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続々強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

80年前の出来事

2025-03-10 16:29:46 | 怖かった

80年前我が家は江戸川松川に住んでいました。

昭和20年3月9日から10日にかけての大空襲は怖ろしかったです。

家の縁の下の防空壕にいた私は起こされて寝ぼけ眼で外を見たら

大きな火の塊が飛んでいました。父と姉が火を消していましたが

もう駄目だ逃げようと父はリヤカーに摘んだ荷物を、次姉は自転車に

荷物を載せました、私は前日に防空壕に入るとき足を傷めてしまい

母に背負われました。すぐ上の姉は隣の三人の子の真ん中の良子ちゃんを

負んぶしました。隣の達のお父さんは出征しています。

我が家6人総勢10人で避難しました。

神社の境内にある防空壕にみんなで入っていましたが、熱くなってきました。

外に出て近くの橋を渡って吃驚!向こうからみんながこちらに向かってきます。

沢山の人です。怖かったのは馬がぱかぱか行ったり来たりして怖かったです。

そのまま人のながれのまま川下に逃げました。

橋がありました。みんなの流れで橋を渡りました。欄干が燃えていました。

橋を渡りました。土地の警防団の人が、学校に案内してくれました。

私たちが渡り終わった後、橋は燃え落ちたそうです。

そこが船堀とわかった母は従姉が嫁いた家を思い出し警防団の人に話し

おじさんが迎えに来てくれました。

総勢10人がおせわになりました。

隣おばさんと三人の子サダオちゃん、良子ちゃん、トシ坊は房総のおじさんの

実家に行きました。どうしているでしょう。可愛い子達でした。

我が家は焼け残った家を借りて住みました。そこで今度は艦載機という

怖い飛行機に狙われました。

夜、父がリヤカーに荷物を積んで焼け跡に避難しました。

飛行機から油のような物が投下されて、何だろうと思いました。

山の手の空襲だったそうです。

そして夏になり、戦争は負けで終わりました。

父が息子二人はどうなるんだと、心配していました。

長兄はニューギニアサンサポールで戦死、次兄は横須賀から復員。

それからの食糧難は凄まじいものでした。父とは母は苦労しました。

みんな辛い思いをしました。

いまも戦争で食べ物がなくて苦労している人がたくさんいます。

日本も何時かそんな時がくるかも知れないです。

しっかリ心構えをしないと土地も水も取られてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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心臓の超音波でした

2024-02-15 22:08:30 | 怖かった

昨日は心臓の超音波でした。

入院の説明!お薬のこと沢山の説明で11年前はこんな沢山

説明されたのかな~と思いました。

今回はバスタオル、フェイスタオルも貸してくださるそうで

助かります。11年前は病院着を借りました。

20日には麻酔麻酔の先生の説明です。いよいよ手術が迫ってきました。

今日はパーマ、カラーリングをしました。

明日は近所の人に入院の話をします。

病院着を借りるのが嫌だ、と言う人がいました。お家で洗濯してくれる

人がいる人は良いですが、家族が入院したらみんな忙しくなります。

病院着を借りると助かります。

以前新劇の大女優さんが入院して、キリッとした浴衣姿が素敵だった

と言った人がいました。囚人服のような病院着は嫌だ・・・なんて。

お世話してくれる人がいる方は良いでしょうが、一家で一人入院したら

みんな忙しくなります。そんなことを言っている余裕はありません。

病院着は私のような庶民には有り難がたいです。

と言うわけで病院着、バスタオル、フェイスタオルも借りることにしました。

いよいよ手術日が迫ってきました。

 

 

 

 

 

 

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熊の話

2023-11-30 16:34:57 | 怖かった

以前、吉村昭さんの 羆嵐 と言う本を読みました。

怖ろしくて身震いをしながら読みました。

ゼネコン勤務の次男が岩手県で仕事をしているとき、渓流釣りの

楽しさを話していました。熊にはくれぐれも気を付けなさいよ。

と言っていました、会社では熊の鈴を持つように言われているそうです。

帰省してきたとき、孫がおばあちゃん僕熊をみたんだ、と得意そうに

言ったので、吃驚!なに~ッと怒鳴りました。

息子がおばあちゃんには内緒だと言っただろ。と言いました。

孫は訳も分からず川の向こうを歩いていたよ~

怒る私、しょんぼりする孫と次男。

その次男が九州に転勤することになりました。

九州には熊がいないから安心してくれ~ですって。

でも九州で熊を見かけた情報がありましたが、

猪の間違いだったそうです。

熊は餌がある人間の場所を覚えてしまったのですね。

山に帰しても、人里の味を覚えてしまったら、駆除するしか

ないのだそうです。

可哀想だと言っていられません。

昨夜も熊の事をTVでみました。大けがをした方のお話しは

怖ろしいことでした。

我が家の近くの印旛沼では、タクシーのドライバーが

子連れのイノシシやハクビシンをを見たそうです。

なんだか怖くなってきました。

 

