「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました。
初秋に掛け涼を求める旅をご案内する『湖國納涼散歩』シリーズ。
第3回目は、怪談話の定番『怪談・番町皿屋敷』に一石を投じる真説(!?)を求め、その所縁の地を訪ね歩きます。
毎度のことながらこの時期ともなりますと、やれ「怪談」だの「ホラー」だの「ミステリー」だの「心霊」だのをネタにしたTV番組やハウツー本が世間を賑わしますが・・・「もうちょっと他にネタはないもんかね」・・・いつもベタな内容に辟易します。
まぁそれはさておき、皆さん『怪談・番町皿屋敷』はよくご存知ですよね?知らない良い子のために、話の概要をお“さら”いしてみましょう!
私たちがよく耳にする「お菊の亡霊が夜な夜な1ま~い、2ま~い・・・最終的になぜか18枚も皿を数えてしまう」というお話ですが、これはこの怪談噺をベースにした『お菊の皿(または皿屋敷)』という古典落語の演目なのです。
『皿屋敷』という怪談は日本各地で伝えられており、どこが“本家本元”の話であるのかは不明ですが、概ね「番町皿屋敷 (東京説)」と「播州皿屋敷(兵庫説)」の何れかの話の流れを汲むとされています。
お話の概要としましては、
◎屋敷の主人が秘蔵する皿のセットのうち一枚を奉公人の娘が割ってしまう。
またはその娘に恨みを持つ何者かによって皿が隠されてしまう。
◎娘はその責任を問われて責め殺される。または娘が自殺する。
◎夜な夜な娘の亡霊が現れて、恨めしげに皿を数える。
◎娘の祟りによって屋敷の一家に様々な災厄が振りかかり、
やがて没落してゆく。
というものです。思い出されました?
しかしこの皿屋敷の黄金律を覆すストーリーが滋賀には伝えられているのです。それが彦根にある長久寺(ちょうきゅうじ)のお菊伝説なのです。
以下は長久寺の檀家の皆様ご協力のもと、ご提供頂いた資料を参考に記述いたします。
時は寛文4(1664)年、彦根藩3代当主・井伊直澄(いいなおずみ)の御代。井伊家で旗奉行を務める重臣・孕石(はらみいし)家には政之進という世継ぎがおり、孕石家に仕える侍女“お菊”とは相思相愛の仲であった。
しかし政之進には亡き両親が取り決めた許嫁がおり、また後見人である叔母が結婚をせき立てるため、足軽の出で身分の異なるお菊は心中穏やかではなかった。
お菊は思案余って政之進の本心を確かめようと、孕石家に代々伝わる家宝の「白磁浜紋様皿10枚」のうちの1枚を故意に割ってしまった。
最初は単なる過失であると思い強く咎めなかった政之進であったが、お菊を糾問するうちにその真相を知り、自分の心を疑われたことを大層口惜しがった。政之進はお菊の面前で、残りの皿9枚を刀の柄頭(つかがしら)で打ち割り、お菊に対する自分の誠の心をかかる仕打ちで試そうとした心根に憤激し、武士の意地が立たぬとその場でお菊を手討ちにした。
その後、政之進はお菊を殺害してしまったことを後悔して出家し供養の旅を生涯続けるが、駿河で寂しく亡くなり孕石家(本家)は断絶した。
如何ですか?全く違うお話でしょ?この伝説は1916(大正5)年、岡本綺堂によって戯曲(演劇上演のために執筆された脚本)化され、1963(昭和38)年には市川雷蔵主演により『手討』というタイトルで映画化されました。
実はこのお話には“後日談” があります。
手討ちにされたお菊の遺体と割られた皿は実家に引き渡されます。悲運の死を遂げた娘を哀れに思い、お菊の母親が割れた皿を継ぎ合わせて、橋向町(彦根市)にあった長久寺の末寺“養春院”に奉納しました。
その後明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく/仏教寺院・仏像・経巻を破毀し僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃する運動)により養春院が廃寺となったため、止む無く長久寺に移されることとなったのです。
現在でもそのお菊の皿は長久寺(彦根市後三条町)に安置されており、毎年8月9日の「千日法会」と8月10日の「地蔵会」の2日に限り、一般に公開されています。
なお当初は9枚あったのですが、大正期に行われた市内での展示で3枚を紛失し、現存するのは6枚だけとのことです。また国内各地の「お菊伝説」の中でも、“皿”が現存するのはここが唯一なのだそうです。
ちなみにこのお菊の皿こと、孕石家の家宝であった白磁浜紋様皿。
これには確固たる由来がありまして、もともとは彦根藩の初代藩主である井伊直政が、関ヶ原合戦での戦功により徳川家康から拝領したものなのです。
その後、大坂夏の陣で戦死した政之進の祖父である“孕石源右衛門泰時”の武功を称え、2代藩主・井伊直孝から孕石家に与えられた由緒正しきアイテムなのです。
またお菊の墓も長久寺に安置されています。荒廃していた養春院跡から長久寺の無縁塔へ移され、同じく毎年「千日法会」の際に供養が行われています。かれこれもう350年程前に造られた墓石ですが、お菊の法名である「江月妙心」が今でもハッキリと読み取れます。
さらにこの事件に接し、彦根藩の彦根屋敷並びに江戸の三屋敷に務める292人の奥方女中が法要を営んだという記録である「奥方供養寄進帳」も長久寺に安置されています(こちらは非公開)。
これらの話をまとめますと、冒頭私はお菊“伝説”と申し上げましたが、どうやら「史実」の可能性が非常に高いと感じます。この“悲恋物語”は事件当時、特に江戸の街で支持されたとも伝えられていますので、これを元ネタとして“怪談・番町皿屋敷”が生まれたのかも知れませんね。
2009年3月に放送されたテレビ東京系番組『新説!?日本ミステリー』の中で紹介された際には一躍注目を集めましたが、現在はお菊の心根に共感した女性がちらほら参拝に訪れる程度と聞きます。かつて大河ドラマ『龍馬伝』で一躍世の女性達の共感を呼んだ清運寺(山梨県甲府市)にある千葉佐那(ちばさな)の墓は、番組終了と共にまるで水を打ったかの如く静まり返ってしまいました。“流行り廃れ”に乗っかった参拝は、願わくはご遠慮いただきたいものです。
今回長久寺の檀家の皆様には全面的に取材へのご協力を賜りました。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。
◆長久寺
滋賀県彦根市後三条町59
TEL.0749-22-0914
※写真撮影は取材にて特別に許可されたものですので予めご了承ください。
★本家「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」にも是非お越しください!
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