1970年の万博は義兄が岡山にいたので、ゆく予定でした。
けれど息子二人が水疱瘡になって、中止になりました。
凄い混雑らしいので5歳と3歳の子を連れては無理だったかもしれません
母は町内会の婦人部か敬老会かどちらかで,行くことになっていました。
暑い盛りだったので洋服にするというので、当時はアッパッパと言われていた
ゆったりしたワンピースにするというのです。
2着作ってほしいと言われて作りました。作りました襟ぐりが
広すぎるなんて言っていましたがそれを着ていったようです。
靴なんか履いたことがないので、草履と足袋だったのかもしれません。
孫が行けなくて可哀そうと言って、たくさんのお土産を買ってきてくれました。
帽子やバッジ、今も残っている母がトッケーというお守りを買ってきて、
これは邪気を払うのだから大事にしなさい、と言いました。
いまでも飾り棚におさまっています。55年もしっかり我が家を
守ってくれています。北欧の物のような気がします。
私がすぐ整理してしまうので、息子にこれはお守りだからね。と念押ししていました。
帰ってきたとき、もっとどのような様子か聴いておけばよかったと今は思います。
婦人会で温泉に行ったことや、皇居のお掃除のことなど、もっと聴いておけばと
思います、1900年生まれ。すごいな~
二番目の孫が2000年生まれで不思議な気持ちです。
母のお土産トッケイ?トケイ?