それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

脊髄反射と言葉

2017-06-08 23:18:04 | 教育
 下に掲げるのは、昨日のヤフー・ニュースの内容である。

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 広島県三原市のスポーツ施設の2階から女児(5)を投げ落としたとして、県警三原署は6日、同市立中学3年の男子生徒(14)を殺人未遂容疑で逮捕した。

 男子生徒は投げ落としたことを認め、「(女児が)足にまとわりついてきて腹が立った」と供述しているが、殺意は否認しているという。

 発表では、男子生徒は5日午後6時15分頃、同市円一(えんいち)町のスポーツ施設「三原リージョンプラザ」の本館2階から、抱き上げた女児を約6メートル下の1階に投げ落として殺害しようとした疑い。女児はあごの骨を折るなどの重傷。女児は当初意識がなく、病院内で回復したという。

 男子生徒は特別支援学級に通っており、女児と面識はなかったという。事件直前、1階で女児が男子生徒の足にまとわりつく様子が目撃され、施設内の防犯カメラには、男子生徒が女児を抱き上げて階段を上がる姿などが映っていた。
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ネットの様々な新聞名を付したニュースの内容と表現は、ほぼ同じであるので、警察発表をそのまま記事にしたというお手軽な操作の一例であるが、それはさておいて、この中学生の問題性について考察しておこう。

 このところ、育児に行き詰まって、幼児・乳児をマンションのベランダから投げ落としたり、壁に投げつけたり、熱湯をかけたり、バスタブに浸けて溺死させたり、……と異様な事件が続いている。今回の事件も、同一線上にあると言ってよいであろう。
 
 知らない子が、足下にまとわりついて歩きにくいという状況になったら、面倒くさいという感情を持つのは無理もないことであろう。泣きわめく幼児に困惑するという事態に陥ることもあり、それは、私自身の経験を想起しても、困った状況である。しかし、こういう反応や認識と行動との関係は一つではない。

 刺激と反応の関係の中に、「脊髄反射」というものがある。ネット検索をしてみると様々な出典による解説があるが、常識的なものを紹介しておこう。
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ヒトを含む動物が刺激を受けた場合に、脳で意識しないうちに脊髄が中枢となって起こる反応。感覚器が刺激を受容してから行動に移るまでの情報伝達が脳を経由せずに完了するので、脳を経由して反応するよりも素早い行動が可能となる。例)熱いものに手を触れたとき、瞬間的に手を離すなど。

ある事象に対する反応として、短い時間で考えなしにとられたような行動を指して、比喩的に用いる場合もある。
********************************************************************************* 脳を経過しない、いきなりの反応というのが怖い。つまりは、本来の意味での「言葉」の介在しない反応であろう。
 複雑な、意識下の内容も、言葉にする努力をしてみれば、その実態を対象化、客観化することができよう。反省日記などは、その好例であるが、反省でなくとも、日常的に言葉化することには、大脳経由という反応の経路を回復する意味があるのではなかろうか。
脚にまとわりついて腹が立ったのなら、「どうしてそんなことをするのか?」あるいは「迷惑なんだけど。」、「怒るよ。」などと言葉にするだけで済んだかもしれないことである。普通はそうするはずであるのに、しなかったのは、言葉以外に問題を抱えていたのかもしれないが、いやなこと、腹の立つことも、とにかくその内容を言葉にしてごらんというのは、大切なことであろう。

 ところが、その言葉にも、最近は問題がある。若者が多様する「やばい。」は、本当にやばい。
 大学で受講生に、おいしいものを食べたときに「やばい!」と叫ぶ若者が多いけれども、「やばい」ってどういう意味だ?と訪ねると、「とてもおいしいこと」と答えた。本レアAの意味では、「食べているものが腐っている」とか「有害である」とか、「出所があやしい」とかのマイナスのイメージを抱えた言葉であろうが、今や、「やばい」は万能である。万能な言葉は、脊髄反射に近い反応を引き起こす。言わんとすることと言葉との間の関係を吟味するという過程を省略しているからである。こういう言葉は「やばい」だけではないから心配している。若者は、考えるという面倒なことは避けて、脊髄反射的な、ショートカット言語を使用したがっているようなのである。

 問題を、若者に限定するのは不公平かもしれない。近年、「切れる」老人が増加しているという。私自身、高齢者になってみて、ものごとの細かな説明や表現が面倒くさくなっていることを自覚する。いちいち、事細かに説明などしたくないのであり、相手の言葉のまどろっこしさに憤ることになるのである。しかも、その場合の怒りの反応は脊髄反射に近いほど、速効的性格を持っている。ことばが、脳を経過していないのである。
 若者、老人を除いた世代も、似たような状況があるのかもしれない。ということを考えると、私たちは、この際、じっくりと言葉の意味を考え、内面を言葉にすること、相手の言葉を正確に理解することの必要性とそうすることができるようになるスキルを磨く必要があるのかもしれない。