それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

政治家と言葉

2021-06-08 18:12:27 | 教育

 最近のテレビ番組のうちで視聴の価値ありと判断できるものはごく稀である。

 その中で,最も魅力のないのは,国会中継、委員会中継ではなかろうか。政治は言葉と言われることもある。政治家にとって言葉による主張、説得は生命線である。これは,言葉巧みな人間(巧言令色の人間)を推奨する意味ではない。言葉は人間の本質の反映である。覆い隠しようのない人間の質の証明書のようなものである。

 私が視聴した,国会中継では、首相がコロナと五輪実施の関係を質問されて,答えにならない発言を繰り返していた。国民の安心安全を、「しっかり」確保しつつ、五輪は行うという抽象論である。安心安全と五輪の関係(どうすれば両者が可能になるのか)が一向に具体的にならない。翌日のネットニュースでは、この答弁を12回繰り返したと報じている。課題解決の姿勢は皆無である。学術会議会員の任命拒否の理由の中で使用された「総合的、俯瞰的観点」が完全に欠落している。

 この問題に関しては,質問者、特に野党議員の質問も悪い。質問者が替わっても,質問は全く同じであった。首相にしてみれば,同じ質問12回に、同じ答えを12回繰り返したということになるのであろう。

  議長にも問題がある。議長は大相撲の「呼び出し」ではない。不毛な質問や答弁がつづくなら注意、叱責をすべきである。小学校の学級会で、この種のやりとりが行われるなら教師は、「真面目に話し合いなさい」と注意するはずである。18歳の有権者たちは, こんな議員に国の舵取りを任せて良いのかと、絶望的になるのではなかろうか。国民に,特に若い世代に国会中継を見せることには慎重でありたい。

 政治家に限らず、日本人の言葉のやりとり,特に話し言葉によるそれは,決して上手とは言えないが、その一つの例は,スポーツ選手へのインタビューの稚拙さに見ることができる。野球や相撲におけるインタビューで問いかける言葉は、ほぼすべて、「……のお気持ちは?」である。問われる方は,同じ問いに対して幾度も同種の答えを,真面目な選手は多少ニュアンスを変えて答え,最後には選択に窮して「最高でーす!」と叫んで終わりにすることになる。私の贔屓チームのある捕手は、「今日は、一番の最高です」という名言を残した。こういう気楽な会見なら、選手生命を賭して会見拒否を表明することもなかったろうにと,テニスのO選手のことを思い浮かべている。

  私たちの日常は,言葉によって維持されているところが大きい。特に話し言葉に拠るところ大である。建設的な対話,会話っを実現するためにはどうすればよいのかを考える手がかりを政治家や記憶力の減衰した官僚たちが、豊富に提供してくれていると考えて活用しよう。