大阪府高齢者大学校 2013年度 考古学研究科

2013年度考古学研究科がスタートしました。
この一年を、楽しい学習の場にしていきましょう。

校外学習:御香宮神社・刻石拓本実習

2013年10月06日 | 日記
平成25年9月26日(木)御香宮神社で刻石拓本の実習を行いました

                 
表門は旧伏見城大手門         中国の二十四孝蟇股を見上げる
                           ことができます。
 
 御香宮神社は、近鉄桃山御陵駅から徒歩で7分程度の所にあり、京都市伏見区にある神社です。神功皇后を主祭神とし仲哀・応神天皇の他6神が祀られ、安産の神として信仰を集めている神社です。
 その境内に歌碑や道標、伏見城から移設された刻印のある石等が点在しています。
 拓本はこれらの文化財の拓本を神社の了解を得てとらせていただきました。


拓本の取り方

○材料  紙(画仙紙)、たわし、タンポ(上質の布団綿を布でくるみ、糸で縛ったもの。布は着物の裏に使ったもみ)、綿、タオル等、油墨(ひまし油、オリーブ油、油煙、布団綿、ガーゼ)

○拓本の取り方

            
            
                     

①乾いたたわしで刻印(石碑)の表面のほこり・汚れをとる。
②刻印の表面にきりふきで水をうつ。
③画仙紙(表を上にして)拓本をとりたい面にはる。
④少量の水糊をまぜた水を吹きつける。  
⑤余分な水分を綿ですい取り、文字や図の凸面に紙をしっかり押し込む。 
⑥タンポにたっぷり油墨をつけ、もうひとつのタンポにしっかりこすりつける。
⑦紙が半乾きになったら墨を打っていく。墨をつけたタンポで画仙紙の端からむらのないようにやさしく打つ。碑面を汚さないように周囲を残しておく。
⑧画仙紙をはがし、新聞紙の上に広げて乾かす。完成。
⑨秋晴れの好天気でありましたが、台風20号の影響で強い風が吹き、貼りつけた紙をはがしてしまいます。やむを得ず、小さい紙で、3枚1組でとることにしました。


                             
この神社には、宮司さんが蒐集された       太閤さんの瓦。伏見城の金箔瓦。
中世の瓦が保存されています。     


                
午後 明治天皇陵・昭憲皇太后陵に参       伏見城の石垣に使用された石。  
拝。ここは、伏見城があったそうです。        参道の脇にありました。
巨椋池・宇治川を見下ろす展望のよい
丘陵です。

                              
伏見銀座跡 銀座発祥の地江戸時代の      見学のしめくくりは、なんといっても
はじめに家康によって初めて銀座がお       伏見の原酒。おいしかったあ~~~    
かれたところ。今は商店街。柿が並ん
でいた。
(2班 K・T)



東京校外学習で東京国立博物館へ

2013年10月04日 | 日記
9月11日~9月12日

 午前8時30分新大阪3階千成ひょうたん前で集合し、9時13分発で東京へむかいました。
 一日目の予定が東京国立博物館・国立科学博物館となっているので、私達の馴染み深い京都国立博物館・奈良国立博物館とどう違うのかが楽しみで思いを馳せていました。


☆東京国立博物館は明治5年(1872)の創立で、日本で最も長い歴史をもつ博物館で所蔵品は約11万3000件(うち国宝87件、重要文化財631件)で質・量ともに日本一のコレクションです。

正門を入ると、正面にひときわ大きく威風堂々とした東洋風建築の本館と左には、ネオ・バロック様式の表慶館が美しい対照をみせていた。他に平成館・東洋館・法隆寺宝物館・資料館等があり、私達は法隆寺宝物館から見学しました。
法隆寺宝物館は明治11年(1878)に奈良法隆寺から皇室に献納され、戦後、国に移管された宝物300件あまりを収蔵、展示しています。
これらの文化財は、正倉院宝物と双璧をなす古代美術のコレクションとして高い評価を受けていますが正倉院宝物が8世紀の作品が中心であるのに対してそれよりも一時代古い7世紀の宝物が数多く含まれていることが大きな特色とされています。
入ってすぐに天井からは寺院の仏堂内や境内を飾る荘厳具の「金銅灌頂幡」が懸けられていた、長さが約510センチもあり非常に大きなものでその豪華さにびっくりした。私が興味を惹いたのは、釈迦が摩耶夫人の右わきの下から生まれたという仏伝に基づく像で「摩耶夫人及び天人像」です。像高16.5センチの小さいものです。
 また国宝に指定されている聖徳太子愛用品との伝承のある「金銅墨床・金銅水注・金銅匙」今でいう文房具セットですが目をひくものでした。仏像の好きな方は小型ではありますが沢山の展示がありますので一見の価値はあるとおもいます。

