今日は父の日でしたね。
私の父は履き物商でした。律儀な父の作った履き物を
職人さんが褒めてくれたそうです。
私は父の48歳の子で溺愛してくれました。もう戦争の影響で
物資が少なくなっていた頃、新し屋 というモダンな店で可愛い
毛皮が首に付いているコートを買ってくれました。
お店のご主人や店員さんが、べっぴんさん!と言ってくれて得意になって
帰ってきました。母がそれを見て、なんて贅沢なッと怒りました。
もし返すなんて言ったら~私は脱がないでいました。
両親の喧嘩が収って私はほっとしました。
兄が出征の家族写真に私の可愛いコート姿が残っています。
父は61歳で亡くなりました。東京医科歯科大学に入退院の後
自宅でなくなりました。あの頃医科歯科大学の若い先生が
往診してくださいました。青柳先生でしたあの頃流行の青い背広を
お召しの素敵な先生でした。
父は兄が戦争から帰ってきて、店の跡継ぎになりました。安心して
亡くなったと思います。
冷蔵庫でしぼんでいた人参を瓶に入れて根が出て,地植えしました。
花が咲きました。
大好きな水引、
金冠、金環と間違えていました。買った時は結構な御値段でした。
浮き雲錦。
パートナーを待つひよさん。
私の父も61歳で亡くなりました。
末期癌と宣告された中で
四人姉兄の末っ子だった私の結婚式に出席し
一人娘のお宮参りにも一緒に行きました
大学を卒業したばかりの主人でしたが
彼の真摯さに、お前は幸せ者だと目を細め
胃を全摘していたにも関わらず、主人と乾杯をした時の
あの嬉しそうな顔を今でも思い出します
今日は父の日でしたね。
何もなかったけど
嫁さんが僕の大好きなスープカレーを
作ってくれたのがとっても嬉しかったです
特に自分にはとても厳しくそれでいて他の人には
義侠心の強い大正の男でした。
私達姉妹には、身に着いた教養は死ぬまで
お前たちの物。一生の宝だから、出来る限り教養を積みなさいと言ってくれました。
妹は東京の大学。私は家を継ぐ子だから
家から通える大学でした。
手元に置いておきたったようです。
父を偲ぶことができました。感謝。
お父さまは,あなたの結婚式に出席し、
お孫さんのお宮参りにもご一緒され、
あなたのご主人様とも病にもかかわらず。乾杯できて、お幸せでしたね。
素敵なお父様でしたのね。
父の日に奥さまがスープカレーを作って下さって、
おしあわせでしたね。
きっととても美味しかったことでしょう。
お父さま,厳格でもお二人のお嬢様への愛情が
かんじられますね。
素晴しいお父さまでお幸せなおばさんさまです。