)
08:58頃 学校
09:38 大学の事務がある建物
12:40過ぎ バシレオストラフスカヤ駅前のマック
13:40 バシレオストラフスカヤ駅
  メトロ バシレオストラフスカヤ(13:44)→ガスティニードヴォル(13:48)
14:00頃 日本センター
16:12 ネフスキー通り駅
  メトロ ガスティニードヴォル(16:17)→マヤコフスカヤ(16:19)
16:26 モスクワ駅
17:02頃 いつもの薬局
17:07 帰宅

 授業のクラスが突如消滅するという、ギャグみたいな出来事が今日、本当に発生した。   
2月初日、しかも大変分かりやすい文法の授業ということで、はりきって早めに学校に着いたのだが、先生が来ない。今日の先生はそんなに遅刻しないはずなので、どうしたことかと思っていると、日本人のI氏が廊下の前を通りかかり、「5番のグループだよね?人数減ったからなくなったらしいよ。」と言う。そんなバカなと思ったが、別の建物にある事務室の前に掲示があり、それによると、人数が少なくなったクラスは1月31日で消滅し、残りの住民は別のクラスに強制移住させられることになったそうである。I氏のクラスも消滅の憂き目にあい、今日はとりあえず別のクラスで授業を受けるのだそうだ。

 そんなわけで、後からやって来た台湾人とともに、寒い中歩いて事務室へ行く。確かに、私達のクラスを含めて5つほどのクラスが消滅する旨のリストが掲示してあった。私達のクラスの人々は19番という別のクラスに移住するらしい。
 かつては10人を超えていた私達のクラスの人数が激減したのには理由がある。一つは、韓国人数名がこの一月に帰国したこと、もう一つはクラスを移動(ここでは自分の希望で簡単なクラスや難しいクラスに移動できる)した人が結構いたことである。そのため最近は私を含めて出席者が2人とか、3人とかいう状態が続いていた。私はこれまで一度もクラスを移動したことがないが、今までのクラスは先生も良く、人数が少なくなってきたため相対的に話をする機会が多くなり、何だかんだで気に入っていた。
 しかし一方で、同じクラスの中でのレベル差が大きくなりつつあったことも事実。特に台湾人数名のうち2人は、昨年授業が始まった頃には私と同じくらいか、私よりロシア語が出来たはずなのに、未だに基本的な事項が分かっていないらしい。理由と結果を表す接続詞を混同したり、生格を使うべき所有の構文で何の遠慮もなく主格を使ったり、いつまでも簡単この上ない話法の転換ができなかったり、言われた宿題の中身が分かっていなかったり...もうめちゃくちゃ。

 今日は事務からの帰り、そのうちの一人と話していたが、途中からロシア語で話をするのが難しいと感じたらしく、英語で話し始めた。英語は出来るのかと思って聞いていると、どうやらそうでもないようだ。He sell~とか、more cheaper とか平気で言うので、聞くに耐えなくなった私が中学、高校レベルの文法を訂正して差し上げたくらい。英語のネイティブでない私達が英語を話すときには、大なり小なり頭を使わなければならず、うっかりHe sell なんて言ってしまうこともないわけではない。しかしそんな軽微な文法ミスをあまりに連発するようでは、あなた本当に英語が出来るの?と疑ってしまう。
 移動先のクラスの休憩時間になるまでラウンジに座りながら、台湾後(中国語?)で話をする彼らに、試しに英語で話してみようと提案。そこでついに究極の英語を耳にした。「彼女は」と言うところでHerを主語にしたのである。まあロシア語の感覚で英語を話せばそれもありなわけだが、さすがにこれを聞いたときには世も末だなと思った。英語すらまともに話せないようでは、ロシア語がおぼつかないのももっともだなと納得。なお、一応彼女ら(問題の二人)を含めて、台湾人数名の専攻はロシア語である。

 移動先のクラスは、日本人(H谷氏)と同じクラス。雰囲気や授業内容は悪くなかったが、私達の転入で人数が増えた上、私達の今までのクラスの中でもだいぶレベル差があるはずなのにそれを全く考慮せず、事務的に一括して同じ所に移動させられたことはかなりいただけない。もともとクラスを移動するつもりはなかったが、消滅した以上仕方がない。どうせ移動するなら、もっと別のクラスも見てから自分で決めようと思った。

 昼、3日連続でマクドナルドへ。今はトリノオリンピックのキャンペーンで、特別なイタリアンチーズバーガーがある。そのイタリアンチーズバーガーセットを食べながら、I氏とともに一時間ほど話をする。
 その話の中でI氏は、台湾人らがなかなかロシア語が上達しない理由を教えてくれた。私のクラスにいる台湾からの留学生は、台湾の彼らの大学の決まりによって、好むと好まざるとにかかわらず、ロシアに留学しなければならないのだそうである。ロシア語専攻の人々にとって、ロシア留学はまたとないチャンスのはずなのだが、皆が留学を良く思っているわけではなく、早く帰りたいという人も少なくない。私なんかは好んでロシアにやって来て、ロシア語も気に入っているわけだが、語学というのはその言葉を本当に好きにならなければやっていられない。2年間授業を受けた「はず」のフランス語で挫折した経験があるから、そのことは良く分かる。もし嫌でロシア語をやっているならば、彼らにとっては大変気の毒なことだ。
 
 さて、今日は2月初日ということもあり、帰りにモスクワ駅参拝に行く。先日アリーナやボーバから教えてもらった通りの放送が流れていて、おかげで列車の案内に関する放送は完全に理解できた。駅はやはりどこか神聖で、良い場所だ。今月も良いことがありますように、特に、自分に合うクラスが見つかりますようにと、モスクワ「神社」に祈った。


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