    

東洋館は中国、朝鮮半島、東南アジア、インド、西アジア、エジプトなどの美術工芸、考古遺物を展示しています。
   

☆本館・平成館
縄文時代の縄文とは?の由来の歴史展示物があり目をうばわれました。
明治時代に東京大学が作られると、外国人の学者を雇って日本人学生に近代的な学問を教えました。そうした外国人学者の中に、エドワード・シルベスター・モースという動物学を専門とするアメリカ人の学者がいました。彼は、明治10年(1877)に東京都大森貝塚を発掘調査し、その調査報告書(英文)を刊行します。これは日本における最初の科学的な発掘調査といわれています。彼はその報告書の中で、大森貝塚から発見された土器に縄目模様があることから「cord marked pottery」と名付けました。これを後に日本人の学者がいろいろと日本語に訳しますが、その中で白井光太郎という学者が「縄紋」と訳しました。この名称が定着し、後に「縄文」と書かれるようになりました。
私達はなにげなく「縄文」と言っている事も歴史が有るのだと思い知らされた。
平成館に行くと考古展示になり、先生が言われているように、教科書に載っているものが多くありました。
国宝の「埴輪武装男子立像」群馬県太田市飯塚出土 「袈裟襷文銅鐸」 伝讃岐国出土他土偶、鏡、等も縄文時代、弥生時代、古墳時代~ と順序よく展示され沢山の宝物が見学出来てよかった。また機会があれば是非もう一度訪れてみたいと思っています。

    

☆国立科学博物館 <人類と自然の共存をめざして>
一番興味を惹かれたのは、人類進化の中で身長90センチ程の人類がいたとされその復元されたものが展示されているのを見てびっくりし、驚いた。その名は「ホビット」と呼ばれている。
 

☆江戸東京博物館
 当時と同じ材質、実寸大で半分の長さに作られた日本橋を渡る。今見ても立派な橋だ。その後、武士や町人の生活を描いた江戸名所図屏風や江戸城、武家屋敷、町の模型、そして浮世絵の出来あがる過程等々興味深いものがたくさんあったが、中でも、江戸城下町の上水道設備が素晴らしかった。
 当時、江戸の町は少し掘ると海水しか出てこなかったため、上水道設備が必要だった。多摩川、神田川の水を木の水道管やおけを地中に埋め、傾斜をつけることにより高低差20~30mの江戸の町、延べ120Kmにわたりうるおしていた。この設備は明治の中ごろまで使われていたらしい。
 又、関東平野は大阪平野とよくにたなりたちの沖積平野で、河内湖と奥東京湾や古鬼怒湾、古淀川と古東京川のように対比できる。

    

☆東京大学総合研究博物館
 宇宙資源についての特別展示をみた。
  
☆明治大学博物館
 岩宿遺跡の出土品が韓国に出張中だったのは残念だった。岩宿遺跡の発見により、戦前まで日本にはないと思われていた1万年以上前の旧石器時代人の存在がわかった。
 次に、「ギロチン」や「ニュールンベルグの鉄の処女」等の色々な刑事関係資料や埴輪、中国の鏡を見た。
 星糞峠には縄文人の黒石採掘跡がある。この地方は山の中で石はあるが塩はない。又、千葉の成田あたりでは、海でとれた貝を大量に干物にしていた。成田あたりは塩はあるが石がなかった。この2つの地方の間で交易が行われていたらしいのはおどろきだった。
 五領式土器は近畿地方の庄内式土器や、布留式土器の影響が見られ、台つきには東海地方、近畿地方両方の影響が見られる。
その他、巻向遺跡と相似形の神門4号墳や稲荷山古墳の申亥年鉄剣、日本書記の四道将軍の派遣先の地方から出土する三角縁神獣鏡等々、初期ヤマト王権による支配が地方へ進展する様子を示唆しており、考古学が記紀神話をサポートしているといえる。

    

☆ニコライ堂
 正教会についての説明をうけた。

 いろいろな地方、いろいろな時代をかけぬけたような郊外学習だったが、古代のロマンと考古学の奥深さを感じた。
(1班 T・I /H・T)