 

 

 

 

 

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大雨でした。

2023-09-09 22:10:33 | 怖かった

昨日は随分雨が降りました。窓から外を見ても

雨で景色が見えませんでした。

怖かったです。竜巻の予報も出ました。シャッターを閉めて

TVの画面ばかり見ていました。

水曜日にヤクルトさんが来て明日は大雨の予報なので今日に

しましたと。一日早く届けに来ました。

木曜日は何のこともない日でしたが、昨日は大変な日でした。

東京の大雨を見て、吃驚、千葉、房総も大変な事になりました。

被害に遭った方お見舞い申しあげます。

今日は整形外科の診察,注射、お薬を頂く日です。冠水している所も

あるらしいので、考えていたら、友人が、今日行く、と連絡してきました。

では私もと出掛けました。車が混んでいました。冠水した道路を

避けてきた車でとても混雑していました。

先生に注射、診察、していただいてお薬をいただきリハビリをして帰ってきました。

友人は悩んでいた手術を決心して先生とお話ししたそうです。

良かった!

ほっとしてタクシーに乗りました、また混雑です。

冠水した道路の入り口には、警備の人がいました。

やっぱり大変なんだと思いました。

田んぼは、水が溜まっていました。行きには気が付きませんでしたが

車が一台田んぼに落ちていました。

四年前には田んぼに七台も浮かんでいました大変な災害で、

停電も長く続きました。倒木のため大変は工事になったそうです。

稲刈りが終わっていたので、良かったと思いました。

今年も稲刈りが終わっていたのでほっとしました。

十年以上この田んぼを見ながら整形に行くので、

田おこし、田植え、稲刈りを見て、季節を感じています。

こちらはほっとしていますが、他の所はどうなっているのでしょうか。

気になります。沢山お米が穫れますよう祈りました。

やっぱりお米が沢山穫れる年でありたいです。

網戸越しですが、ボロボロに総毛立ったようなヒヨドリが来ました。

傍の槇の実を食べています。病気でしょうか。

元気なヤモちゃんです。

可愛いチーバくん玄関で頑張っています。

私と同じ日の丸好きです。

 

 

 

 

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忘れられない日

2023-03-09 18:07:50 | 怖かった

3月10日は東京大空襲の日です。

両親、姉三人私、とお隣の小さな兄弟妹と小母さん、

合計10人で避難しました。

父と姉は最後まで火を消していました。もう駄目だと父が

荷物をリヤカーに積んで近くの神社の防空壕に行きました。

誰もいません。そのうち熱くなってきました、

熱い熱いと私がさわいで、外に出ました。近くの橋を渡りました。

すると前方から大勢の人がこちらに向かってきました。

私たちは江戸川区、亀戸方面からみんな逃げてきています。

布団を被った人がいたので吃驚しました。

そして馬がパカパカと走り回っています。

馬が怖くて建物の影に隠れました。

もう後には戻れず川伝いを大勢の人と逃げました。

橋があってその橋を渡りましたが、風が強くて怖かったです。

橋の欄干が燃えていました。

渡り終えたところに警防団の人がいて、学校に案内してくれました。

そこで母はここが船堀と分かったそうです。

母の従姉の家の屋号を言って、伯父さんが迎えに来てくれました。

その後船堀橋は焼け落ちて、沢山の人が亡くなったそうです。

 

隣の小さな子達は房総の小母さんの実家に行きました。

サダオちゃん、良子ちゃん、トシ坊、いまどうしているかしら。

思い出します。三人とも可愛かった。

我が家は焼け残った家を借りて住みましたが、そこでも空襲空襲。

リヤカーに荷物を積んで、焼けた空き地に避難しました。

東京山の手空襲だったそうです。空が明るくなって飛行機から

ばらばらと何かが落ちています。

空が明るくなって怖かったです。

そして敗戦、ラジオを聞いて大人が泣きました。赤ちゃんは大人が

泣いているので、一緒に泣いていました。

母が父にこれ以上空襲が続いたらみんな気が狂ってしまったね、

と言いました。

私は当事7歳、前の日に防空壕の入り口で転んで足首を傷め

恥ずかしながら母に背負われて避難しました。

 

隣のサダオちゃんは歩きました。良子ちゃんは姉がおんぶしました

トシ坊は小母さんがおんぶでした。

東京大空襲の話になると私に、

姉はおんぶされていたくせに・・・と言って嫌みを言います。

その姉ももう両親の元へ旅立ちました。

 

 

 

 

 

 

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