28 Ноября 2005
Днём я ходил обедать в ”Теремок” около метро станции ”Василеостровская”. Там я ел блины с яблоками. Они мне очень нравятся. Я часто ходу в ”Теремок”.
Когда я шёл домой я видел щенков и котят. Их продают около выхода метро станции ”Гостиный двор”. Я думал, что их было очень холодно. Продавецы собирали пожертвование. Щенки и котята были очень милые, поэтому я пожертвовал несколько монет для их.
2005年11月28日
ロシア滞在89日目
【今日の写真:クリスマス向けと思われる装飾(写真中央)が登場した。大学の教室のある通りにて。】
今日の主な動き
08:53 出かける
09:03頃 ケンタッキーのATM
09:09 マヤコフスカヤ駅
09:20 バシレオストラフスカヤ駅
09:31 学校
12:33 大学の事務室のある建物
13:08頃 バシレオストラフスカヤ駅前の「テレモーク」(ブリーニー屋)
13:20 バシレオストラフスカヤ駅
13:30 ガスティニードヴォル駅
13:39頃 日本センター
17:46 列車予約センター
18:18 ガスティニードヴォル駅
18:28頃 マヤコフスカヤ駅
18:43 帰宅
朝大学へ向かう途中、バシレオストラフスカヤ駅前の通りにクリスマス用と思われる装飾があるのに気づいた。そういえば、ここ数日ネフスキー大通りやケンタッキーなど、街の至る所でクリスマスに向けた飾り付けが始まっている。もうそんな季節になったのだ。
授業後、ホームステイ費用を支払いに、事務室のある建物へ行く。ヨーロッパ旅行へ行く2週間分は食事代を払わないので、いつもよりは少し安い。担当してくれたコワレンコ先生が、「ヨーロッパ旅行へ行く際はビザが必要か?」と聞いてきたので、「(日本人は)いらない。」と答えると、「(ロシアの)マルチビザと、スタンプの押された紙を忘れないように。」と念を押された。
確かに、いずれもEU加盟国である旅行先へ行く分にはビザの心配はいらないが、ロシアのビザを忘れていったら帰国できず、フィンランドで足止めになってしまう。いや、そもそも出国も出来なくなるのかな。私の持っているマルチビザは、パスポートに貼る形式でないため、忘れないように注意しなければならない。
夕方、メトロに乗るためにガスティニードヴォル駅へ行く。駅の出口の前で、とても小さな子猫と子犬がそれぞれ数匹、かごに入っていて、小学生くらいの子どもらや、通りがかりの人が見物していた。そこにいた人に、「売っているのか?」と尋ねると、「そうだ」という。
小さな猫たちはかごの中で、寒そうに身を寄せ合っていた。売っている人はタバコを吸っており、子犬の背中にはタバコの灰が少し降りかかっていた。かごのそばには募金箱があり、人々が寄付金を入れていた。増えてしまったから売ろうとしているのだろうか。見たところペット屋という感じではなさそう。この募金がちゃんとこいつらの餌代になるのかと、一抹の疑問を感じないでもなかったが、これら小さな命が無事に生きながらえることを祈って、私もポケットにあった1ルーブルコイン2枚、2ルーブルコイン1枚、5コペーカコイン一枚を入れてきた。
今日の夕食はボルシチとペリメニ。夕食を食べながら、セルゲイと筋トレの話になり、「筋トレは毎日やらないと意味がない。」と言われた。最近私は筋トレを怠っていたので、ちゃんとやらないといけない。その話がきっかけで、セルゲイと腕相撲をすることになった。もともと、純粋に筋肉の力だけが必要な運動に甚だ弱い私が、まともに勝負できるわけがない。一応誘いに応じてやってみたものの、彼の腕はびくともしない。あっけなく負けてしまった。よく見ると、セルゲイの腕の筋肉はものすごい。一体どこでこんな筋肉をつけたのだろうか。
実は彼は、1979年から81年にかけての2年間、軍で訓練をしていたらしい。どこかの基地で勤務したわけではなく、モスクワ近くでもっぱら訓練に明け暮れる日々だったという。お湯ではなく、冷水で体を洗ったと聞き驚いたが、運動した後に冷水で体を洗うと気持ちよかったそうである。セルゲイの筋肉は軍で鍛錬した成果だったのだ。
それからいろいろと話を聞いた。彼はソ連のアフガニスタン侵入(79年)の際にアフガニスタンへ行きたかったらしく、戦地へ行きたい旨の手紙まで書いたそうだ。が、結局アフガニスタンへは行けなかった。「どうして?」と聞くと「分からない。」と笑っていた。
今は戦争に行きたいとは思わないらしいが、彼はこう言っていた。「実際はあり得ないが、もし仮に他の国が攻めてきたら、私は戦う。私はロシアが好きだから。」と。攻めてくる国の例としてアメリカの名前が挙がった。彼は「アメリカ人」という通常のロシア語の他に、もう一つ「アメリカ人」を表すロシア語を教えてくれた。そっちはアメリカ人に対する軽蔑の意味があるのだという。セルゲイは、今でもアメリカ人が好きではないらしい。かつて対立した国の国民だからなのか、それとも今の米政権の強硬な対外政策が悪印象を与えているのか、理由はよく分からない。
私の今のロシア語力ではまだまだ出来る話に限度があり、途切れ途切れになりながらの会話だったが、セルゲイも私のレベルに合わせた言葉で話をしてくれた。冷戦時代のことなど、聞きたいことはいろいろある。「もっとロシア語が出来るようになったら、また話を聞かせて欲しい。」と彼に伝えた。
ロシア人達は、かつて対立したアメリカのことをどう思っているのか。より広くいえば、彼らの世界観はどうなっているのか。もっといろいろ話してみないと分からないが、冷戦時代は二大国の一つとして世界に君臨しながら、ソ連だけが崩壊してしまった悔しさがどこかにあるのかも知れない。セルゲイの話を聞きながら、そんなことを考えるとともに、ロシア人の世界観に今まで以上に興味を持った。
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