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続々強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

本の整理

2025-04-02 18:32:11 | 哀しい想い出

少しずつ本を整理しないとと思いながら、捗りません。

今日は、と決心していながら、 戦中戦後の暮らしの記録 (暮しの手帖社)を

読み始めてしまいました。

その中に、パンを持って帰れる日 と言う事をお父さまの書いた物を

お嬢さんが投稿していました。

私も同じような事がありました。給食のごそごそしたパンを食べるのが辛くて

みんなが帰っても食べられなくて、泣いていました。6年生が掃除に来ても

椅子に座って泣いていました。こいつまた泣いているぞ~

こいつ H の妹だぞ。姉は強くて男の子とも喧嘩していました。

早く終わらせたい六年生は早く帰れよ、とパンをランドセルに入れさせてくれました。

毎回も叱られながらパンをランドセルに入れて、

家に帰ると隣のトシ坊が たち~(菓子)と喜びます。

トシの坊喜ぶ顔を見たさにパンを残していました。

空襲のある日はパンを家に持って行って良いので、嬉しかったです。

投稿した方のお父さまは病気の妹さんに空襲の時は持って帰れて嬉しかったそうです。

同じような思いをなさったのですね。

妹さんはお元気でしょうか。隣のトシ坊は、大空襲の時私たちと一緒に

お母さんに背負われて避難して無事でした。

トシ坊 。いまは美味しいお菓子が沢山あって良かったね。

 

 

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強子さま (tibineko)
2025-04-02 20:28:50
今日のお話を読ませていただいて
気が付いたら涙が出てしまいました
空襲・・・
私には全くわからない、本や映画などでしか知らない恐怖

そして隣のトシ坊さんの事
パンを手にしたときの嬉しい顔が見えるようで
強子様の優しさと共に、またしても涙がこぼれました

好きなものを毎日当たり前に食べることができる幸せ
それは・・沢山の方たちの命と引き換えに与えられた平和
今日のブログを読ませていただきながら
その事の意味を、今一度心に嚙み締めさせていただきました
返信する
Unknown (dearmadonna)
2025-04-03 08:27:33
戦中戦後の暮らしの記録
お宝ですね〜☆〜(ゝ。∂)

未来に遺したい日本の宝💎
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Unknown (necydalis_major)
2025-04-03 08:49:39
だんちょう

こんにちは!
本の整理ですか。
大変ですよね。
本もたくさんあるとかなりの
重さですからね。
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胸が熱く (おばさん)
2025-04-03 22:14:48
本当に涙があふれて胸が熱くなりました。
戦争を知らない私でも当時の様子がありありと。
次世代にも伝えたいお話だと思いました。
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今日は (続々強子の部屋)
2025-04-04 16:47:18
tibinekoさま
パンはほんの少しかじって後は、泣き戦術でした。
6年生のお兄さん達もあきれて許してくれました。
トシ坊は可愛くて、私のことがだいすきでした。
たち~と嬉しそうな顔を見たくて嘘泣きしました。
戦争に負けて、一層食量難になりました。
トシ坊、良子ちゃん、長男のちゃんちゃん、お母さんはお父さんの里に帰りましたが。お父さんは、ハルピンで戦死たそうです。おばさんと三人は無事生き抜いたかしら。と思い出します。
夫が鴨川の亀田病院に入院した特、電話帳で名前を調べましたが、駄目でした。
いまだからもういいですね。
三人の名前。亀田貞雄、良子、としお、ちゃんです。
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こんにちは (続々強子の部屋)
2025-04-04 16:55:00
だんちょう様
本を整理しようと思って、読み始めて
未だ取っておこう。と言う事になります。

夫の本は大分片付きました。
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こんにちは (続々強子の部屋)
2025-04-04 17:02:38
dearmadonnaさま
コメント有難うござます。
あなた様がそう言ってくださったので、
これは手放さず大切にします。
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こんにちは (続々強子の部屋)
2025-04-04 17:12:19
おばさん様
戦争で戦っている兵士達が、餓死すると言う事を
知りました。みんなくるしんだんですね。
戦争は駄目だ、と言っても。自分の国が
なくなってしまうという苦しみ・・・
簡単に戦争はなくなりませんね。辛い事です。
長兄はニューギニア、サンサポール、北岸作戦で戦死しました。1945.3.29です。
返信する
お願い (onecat01)
2025-04-09 18:24:43
 続々強子の部屋様

 貴方はいったい、どんな方なのでしょう。

 日本が戦争に負けて、母に背負われ満州から引き揚げて来た時、私は3歳でしたから、恐ろしい戦争の記憶はありません。

 たくさんの大人たちと貨車に乗って移動したこと、突然降り出した雨から誰かが私に毛布を被せ、ら荷物の間に押し込んでくれたことなど、断片的な記憶があるだけです。

 入港したのが舞鶴でなく博多港だったこと、港の沖合で母と二人デッキから海を眺めました。

 母が口に含んでいた梅干しの種を海に飛ばし、青く澄んだ海に種が沈んで行ったこと・・・微かな微かな記憶があるだけです。

 貴方のお話を聞いていますと、母の苦労や捕虜となってシベリアにいた父のことを思い出し、親たちの苦労を教えられます。

 憎しみも恨みもなく、戦争という事実を思い出します。

 いつまでもお元気で、昔のことを書いてください。いつも読ませていただいています。
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こんにちは (続々強子の部屋)
2025-04-10 17:23:10
onecat01様
よくご無事で帰国なさいましたね。
お父さまもシベリアから帰国なさったのですね。
藤原ていさんの 流れる星は生きている を読んで
胸が熱くなった私ですが、onecat01様のお母さまもご苦労なさったのですね。
藤原ていさんは無事帰国しても、長い間元の身体に戻るのがのが大変だったそうです。
onecat01様のお母さまも帰国してまたご苦労なさったでしょうね。
近所のお茶屋さんのおじさんは、無事復員しても。
虚脱状態で、お店にじっと座ってニコニコしていました。お母さんと奥さんがお店を取り仕切っていました。小さな坊やがお父さんの傍に座っていました。
お茶は他の店で買いません。いつも私が買いに行っていました。
みんな南方呆けとか腑抜けと言っていました。
無事復員しても、このような人がいるのですね。
みんな忘れて幸せだったのでしょうか。
onecat01様もお元気でブログを書いてください。
私も頑張ります。
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