それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

日本学術会議

2020-10-13 23:30:24 | 教育

 このところ話題、問題を提供している日本学術会議について考察しておこう。

  日本学術会議は、1949年に総理大臣所轄の、しかし独立した特別の機関として設立され,会員数210,連携会員2000人で構成される組織であり,会員は特別国家公務員であるという。全国87万人の研究者の代表であるとの建前のようだ。

 その役割は以下の4つである。 
•政府に対する政策提言
•国際的な活動
•科学者間ネットワークの構築
•科学の役割についての世論啓発

  財政基盤としては、国より年間10億余円の予算措置があり、50人の職員を抱えているとされる。

  今回、新会員の任命に際して、総理が,推薦された者のうち6名を拒否したということが問題として大騒ぎになっている。従来、総理は、会議の推薦する候補者を全員会員として認めていたが、今回は、「総合的、俯瞰的観点」から判断したのだという。これは,意味不明の発言で、総理周辺の誰かが、苦しみ紛れに考え出したものであろう。国会でも同じ答弁をしているから問題は解明されようもない。

  任命されなかった6名は、政府・与党の考え、方針に反する立場の人達のようで、これが官邸の気に入らなかったのであろう。皆が薄々気づいているこのことを認めれば、学問・研究の自由を侵すという憲法違反になりかねないので、言うに言えないというところであろう。会議の任務4つのうち、「政策提言」は,過去10年ばかり皆無という(小委員会での研究報告などは,ホームページで多数確認できるから,何もしていなかった訳ではないようだが……)から,提言の内容が気に入らないのではなく、恐らくは,会議とは無関係の場での研究や発言に問題ありとされたのであろう。

 近年、政府職員に対する官邸の人事的介入が露骨になり、政府与党の考え方に不同意の職員は更迭するとの意向が示されるようになってきている。そのような状況・流れを念頭に置いて,今回の問題を考えるなら、公費を投入し、国家公務員の資格を付与している会員が国家の意向に反する意見・考えを持ったり、活動をしているなど許しがたいと思ったとして不思議はない。

  つい先日、弁護士や大学教授で構成される民間調査会『新型コロナ対応・民間臨時調査会』が、新型コロナ第一波対応の内容について調査をし,厳しい報告をし、提言を表明した。 報告書は、幅広いヒアリングと冷静かつ公正な分析と考察を加え、6つの有益な提言をしている。調査会の中心メンバーの「政府とは違う立場できちんと記録に残し、次の危機に備える必要があると検証に臨んだ」〔塩崎彰久弁護士)には、学術会議とは違う清々しさがある。

  民間の組織で、このような調査や提言ができるのなら,87万研究者の代表(?)として、国から少なからぬ財政支援を受け、特別職国家公務員の資格をいただく必要があるのだろうか。お金を出すなら口も出すのは人間の常である。お金と資格を付与されれば、自律的な姿勢も時に揺らぎ,忖度の気持ちが働きがちになることもあろう。

 任命拒否の6人及び会議の責任者の顔を目にすることがあり、気の毒で,時に悲惨であるが、「被推薦者(私)を任命すべきである」という姿勢のみが目立ち、こんな仕組みの「会議」の構成員であることを拒否する、自由で自立的な学問研究を遂行し,結果を社会に還元したり,提言したりするためには内閣府の特別機関であることを拒否しようという声が「会議」内部から出て来ないのが不思議でならない。行革の観点から「総合的・俯瞰的に」大なたを振るってもらうしかないとしたらさびしい限りである。


自制心について

2020-10-04 18:18:54 | 教育

 テニスのUSオープンで、名選手のジョコビッチ(セルビア)が、苛立ちのあまりに撃ったボールが線審の喉を直撃した。彼はスポーツマンシップに反する行為をしたということ及び、試合後の記者会見を拒否したことを理由に失格とされるとともに多額の罰金が課されたという。

  多くのスポーツにおいて、選手個々人の感情むき出しの行為や人間としての品位を汚す行為は、当然否定されているが、ことテニスに限っては、自分のプレイに対する不満や審判に対する不満を露わにして、コートにラケットを打ち付けたり,ふてくされるなどはさほど珍しいことではない。コート内で、不機嫌を隠すことのない選手を見ることも稀ではない。

  かつて、国内の女子テニス大会で、自分のミスの度に,観客がため息を漏らすのが気に入らない選手が、「黙れ!(シャラップ!)」と叫んで問題になったこともある。

 試合後のインタビューにも、一流の選手の対応としてはどうかと思えるレベルのものが少なくない。しかし、これを個性的だとか率直であるとかとして甘受する(時に,評価する)傾向もある。

 日本スポーツマンシップ協会なる組織(一般社団法人)がある。その協会の目的の記述の中に,スポーツマンシップの本質的価値として、次のような内容が書かれている。
・スポーツマンシップの普及・啓発・推進を通して、よりよき人を育み,よりよき社会づくりに挑戦していく。
・プレーヤー,ルール,審判の尊重
・苦しい試練を耐え抜き,全力を尽くして楽しむ覚悟

 多くのスポーツは、このような精神を尊重しており、逸脱行為には厳しい目を向ける。 大相撲では,勝者の大げさなポーズはタブーであり,外国人横綱の行為が問題になったことがあり、卓球でも、高校野球で同様であった。オリンピックの柔道決勝で、脚をけがした日本人選手と対戦した相手が、けがした脚を攻めることなく敗退したこと(事実は異なるらしいが)が美談として語られたこともある。スポーツマンシップは,多くの人にとってかけがえのない価値を持っており、それゆえにわれわれは,スポーツに引きつけられるのであり、その価値に反する行為には怒りを覚えるのである。

 スポーツマンシップの内容や事例についてあれこれ書いたが,すべての根底にあるのは自制心(セルフ・コントロール)である。

  このような精神は、スポーツに限らない。このところ高齢者による反社会的言動が問題になるが,老化は自制心という、幼児にも共通する、ブレーキ装置の機能不全を生み出す。また、先日のアメリカの大統領選候補者であるトランプ氏とバイデン氏の直接対決の品のなさにはあきれ果てた。自制心欠如の好例であった。文化の相違のみでは解釈できないものがある。買収などのいかがわしい行為はあるが、わが国の文化は、まだまだ捨てたものではないところもある。

 折しも日本学術会議の新会員として推薦された者のうち、首相が、六名を承認しないという事態が発生した。意見を異にする者の存在を認めないという近隣の独裁国家のような行為ではなかろうか。これは学界の事情には疎いはずの首相の単独判断というより少なからぬ人間による合議の結果ではないかと推測されるところが怖い。かくして,自制心のない裸の王様が誕生するのである。政治家たる者、世の中の過半の人間は,自分の批判勢力であると言う程度の認識が,行き過ぎを防ぐ「自制心」の原動力になるのではなかろうか。