九重自然史研究所便り

昆虫採集と観察のすすめ

関西の地震と豪雨に思う

2018-07-11 18:35:54 | 日記
関西の地震と豪雨に思う
 大阪の地震は草津市では震度4、朝起きてすぐだったので、私は寝ぼけていたのかあまり衝撃を感じず、テレビニュースでやっと大阪の事態の深刻さに気づくほど、余震も感じなかったが、妻は二度ほどあったと言う。また大阪に住む小金丸さんや妹の娘は棚のものが散乱した写真を送ってきた。それに続いて、各地に出た大雨警報も草津では何事もなく済んだ。流入する川ばかりなので琵琶湖の水位は平常時を70cm以上超えたので、大津市南郷洗堰から放水が始まった。みなさんのところはどうでしたか?地震は天災だが異常気象は温暖化の影響だと私は考えています。原始に戻れと言ってももう無理ですが・・・
静かになったところで約1ヶ月ぶりに大阪に出かけ、一泊して小金丸さんの息子さんの運転で宇治の西国十番三室戸寺と平等院に立ち寄り、草津に戻った。小金丸さんはしばらくこちらに滞在する。三室戸寺は紫陽花寺とも呼ばれ、今は蓮とともにアジサイが咲き誇っていた。平等院の建物は全体が入る構図は様々の邪魔が入り、うまく撮れないので半分だけ写した。
集中豪雨は九重町地蔵原で何度も遭遇し、一度はすぐ近くの溝のような細く深い流れがオーバーフローし、その付近の人家が被害を受け、九重自然史研究所の庭も約10cm土砂が入り、私も一時孤立し、夕方、少し小降りになった間に大分市に脱出したこともある。その時は地蔵原に通じる橋がみな流された。脱出時はいつも通る橋を通ったが、その橋もその後、杉の丸太が押し寄せ崩壊した。その後しばらくは唯一通じている遠回りの山道を研究所に行った。
地蔵原にいる時は毎晩、暴風の夜も灯火採集を続けた。なぜなら偶産蛾が飛来するのは梅雨前線や秋雨前線が張り出し停滞する時期だ。もちろん偶産蛾は豪雨が一時止むと、突然、多くの蛾が飛来する。だから誘蛾灯を毎日点灯したので、嵐の夜、倒れて幾つ高い電灯を壊したかわからない。
大分県は自然災害が多く、昆虫の調査で出かけ、がけ崩れに遭遇したことが何度もある。ずぶぬれの男が車の前に飛び出し、その先は道が崩れている、バックで引き返せと教えてくれたことなど、ぞっとした経験は何度もあり、一度は午後7時頃、手伝ってくれていた重光嬢を乗せて祖母山麓から雨の中を走り、そこを過ぎれば大分市に入る崖の裾を通って大分市の家に無事帰宅した。丁度、私が通った時間帯に大分市内の孫の顔を見に行こうと走っていた夫婦の車が、突然、崖が崩れて土砂で埋まりその夫婦が亡くなった。私は激しい豪雨を突っ切って無事帰宅したが、テレビニュースで見ると、時間的には私の車のすぐ後を走っていた車の一つが巻き込まれたようだ。また草津に移った年、耶馬渓の老舗旅館が梅雨時の豪雨で大被害を受けたが、気丈な老女将がすぐ再建し営業を再開した直後の秋、二度目の大水害で、建物がまた崩壊したという話を聞いた。いくら災害が多いと言っても同じ旅館が同じ年に二度目の大被害を受けるとは、よくよく不運な方だと同情した。
今私が住んでいる草津市は琵琶湖岸の低地で、昔は天井川ができるほど何度も水害と闘った秘められた歴史がある。今は関西を襲った豪雨の最中も警報が出ないほど平穏に過ごした。7月10日、エルシティ草津の生垣で、多分、アブラゼミと思われるセミの抜け殻を発見した。しかし未だにセミの声は聞こえない。近くのマンションは回りをケヤキの大きな木で囲まれていて、そこはクマゼミが多く、大分と同様夏はクマゼミの声で目を覚ましたが、立派なケヤキはすべて根元から切られ当分、クマゼミの根城が作れそうにない。妻は静かでよろしいと言うが、草津は昆虫が少ないことが唯一の欠点だ。写真は宇治平等院