1970年の万博は義兄が岡山にいたので、ゆく予定でした。
けれど息子二人が水疱瘡になって、中止になりました。
凄い混雑らしいので5歳と3歳の子を連れては無理だったかもしれません
母は町内会の婦人部か敬老会かどちらかで,行くことになっていました。
暑い盛りだったので洋服にするというので、当時はアッパッパと言われていた
ゆったりしたワンピースにするというのです。
2着作ってほしいと言われて作りました。作りました襟ぐりが
広すぎるなんて言っていましたがそれを着ていったようです。
靴なんか履いたことがないので、草履と足袋だったのかもしれません。
孫が行けなくて可哀そうと言って、たくさんのお土産を買ってきてくれました。
帽子やバッジ、今も残っている母がトッケーというお守りを買ってきて、
これは邪気を払うのだから大事にしなさい、と言いました。
いまでも飾り棚におさまっています。55年もしっかり我が家を
守ってくれています。北欧の物のような気がします。
私がすぐ整理してしまうので、息子にこれはお守りだからね。と念押ししていました。
帰ってきたとき、もっとどのような様子か聴いておけばよかったと今は思います。
婦人会で温泉に行ったことや、皇居のお掃除のことなど、もっと聴いておけばと
思います、1900年生まれ。すごいな~
二番目の孫が2000年生まれで不思議な気持ちです。
母のお土産トッケイ?トケイ?
改めて数字で伝えられると、本当に凄いですね
万博もまずまず盛況のようで、開催国としては良かったと思います😊
そんなに遠方に住んでいるわけではありませんが
おそらく行くことはないでしょう
だから、せめて大阪の関係者さんたちにエールを送りたいです。
岡本太郎氏の太陽の塔が有名でしたね。携帯電話が登場したのも、この頃だったと何かの本で読みました。
制服姿のかっこいい女性ガイドたちが、ショルダーバックのように肩からかけて使い、何キログラムから忘れましたが、今から考えますととても携帯電話とは言えませんでした。
それでも当時は、ハイカラだったのですから、時の流れを感じさせられます。
私当時山口県の支店i勤務し、高度成長時代の真っ盛りでしたから、月月火水木金金と海軍並みの忙しさでしたから、万博どころではありませんでした。
お土産トッケイは初めて聞きますが、お母様のアッパッパは懐かしい言葉ですね。
また、お話を聞かせてください。
おはようございます。
トケイのトッケイかわいいですね。
70年の万博は、
三波晴夫さんの歌がにぎやかで楽しかったです。
母にもっと話を聴いておけばと
今になって思います。
あの頃はみんな忙しく働いていましたね。
山口県にいらっしたのですね。
あの暑さで万博に母が行ったことが不思議です。
引率の町内会の役員さん、旅行会社の人、大変だったでしょう。
母は疲れも見せず。楽しそうな顔で報告に来てくれました。みんなウキウキしてたような気がします。
トッケイ多分北欧のものかもしれません。
55年たっても色落ちもせず綺麗です。
不思議な守り神です。