ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

西方見聞録3 スティーブンと再会-ジュネーヴ-

2006-04-30 20:32:55 | Weblog

【写真:右からクリス、スティーブン、スティーブンの彼女。チューリッヒ郊外で。(09/04)】 
旅程
《08/04 タリン→ベルリン→ジュネーヴ→チューリッヒ》
13:59 タリン離陸 EZY4606便
以下時刻はベルリンサマータイム(GMT+1、ペテルブルク-2)
14:35 ベルリン着陸
18:24 ベルリン離陸 EZY4623便
19:49 ジュネーヴ着陸
20:37頃 所定20:36発の列車で空港発
23:30 チューリッヒ着
   チューリッヒ到着後列車で郊外へ
《09/04 チューリッヒ》
00:10 クリスの家

 タリンから乗った飛行機easyjet4606便は、ほぼ定刻に出発した。放送によるとベルリンまでの飛行時間は1時間45分弱。離陸からわずか30秒ほどで地上の風景は雲の下になったが、時々雲の切れ目からバルト海を見下ろすことが出来た。

 ペテルブルクを出てからタリンまでは周囲にロシア語があふれていたが、ベルリンに到着すると状況はがらっと変わる。ドイツ語の放送や案内書きは、私にとっては解読不能の暗号。掲示板に併記されている英語を頼りにチェックインを済ませ、ゲートへ向かう。非英語圏で英語を用いるのに私はかなり抵抗を感じるが、一言、二言のあいさつ程度しかドイツ語を知らない私に残された手段は、情けないかな英語のみ。英語支配は良くないと常々思いながらも、周りが暗号では他にコミュニケーションの方法がない。だがさらに悔しいのは、空港の職員も英語が通じる人々ばかりで、英語で事がすんでしまうこと。外国人はドイツ語が出来なくて当然、裏を返せば英語が出来て当然という発想があるように思えてならない。ドイツ語が出来ない私が言うのもおかしな話だが、いっそ案内表示も放送も全てドイツ語の方がよほどすっきりする。そうなったら私は困り果てて自分がドイツ語が出来ないことを後悔するだろうが、英語の案内が一切ないことを批判したり、腹を立てたりすることはないだろう。

 ジュネーヴ行きのゲートは、チェックインの後もまだ表示されていなかった。モスクワ行きの待合室の前には数名ロシア語で話をしている人々がいたので、なんだか懐かしい気がしてジュネーヴ行きのゲートが決まるまでの間、ロシア人達の近くで待つ。

 出発の約1時間前になって表示されたジュネーヴ行きのゲートは、モスクワ行きのゲートからかなり離れていた。パスポートコントロールの後進んだ待合室には小学生くらいの子供らが大量におり、これはかなり賑やかなフライトになりそうだと覚悟。もう一つ特筆すべきは、待合室にあった自販機の水の値段、2.5ユーロ。ロシアでは15ルーブルくらいだから、1ユーロ約33ルーブルとして約6倍近い高さである。

 所定より若干遅れて飛行機はベルリンを飛び立った。機内で一眠りと考えていたが、私はあろうことか例の小学生軍団の間に挟まれてしまい、一眠りどころではなかった。彼らがどこぞのアジア語のような私の気にくわない言語で話していたら、たとえ通じなくてもとりあえず英語か何かで注意していただろうが、きれいなフランス語を話していたので怒りは生じなかった。彼らのフランス語を聞きながら、自分は今スイスのフランス語圏に向かっているのだということを実感した。

 まだ明るいうちにジュネーヴに着陸。天気が良く、遠くに雪を頂いた山が見えた。パスポートコントロールではスタンプがなく、パスポートを見られただけ。スイスの記念がパスポートに残らずちょっと残念。

 さて、今回の旅行では何人かの友人に会うことになっているが、一番最初は昨年ペテルブルクでホームステイ先が一緒だったスティーブン。
 ジュネーヴに住む彼は昨年約3ヶ月間ペテルブルクでロシア語を学び、その最後の1ヶ月が私の留学の始まりと重なった。思えばその時は私がまだほとんどロシア語を話せなかった頃。ホストファミリーとの通訳をしてくれたり、街に誘ってくれたり、彼にはいろいろと世話になった。
 スティーブンは到着ゲートまで迎えに来てくれていた。昨年10月にペテルブルクのプルコヴォ国際空港で別れて以来半年ぶりの再会。スイスには必ず行くと約束していたから、無事にその約束を果たすことが出来た。
 
 スティーブンとその彼女とともに、空港から直ちにチューリッヒ行きの列車に乗車。いったんジュネーヴを離れて、共通の友人であるクリスに会いに行く。クリスはペテルブルク滞在中、スティーブンと同じ学校でロシア語を学んでいた。スティーブンが連れていってくれたバーで私は初めて彼と知り合った。
 列車の中でスティーブンが持ってきてくれたオレンジなどを食べながら、いろいろと思い出話をする。中にはスティーブンが初めてペテルブルクに来た頃、ネフスキー大通りを探して間違えてバルト駅へ行ったことなど、初めて聞く話もあってとても面白かった。
 スティーブンとはロシア語、英語のどちらで話そうかと思っていたが、彼はスイスに帰国後ロシア語を続けていなかったらしく、彼との会話は英語のみ。もっとも、ペテルブルクでも彼とは英語でしか話していなかったから、お互いにとって自然なことである。彼女の方はスペイン語が母国語らしく、英語は勉強中らしい。スペイン語が母国語ながらもフランス語が堪能で、スティーブンとはフランス語で会話していたうえ、そのうち車内からフランス語の雑誌を持ってきて読み出した。おそるべき語学力に感心させられた。
 実はスティーブン、チューリッヒに行くのはこれが初めてだという。彼はあまり旅行をしないらしい。チューリッヒはドイツ語(スイス ジャーマン)圏にある。22時過ぎに停車したFribourgという町がフランス語圏とスイスジャーマン圏の境界だと教えてくれた。   
 
 時差の関係で私には26時間あった4月8日がまもなく終わる。ロシア→エストニア→ドイツ→スイスと、一日にして4カ国を回ったのはこれが初めて。

 23:30頃、チューリッヒに到着。そこから近郊列車に乗り換え、クリスの町へ。彼に会った時には既に日付が変わっていた。彼も元気そうで何より。クリスの車で彼の家へ向かう。
 昨年の秋はペテルブルクを去っていく友人らとの別れを悲しんでばかりいたが、別れあれば再会あり。別れてそれで終わりではない。ペテルブルクで出会った3人がはるか遠くのチューリッヒにこうして集結するなんて、とても素敵なことである。
 私のスイス滞在は、こうして親友らとの再会から始まった。

 


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