大阪府高齢者大学校 2013年度 考古学研究科

2013年度考古学研究科がスタートしました。
この一年を、楽しい学習の場にしていきましょう。

Only one の青銅鏡

2013年12月11日 | 日記
 我が考古学研究科では、9月~10月にかけて自らがデザインした自分だけの青銅鏡を作る作業が行われました。
 青銅鏡とは何なのか?まずその歴史からご紹介したいと思います。
 中国における青銅鏡の初現は、新石器時代(紀元前19世紀頃)に逆上ります。黄河流域で発達した斉家文化期から。中原においては商時代の後期(前14世紀~前11世紀)になって当時の都安陽殷墟で確認されています。
 その後、西周時代(前11世紀~前770)になると各地で散見、数も増加していますが、文様は単純で周緑調整も粗雑で薄く未発達な段階であったそうです。春秋戦国時代の後期頃から、ようやく鏡体、文様ともに出来の良い青銅鏡が製作され、東の斉、西の奏、南の楚、東北の燕を合わせた7国の力が強大になるに従い、時期と地域により異なった発達を遂げていくようになりました。
 青銅鏡は商周青銅彝器(祭祀、儀式用の器)と並んで中国を代表する金属工芸品です。日本においても邪馬台国女王卑弥呼が魏に遣使し100枚の鏡が下された話は有名ですが、弥生時代になって輸入され、その模倣を繰り返しながら大量に製作され、青銅工芸の中心的な役割を果たしました。
 その背景には、古代においてそれが単に姿見として自分の顔を映すだけでなく、人の心をも映し出し、邪悪なものの正体を暴く呪術力を備えもつと考えられたことは、神社のご神体として祀られる所以もそこにあったと考えられます。
 
 さて、実際の青銅鏡作りですが、9月半ばに鋳型製作から始まりました。細かい砂を型に詰め込み炭酸ガスで固めていくのです。ガスの圧力が弱いと型がくずれてしまいます。


 10月初め、いよいよ自分でイメージしたデザインを砂型に掘っていくのですが、それぞれの個性があふれた作品が並びました。このデザインが決まるためには長い道のりがありました。

 4月から古墳をめぐり、博物館、歴史資料館、埋蔵文化センターを何度も訪れ、地域的には大阪、京都、奈良、東京、韓国(希望者のみ)と回りました。その都度、植田先生の実物を前にしての講義は、古代人の生活を知る上で貴重な学習時間となりました。
 
 10月半ば、一番のクライマックスです!! 近江金属製作所で800度以上に熱せられた青銅を流し込む作業を見守りました。炎は青く火柱を上げ、火花を散らしながら注がれていくのです。


 目を皿のようにして見る心の内は、個人ではけっして経験できないこの場の感動とともに自分が掘ったデザイン通りの青銅鏡ができるのかという期待と不安でしょうか。それから1時間あまり、金属が冷めるのを待って型から出されました。表に並べられた自分たちの青銅鏡。記念にカメラにおさめた人も多くいました。

 しかし、これで終わりではありません。ここから自分の顔が映るまで研く作業が残っています。金属ブラシで汚れを落とし、100~2000番のサンドペーパーでていねいに研いていくのです。どんな風に研けるかは自分しだいです。最後に金属研き(ピカール)で仕上げます。10cmの自分だけの青銅鏡の完成です。
古代の人はもっと大きな青銅鏡を表の模様も含めて、どんな技術と努力をもって研いていたのでしょうか。そんなことに思いを馳せる作業でした。

 この自分だけの青銅鏡は文化祭で展示されます。中には2つ作った人もいますので、ぜひ、高大の皆様に見に来てもらえたらと期待しています。


(1班 U・T )



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