後藤奇壹の湖國浪漫風土記・淡海鏡

~近江の國は歴史の縮図である~滋賀の知られざる郷土史を後世に伝える渾身の激白?徒然紀行アーカイブス(^o^)

園城寺余話(1)“二つの総本山”

2014年10月12日 13時00分00秒 | 浪漫回廊探訪.

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました  

 

久し振りに滋賀を題材とした話題をお届け致したいと存じます。今回から園城寺余話(おんじょうじよわ)と題しまして、シリーズで園城寺にまつわるお話を展開して参ります。 

 

まずは序章としまして、園城寺について簡単にご紹介したいと存じます。

 

 

園城寺とは勿論滋賀でも有数の古刹の名称なのですが、一般には通称である三井寺(みいでら)の名で知られています。

 

最澄(伝教大師)を開祖とする天台宗の寺院なのですが、実は天台宗には総本山(俗に民間企業で言うところの本社)が2つ存在するのです。  一般的に知られる比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)と、ここ園城寺なのです。

 

正確に申しますと延暦寺が天台宗山門派、園城寺が天台宗寺門派となり、教義のルーツは同じくするものの宗派が異なるのです。分派の経緯は全く異なりますが、浄土真宗で言うところの東/西本願寺に分かれているような感じでイメージして戴ければ良いかと存じます。

 

 

かつては延暦寺とは激しい対立関係にあり、互いの宗徒や僧兵による争いは絶えず、室町時代末期迄に大小合わせて実に50回近く焼打ちに遭っています。

 

また理由は定かではありませんが豊臣秀吉の逆鱗に触れ、寺領を没収され廃寺寸前までに追い詰められたこともあったとか。その度に奇跡の復活を遂げてきたので、不死鳥の寺とも称されていました。

 

いつも思うことなのですが・・・宗教的対立は今の時代にも形を変えて存在しますが、開祖・宗祖のただひたすら衆生を救うという崇高な教えが、なぜこうも人間の我欲剥き出しに対立の構図を生むのか不思議でなりません。

 

さらに日本三不動の1つに数えられる黄不動の寺院としても知られています。但し、原則非公開の秘仏ですので滅多にご尊顔を拝することは出来ません。小生も残りの高野山明王院の赤不動、京都・青蓮院門跡の青不動は参拝の栄華を得ることが叶いましたが、県内に在住していながら未だ黄不動にはお目に掛かれません。それ程「近くて遠い」存在なのです。

 

この秋、宗祖・智証大師生誕1200年慶讃大法会(10月18日~11月24日)が奉修され、その際期間限定(11月21日~11月23日)で国宝・金色不動明王像(黄不動尊)が公開されるのですが、それには結縁潅頂会(:けちえんかんじょうえ/出家・在家を問わず広く信者が仏縁を結ぶために潅頂壇に入り、曼荼羅の諸尊像に華を投じてその人の守り本尊を得るための密教儀式)に参加するという条件があります。しかし・・・その志納金が10,000円・・・信心のためとは申せ、平民にはかなりハードル高いです(T_T)

 

ではこの序章の最後を締め括るお話を1つ。何故園城寺のことを『三井寺』と呼ぶのか?

 

実は現在の天台寺門宗の寺院としてのスタートは平安時代中期ですが、もともとのルーツは飛鳥時代後期に大津京を造営した天智天皇の孫にあたる大友与多王(おおとものよたのおおきみ)が、父・大友皇子(弘文天皇)の菩提を弔うため、資材を投げ打って建立したものと伝えられています。

 

次回より園城寺並びにその門前にまつわるお話をぼちぼちご紹介して参ります(^^)

 

(園城寺余話、次回もお楽しみに・・・)

 

長等山 園城寺 (三井寺)

・滋賀県大津市園城寺町246

【TEL】 077-522-2238

【Web】 こちらへ



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